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ショートショート 21 「写し鏡」

ジョン万次郎…

中学時代、教科書で初めてみた時、なんて歪な名前だろうと思った。

英名と和名が混じり合っていて、そもそもジョンも万次郎もファーストネームだし、それでいて、ツッコミどころは多いのに、妙に”これはこういうものかも知れない”と納得させる響きの良さ。

同級生の男子の中には、ただ口にしたいというだけの理由で、何かにつけ「ジョン万次郎!ジョン万次郎!」と口ずさんで仲間内で笑い合っているという光景が見られた。


「塩見 クリス」


住民票に記載された夫の新しい名前を見ていたら、そんなことを思い出した。

まさか、私が大学卒業と同時に、国際結婚をすることになるなんて…。


「スミマセン、写真イイデスカ?」


三条大橋で声をかけられたのが夫との出会いだった。写真を撮って欲しいのだと合点し、カメラを預かろうとしたところ

「ア、イエ。アナタ、撮ラセテ欲シイ。」

と少し恥ずかしそうにしながらお願いされた。

呉服屋の娘として生まれ、幼い時から着物と共に育ってきた私は、中学生くらいから休日は大体、小紋を着て過ごしていた。

観光客からすると着物が珍しいんだなぁ、と納得しつつ、考えてみれば見知らぬ人に写真を撮られるのは、大学生にして初めての経験でなんとなく、くすぐったいような、緊張するような気持ちで撮影に応じた。

まぁ、結論から言うと”観光客”という私の見立ては間違っていて、彼は日本好きが高じて日本にやってきた同い年の留学生だった(年上だと思っていた)。

それ以降、京都の各所で度々、彼と偶然の再開をした。向こうは外国人で、私は着物(京都には多いとは言え、それなりに目を引く)。普通だったら気付かないかも知れない邂逅でも、私たちはお互いの存在に気付いた。

狭い京都のこととは言え、同じタイミングで同じ場所に来ているというのは、何か波長が合うのだろう。私たちは、会う度、言葉を交わすようになっていった。

彼はオーストラリア出身だったが、小学生の頃にテレビ番組でみた京都の景色に魅せられ、以来ずっと日本に来ることを夢見て過ごしていたのだと言う。

日本(というか京都)のどこがそんなにいいのか?と尋ねると、

言葉にできないところがイイ、と。

侘び寂びに象徴される、主張をせず多くを語らぬことを美徳とする文化。言葉にできないと彼は表現したが、正しくは”言葉にしない文化”に彼は魅せられたのだろう。

その影響なのか、そういう性格だから京都に魅せられたのかは分からないが、彼はいわゆる欧米人といったストレートな愛情表現はしなかった。

私たちは、隣合って座りただ静かに古都の情緒を楽しむ。静寂と調和する波風のない時間を共有する日々。おかげで私は、2回生の春まで自分が恋をしていることに気づかなかったくらいだ。

あの小春日和、龍吟庵の庭園で人目を盗んで不意にキスされた時は、枯山水の文様みたく頭の中がぐるぐる回ったが、私たちの関係に彼から答えをもらったようで嬉しかった…。


3回生の冬になり、彼が「呉服店ヲ継ぎたい。」と申し出た時は驚いた。日本が好き、と言ってもそれはあくまでモラトリアム期間の思い出作りで、いつか彼は本国に帰っていくのだろうと考えていた。

「日本ノ女性ヲ華やかに飾リ、それガ景色をさら二美しく彩ル。私ハ、あなたヲ通じて、着物ノ魅力に取り憑かれてしまいマシタ。一生かかっても離れられソウニありまセン。」

それがプロポーズの言葉。

大店ではないといえ、江戸時代から400年続く由緒だけはある呉服店主の父は、当然私が日本人(もちろん京都の)と結婚して店を継ぐものだと信じていただろうし、私が突然外国人と結婚すると申し出て、首を縦に振ってくれるものだろうか、と気がかりではあった。

そして両親への挨拶の日。

着物レンタルなどで、何度か袖を通したことがあるとは言え、着慣れているとは言えないので、色紋付の着付けは私が担当した。

若干辿々しい足つきに不安が増幅していくのを感じたが、結論から言うと心配は不要だった。

簡単な挨拶の後、一礼した彼の姿は息を飲むほど美しいものだった。今思い返しても、形は辿々しいものだったと思う。

ただ、そこには確かな敬いと誠意が込められていた。

大切なのは形ではない。心なのだ。と語るかのような一礼だった。

形式に不慣れであるが故に、心を尽くすしか彼には手段がなかったわけだが、そのことが心の輪郭を浮き彫りにして、私たちに見せたのだろう。

異国出身だからこそ、この国の文化の本質を探究し、それを体現してみせた、彼に私たちは、自分たちが大切にしてきたものの真価を教えられた心地がした。


きっと、かのジョン万次郎も真っ直ぐで、誠実で、一生懸命、それでいて向こうの人たちに自国の文化の良さを教えてくれるような人だったのだろうと思う。

だからこそ、英名をもらって歴史に名前を残すことができたのではないか、と会ったこともない歴史の住人に想いを馳せた。

今となっては、国際婚がそう珍しくなくなった現代、彼が歴史の教科書に載ることはないだろうけど、私は和の美徳を心に写し、周りに見せてくれる彼と一緒に、これまでと同じく、静かにつつましやかに、歴史がつないできた着物の美しさを、この京都で紡いでいこうと思う。

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