【短編小説】命短シ愛セヨワタシ


「30歳になった時、
お互い相手がいなかったら結婚しようよ」

愛の告白にしては
なんとも打算的な不気味さを醸し出す
根本的な熱情に欠けるこんなプロポーズは
巷で割と耳にするセリフかもしれない。

『君のことは嫌いじゃないし
むしろ全然アリなんだけど
今の自分の状況を投げやってまでも
側に居たいと思う存在ではないよ』

缶ビールを4本空けた後、
煙草の煙と共に吐き出された
その奇妙なプロポーズには
こんな残酷な男の本音が見え隠れしていて、
私自身イタい勘違いなんてしないほどには
男女の条理は分かっているつもりでいた。

それでも、好きな男からのプロポーズを
ただの冗談として軽やかに
聞き流すことができずにいる私がいた。

ホームパーティーで盛り上がる部屋を
結露した窓越しにぼんやり眺めていた私は
振り返りざま、ただ一瞬だけ
気の抜けたあいつの表情を一瞥し
ベランダの柵に両腕でもたれた。

「別に、今すぐにでもいいのに」
そんな本音は音にはならず、
吐き出された白い息と共に
冷たい夜空を静かに漂って消えた。
24歳の冬のことだった。



人生の選択において肝心なのは、
“タイミング”の見極めと
然るべき時にそれに飛びつく“度胸”だ。
いずれかが欠ければ決断は先送り、
次のチャンスを待つしかない。

思えば20代の私は、
いつもどこか心と頭がちぐはぐで
歳を重ねるごとにだんだんと
心の衝動を頭の理解で抑え込んで
その不整合性を帳尻合わせしながら
生きるようになっていった。
人生の選択に飛びつく“度胸”というものが
私には圧倒的に欠けていたのだろう。


大学のサークルで出会った
あいつのことが私は密かに好きだった。
平均よりも少し低い身長と
平均よりも少し高い対人能力のおかげで
私はたいてい、愛するより先に愛された。
彼氏はそれほど途切れたことがない。

そんな私にあいつは
「ほんまにお前は天性の人たらしやな。
サークル男子の大抵はお前のこと好きやで(笑)」
そう言っていつも茶化してきた。
「もう、ほんまええて。
ほっといたら私取られるけどええん?(笑)」
ふざけてそう返すとあいつは
「大丈夫、俺は常に最後尾に並んでるから。
まあ順番回ってくるまでまだまだかかりそうやし
その間俺は他の女の子と遊んどくわな!」
そう言って誤魔化してばかりで、
一度も真剣な恋愛関係にはならず仕舞いのまま
大学を卒業した。

24歳のあの冬の日、
サークル内で有名だったカップルが
ついに結婚するということで
お祝いと称して2年ぶりに集まった。
久々に会ったあいつの
仕事終わりで少しくたびれたスーツ姿が
やけに大人に感じてドキドキした。

懐かしい思い出話で盛り上がる中
あいつにベランダに誘われた。
「煙草吸うしちょっと付き合ってや」
「うん、行こか」
「外寒いしこれ羽織り」
貸してくれたコートから
懐かしいホワイトムスクの香りがした。

「いやー、会うん久々やんな」
「そやね、2年ぶりとかかも」
「どうなん最近?相変わらずモテてる?(笑)」
「そんなことないわ(笑)
最近、1年くらい付き合った彼氏と別れた」
「あ、そうなんや。珍しい」
「そっちは?彼女できたん?」
「彼女なんておらんよ~。
正直今は仕事でいっぱいいっぱいかな」
「そっか、頑張ってるんやね」
「今日あの二人の幸せそうなとこ見て、
やっぱ結婚てええなぁと思ったけど
まだ俺は家族とか子供とか
そういう責任とか持つ自信ないなぁて思ったわ」
「男の人はやっぱそういうこと考えるよね」
「せやなぁ。まあ30歳までには
俺も落ち着く予定ではおるけど!」
「予定通りいくといいね(笑)」
「30歳になった時、相手おらんかったら
そんときは俺と結婚してや(笑)」
「ええよ。まあその時には
とっくに私売り切れてると思うよ?(笑)」
「せやんな(笑)俺ももっと頑張らな~」

こうして私は、1度目のチャンスを逃した。
今の彼の人生に”恋愛”という二文字が
存在しないことを知って
愛の見返りが確約されない怖さから、
私は逃げた。


それから3年が経った27歳の冬、
私が入社6年目になるのに併せて
関西支社での昇進の話が持ち上がった。
その昇進の知らせは
周りの友人たちの結婚報告を横目に
熱心に仕事に打ち込んだこの数年間が
やっと認められた証拠であり、
嬉しく誇らしかった。

そんな時、久々にあいつから連絡があった。
『ひさしぶりに飲み行かへん?』
なかなか会えずにいたこの数年間、
成長した自分自身の存在を知ってほしくて
話したいこと聞きたいことが沢山ある私は
二つ返事で会うことを承諾した。

予約してくれた店で先に待っていたあいつは
スーツをシャキッと着こなしていた。
「お~ひさしぶり!
なんかまた大人っぽくなって綺麗なったな(笑)」
「なんなん、照れるやん(笑)
ってか、こんないい感じのお店来るんや?」
「取引先の人に教えてもらった店やねん(笑)」
「なるほど、通りで(笑)」
お洒落な雰囲気の店内に
少しそわそわしているあいつが可愛くて
私は少し茶化して遊んでいた。

「ほんで、最近どうなん?いろいろと」
ワインをまだ飲みかけているうちに
そう問いかけられ、
少しペースを乱された私は答えた。
「最近はすっかり仕事ばっかりやったな。
春から昇進することになって、
やりたかったマネジメントにも
チャレンジさせてもらえることになって」
「おぉ、すごいやん!さすがやな(笑)」
「いやいや、まだこれからよ(笑)」
「ほんなら俺も報告やねんけど、
春から東京に転勤になった」
「あ、そうなんや…
おめでとう!…でいいんやんな?」
「うん、ありがとう(笑)
向こう3年はあっちになる」

あいつは少し下を向いて
私に顔を向けなおして続けた。
「なら、お互いの門出に乾杯やな…!」
「う、うん…!乾杯!」
赤ワインを一気に飲み干した二人は
いつもの調子で他愛のない会話を
ただただ心地よいペースで投げ合った。

「東京でも、体に気を付けて頑張って」
「ありがとうな、お前も」
そうして私はタクシーを降り
あいつを乗せた車を
影が見えなくなるまで見送った。

こうして私は、2度目のチャンスを逃した。
積み上げたキャリアを崩してまで
彼との不確定な将来に飛び込む怖さから、
私はまた逃げた。


そうしてあれから3年が経ち、
30歳の春を迎えた。
1LDKの南向きの窓から見下ろす公園には
色づいた桜の花が良く見える。

とうとう私は未だに一人でいて
結婚などには興味無いように振舞って
主には仕事に精をだしながら
遊びみたいな恋愛を繰り返している。

『自分にしか築けないキャリアがあった』
そう頭で理解して人生の帳尻を合わせてきた。
けっこう幸せだ。
職場では頼りにされ、恋愛では追われ
そうやって自分の存在意義を確認できる。
結婚なんてしなくても、十分幸せだ。

ただ、足りない。どうにも、足りない。
20代前半、求められる幸せを知った。
20代後半、自分の足で立つ幸せを知った。
30歳、愛することが足りてない。
愛する人に愛を注ぐ幸せを
私はまだ知らないのだ。

春風に誘われてベランダへ出ると
デニムのポケットが震えた。
スマホのスクリーンには
あいつの名前が表示された。
『ひさしぶり。帰ってきたで』

その時、木々を散り乱すほどの
強い花嵐が吹きつけて
桜の花びらがベランダに舞い込んだ。
足元に落ちた1枚の花びらを自ら拾って
私は靴を履き、走った。

川の対岸を歩くあいつは
重そうな大きなキャリーケースを引いていた。
思わず私はこう叫んだ。
「そこで待ってて、私が行くから!」

息を切らしながら駆け寄った私に
あいつは優しく声をかけた。
「ただいま」
「おかえり」
「待ってた?」
「うん。待ちくたびれた。
だからもう私から迎えに来てんで?」
「そっかそっか、ありがとう」
頭をポンと撫でられた。
「私、30歳までに結婚とか子供とか、
そんなの正直もうどうでもいいねんけど
ただ、ちゃんと好きなこと伝えたかった。
ただ、そばにいて欲しいって思ってた」

あいつは満面の笑みを浮かべて応えた。
「俺もずっと好きやったで。
言うたやん、俺は常に最後尾に並んでるって。
いや~やっと順番回ってきたか~。
ほんま、ずーっと待っとったで!」
私は初めて、あいつの胸に飛び込んだ。


こうして私は、3度目のチャンスに、
精一杯しがみついた。
心と体の帳尻合わせに疲れたから
もう思いっきり飛び込んでみた。
そしたらあいつが、
両手を広げて待っててくれた。

人生の選択において肝心なのは、
“タイミング”の見極めと
然るべき時にそれに飛びつく“度胸”だ。
いずれかが欠ければ決断は先送り、
次のチャンスは、
もう来ないかもしれない。




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