ショートショート36 「本日の釣果」
釣りをしている時間が大好きだ。
寄せては返す波の動きは、休みなく続いているのに、せわしなさは感じさせず、むしろ心を落ち着かせてくれる。
釣り糸を垂らして待つこの時間は、人生における重要なスパイスだ。着水のトポッという音を合図に、僕の周りから音が消える(ように感じる)。
あとは竿先の動きに神経を尖らせ獲物がかかるのをじっと待つ。
獲物がかかった瞬間はエキサイティングで、刺激的。
この待ちの静寂と、釣り上げのせわしなさのコントラストが、僕の休日を色鮮やかに染めてくれるのだ。
あぁ…釣りは至福の時間、だったはずなのに
なぜ僕は今、目の前の人魚に必死で謝っているのだろう。
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いつものように釣り糸を垂らし、待ちの静寂に全身を浸していた時、釣竿の先が大きくしなった。
これは、大きいぞ。
僕は、気持ちのギアをトップに切り替え、獲物を逃すまいと竿を握りしめる。
獲物が水面に近づいてきた時、僕は「うへえ?」と変な声を出してしまった。
釣り糸の先にいたのは、人魚だったのだ。…わがままボディの。
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「ちょっと、どうしてくれんのさ?」
詰め寄る人魚のオバさ…いや、マダムに僕は平謝りするしかなかった。
「本当ごめんなさい。怪我大丈夫ですか?」
「怪我ぁ? そんなものは勝手に治癒するわよ。あたしが言ってんのは、もっと別なことよ。」
「…と言いますと?」
「あんた、あたしの胸見たでしょ。」
そっちが勝手に半裸で現れたんじゃないか。僕からしてみれば、見た、ではなく、見せつけられたのだ。
「あの…そんなつもりじゃなくて、ほんとごめんなさい。」
「謝るだけならタダだってのさ。こんなピチピチレディの胸を見といて…」
確かに、魚の部分がさっきからピチピチと桟橋のコンクリートを叩いているが、女性に対してのピチピチという形容は全く当てはまらない。
脇肉が何段になっているか分からない…ミスタータイヤマンみたいだ。
とは言え、このまま謝り続けても解放してもらえそうにない。一体どうしたものか…。
恐る恐る人魚の顔を見ると、歯に指を突っ込んでシーハーやっている。さっきの釣り餌が引っ掛かったのだろうか。
本人の自信と裏腹に、色気が絶滅したその様子に辟易したが
(ん…まてよ。釣り上げられたってことは、コイツ、餌のゴカイを食ったんだよな。)
という考えが頭に浮かんだ。
「あの…お詫びの気持ちと言っては、なんなのですが。」
恐縮しながら、餌箱に残ったゴカイを箱ごと差し出す。
「な…何なのさ。あたしゃ、そんな安い女じゃ…。」
口ではそう言うものの、チラチラとゴカイを横目で見つつ、口元が緩むのを抑えきれない様子だ。
「僕の気持ちが収まりませんので! どうか受け取ってください!!」
深々と頭を下げ、ズイッと、ゴカイを差し出す。
「そ、そこまで言われちゃ、仕方ないわね。年下の男の子をいじめるのも、いい気がしないし、これはいただいておくわ。」
心の中で”乗り切った”と、胸を撫で下ろした。
「そうだ。あたし、ここで働いてるから。機会があったら寄って頂戴な。
それじゃあね。」
脇肉の間から名刺を取り出した人魚は、ウィンクと投げキッスを置き土産に、釣り餌を抱えて、海中に消えていった。
ぐったりしながら名刺を見ると
「スナック 竜宮城」
と書いてある。
あぁ、そりゃあ、浦島太郎も一気に年取るわ。
ひょんなことから、昔話の裏側を知った僕は、
魚は一匹も釣れていなかったが、その日はさっさと帰ることにした。
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