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ショートショート73 「猫に逢える喫茶店」

「喫茶七丁目」

 立地をそのまま店名として掲げた少し変わった名前の喫茶店には、奇妙な噂話がある。この喫茶店では、死んだ猫とお話ができるらしい。

 そんなことを言われても普通は信用しないだろうし、そんなことがこの世の中に起こるはずもない。

 それでも私が今喫茶七丁目の椅子に座っているのは、去年いなくなってしまった猫に逢えるものなら逢ってみたいという気持ちがあったからなのかもしれないし、逢えるはずないけれどそういった噂のある場所に来てみて、突然いなくなってしまった愛猫との思い出に整理をつけたかったからなのかもしれない。

 天井に打ち込まれたソケットからぶら下がる細長い真空管の中で、螺旋状の光源が放つ橙色の光によって程よい薄明かりで照らされている店内には、小粋なジャズが流れていて、視覚と聴覚が溶け合い身体の輪郭が薄ぼけていくみたいな居心地の良さがあった。

 まぁ、雰囲気のいい喫茶店(コーヒーもいい香り)だけど、特に変わった様子は見当たらない。猫の魂を受け入れるような霊的な何かが存在しているようには思えないし、マスターもドラマだか小説だかで描写されるような、ちょっとお洒落なおじいちゃんといった感じ。霊能力者にも見えないし……。猫も一匹いるにはいるけれど、よく手入れされた真っ黒な毛並みは、私の猫とは似ても似つかない。


❇︎


 「ムギ」

 黄金色でトラ柄の毛並みの猫にその名前をつけたのはお母さんだ。私はもっと可愛い名前がいいと抗議したけれど、その可愛い名前が思いつかないうちにお父さんも「ムギ、ムギ」と呼び始め、そのまま多数決で定着した。

 猫は気ままだ、というのはよく言われることだけどムギを見ていると本当にそうなんだなぁ、と思うばかりだった。

 こちらが撫でようとするとプイッと何処かへいってしまうくせに手伝いで洗い物をしていると足首にすり寄ってきて、フワフワの毛並みでくすぐってくるし、勉強を始めようと机に向かった途端にトコトコとやってきて膝の上に陣取っては「なにか?」という目線をこちらに向けてくる。

 どうしようもなく迷惑な存在で、でも、彼が強要する不便は不思議と私たちを幸せな気持ちにさせるのだ。

 大学進学を機に一人暮らしをすることが決まった時に「ムギも連れていきたい」と両親にお願いした。心細さを埋めたかったのもあったし、ムギと一緒なら新しい環境でもいい感じに肩の力を抜いて過ごせるような気がしたからだ。

「まぁ、ムギもあなたのことが好きみたいだからね」

 と両親は快諾してくれて、ムギと私の二人暮らしが始まった。

 彼は相変わらずのマイペースだったけど、猫という今までの日常に、新生活に付き合ってもらったおかげで私はホームシックにもならず過ごせていた。

 そんな毎日が続いていた頃、外出しようとドアを開けた隙間からムギが外に出て行ってしまった。そしてムギは帰ってこなかった。

 事故にでもあったのだろうか。もし他の誰かに拾われて飼われているなら、それでいいんだけど。

 もしかしたら、ムギは部屋に閉じ込められて過ごす生活が嫌でたまらなくて、実は私のことなんて嫌いだったのかな……。


❇︎


「何かお悩みです?」

 ムギのことを思い出していたら、柔和な笑顔をたたえた若い男性店員に声をかけられた。

 お店の奥にでもいたのだろうか? 入ってきた時には見当たらなかったけど。

 こめかみを手のひらで後ろから前に向かって掻く、変な癖のある人のようだ。

「飼ってた猫のこと思い出してて」

「そうなんですね」

「去年の今頃、家から逃げ出しちゃって、そのままいなくなっちゃったんです」

「あぁ、それはお気の毒に……」

 調子を合わせているといった様子ではない、本心からそう思っているのが伝わってくる表情で店員さんはそう言った。

「本当、猫って勝手気ままですよね。勝手に周りを幸せにして、勝手に哀しませるんだから」

「その猫ちゃんに、怒ってます?」

「いいえ、むしろ申し訳なかったなと思ってます。本当はもっと自由気ままに生きたかったのかもしれないのに、私の都合で狭い家に閉じ込めてしまっていたんですから」

 クッと哀しそうな表情をにじませる店員さん。この人も猫が好きなのだろう。

「ここに来たら、死んだ猫とお話しできるって聞いて。そんな噂を信じるのもどうかしてますよね」

「もし、お話しできるとしたら、何をお話しされたいんですか」

 私が語るオカルトとしか思えない話を否定も肯定もせず、店員さんは問いかけてきた。

 そういえば、私は逢って何を話してみたかったんだろう。少し考えた……けども、これ以外は思い浮かばなかった。

「一言……聞いてみたいんです。あなたは幸せだった? って」

「ーー猫ってね」

 そこまで聞いて、先ほどの笑顔に戻った店員さんは呟くように言った。

「毎日気ままに生きてて、しあわせって感覚……よく分からないんですよ。ただ、キミちゃんとの毎日はあったかかった。夏も、冬も、毎日がとてもとてもあったかかった」

 え? なんで私の名前。

 驚いて顔を上げた先に、あの店員さんはいなかった。

 足元に、あの懐かしい……くすぐったい感覚がして

 「いなくなっちゃって、ごめんね。……ありがとう」

 という声だけが聞こえてきた。


 喫茶七丁目。

 見た目は何の変哲もないオシャレな喫茶店。

 だけど、ここでは、死んでしまった猫と本当にお話ができるのだ。


<了>

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