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"旅人"と"村人"から考える”助け合い”

「助け合い」という言葉がある。「相互扶助」とも言う方もいるだろう。意味を辞書で調べると「助ける」ことを複数の人同士でやっていくというのであり、その「助ける」について辞書で調べると「危険または不十分な状態になっている物事に対して力を貸して、危険または不十分な状態から正常な状態に変化させる。」となるので、複数の人でお互いが不十分と感じている所をフォローし合って良好な状態にしていくという風になるのだろう。その助け合いに金銭がからんでくれば、商売やビジネスとなってくる。

 ここ最近だが、この「助け合い」について、実は3種類の助け合いがあるのではないかと考えるようになった。その3種類の「助け合い」を語る上でカギとなる2つの概念がある。それが「村人」「旅人」である。そこで「村人」と「旅人」との関係を「助け合い」に当てはめていくと、私が考えている3種類の助け合いというのは、「村人」同士の助け合い・「旅人」同士の助け合い・「村人」と「旅人」との助け合いという風になる。

 この3つの「助け合い」について考えていることを語る前に、まずは「村人」と「旅人」をどのように定義しているのかを詳しく説明したい。

 まず「村人」というのは、「その土地・地域に居着いて生活・生計を立てている人」と定義する。土地や地域と述べたが、所属している会社・団体・学校もそうだし、SNSやVR空間などネット空間内のコミュニティ・ネットワークに加入し肩書きとして活動している場合も、「土地・地域」と置き換えて「村人」と定義できる。現代人の大半は、都会に住もうが田舎に住もうが複数の団体・コミュニティに所属していようが、気質的に「村人」だと考えている。事と場合に応じて旅人に変化することがあるが、あなたの近くにマイルドヤンキーっぽい性格の人、何らかの部下や手下であることが良いと考えている人がいたら、ほぼ「村人」だと思っていい。その上で「村人」同士の助け合いというのは、その土地内・コミュニティ内だけで行われる「助け合い」であるし、文化として土着している。

 一方「旅人」は、「村人」と対して説明すると、「その土地・地域に居着かずに、各地を転々としながら生活・生計を立てている人」と定義することができる。古くから言われるところだと「旅芸人」、今でいうと「ノマドワーカー」や「アドレスホッパー」「出張族のビジネスマン」といった辺りにまで広がってくると考えている。当人の意思的にその土地・地域に居着かない分、その土地の土着した文化を尊重した上で享受し楽しみつつ、時と場合によっては旅の中で経験してきた他の地域の文化や便利な物、その物の価値基準を伝えて、根付かせていく役割を持つことがある。その上で「旅人」同士の助け合いというのは、相互に旅をするコミュニティの中で、「旅」を通じて困っている事、悩んでいることに対しての「助け合い」と捉えることができるだろう。

 そして"「村人」と「旅人」との助け合い” について考える前に、補足して「村八分」という言葉がある。村人同士の自然かつ不文律なコミュニティの掟を破ったがために、火事と葬式以外の活躍の場は許されないという「村人」という意味である。「旅人」に位置する人は、コミュニティ内ではベースとして「村八分」と同等の位置付けにされがちであるが、村人の中での理解者がいるかどうかによって村八分ではない扱いを受ける事もある。

 これらの性質を踏まえた上で "「村人」と「旅人」との助け合い” について考えた場合に、実は地域の未来を変えるかなり面白い可能性を秘めている。初めは、お互いに警戒しながら相互に接することになってくるかもしれない。知れないが、接することによってお互いのいいところ・悪いところ・自分にないところなど、成長のためのヒントになる要素が見えてくることがある。そのヒントと接することを通じて、相互に悩み苦しんでいる事を解決する手段や手法を見出したり、解決方法を教えあったり、実際にやってみたりしていく。ざっくりと漠然とした説明になっているかも知れないが、これを体感した時に「うちの住んでいる地域でもやってみたい!やりたい!」と考えて始めようと思って動く人が出てきたら、それこそ次世代のための地域の進化になる。また、世界を変える進化にもなっていくだろう。
   それが世界中どこの地域でも共通認識として確保されていけば、人としても地域としても次の時代を生きる上での進化となっていく。つまり "「村人」と「旅人」との助け合い” というのは、次の時代を生きる上での進化の絶好の機会なのである。

 私が取り組んでいる”コワーキングスペース”というビジネスは、"「村人」と「旅人」との助け合い” を促して、また「村人」と「旅人」の緩衝材の役割を果たしながら、新しいビジネスやプロジェクトを作ったり、地域に普及・浸透させていったりしていくビジネスだと常々考えている。しかしながら、この業界を通じてコワーキングスペースの利用のされ方を見る限り、スペースのヘビーユーザー同士のコミュニティ、従来ある会社や仲間のコミュニティ、リモートミーティングの仲間だけで話すユーザーと、各々が各々のコミュニティという「村人」にだけ接し合うだけで、お互いに交わり合って助け合っていこうとしてこない。もちろん相互の交流を促すためにコミュニティマネージャーというスタッフを置いている所が多いが、その意味や背景、意義すらも理解できずに、コワーキングスペース内の予約管理やパーティーや講演会などのイベントプロモーターに特化してしまっているコミュニティマネージャーを時折見受けることがある。正直そうなってしまう気持ちや考え方の方向性は理解できなくもないのだが、長く携わっている身として、この状況を悲しく思っていることでもある。

 この現代社会の傾向として見ていると、時代を進化する上で「旅人」の必要性は極めて高くなっているとは思う。思うのだが、それ以上に楽で安定した「村人」としての生き方をしていきたい方が圧倒的に多いと感じる。むしろ「村人」として生きる方が圧倒的に楽だからというのはある。気持ちとしてわからなくはない。しかし、「旅人」「別のコミュニティ」を相手とする助け合いになりそうだと感じた時に、そこから逃げてはいけないし、そこを通じて自身の成長をしていかないといけないと思う。
 これから「村人」として生きていきたい人には、「旅人を助けていく心」「旅人を邪険にしない道徳観」「旅人から得た知恵を、地域の中でできる人間になって助けていきたいという想い」がなければ、住み続けたい「村」がこれからもあり続けられないし、墓を守ることができないし、子孫が生き続けることもできなくなってしまうと考えた方がいい。
 また「旅人」として生きたい人は、「いかなる人でも相互に助け合っていこうとする基本的な思想」と、「住み続ける「村人」には決して見下さず感謝と畏敬の念を持って接していこうとする心」を意識できなければ、悲しい最期を迎えるものと考えた方がいい。相互に主張した意識を持って行動できる人が増えなければ、地域はおろか、国家も人類も衰退していくことになると考えていい。そう考えているし、次世代へのヒントとして伝えていかないといけない。

 SNSを通じて、言論の多様性や寛容性が保たれたとしても、受け手側の都合の良い情報ばかりが入るようにシステム化されていくが故の分断が生じやすくなっている。居心地の良さを求めるが余りに、コミュニティのようでいて対立し合うムラ社会の増長のためのSNSやWebカルチャーへと一般的に認識されがちな現状、このような「村人」「旅人」理論が生きていくため、ビジネスを展開していくためのヒントになっていただければありがたいです。

   最後に、この考えを現すのにとても参考になったnoteをご紹介します。


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