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ショートショート70 「恋と個性」

 その日も、海坊主は沖合からとある海女の姿を眺めていた。妖怪と人間、種族を越える恋を成就させるのが難しいことは百も承知だったが、それでも胸につっかえたものが日に日に膨らんで、息苦しくさえ感じさせる恋の衝動に抗うことはできなかった。

「彼女は、なんという名前なのだろう。どんな人が好きなのだろう」

 決して向こうにはバレない距離を保ち、見つめることしかできない海坊主にできることといえば、相手に対する妄想にふけることだけだった。

 最初はそれでもよかった。しかし次を、次をと求めてしまうのは妖怪も人間も変わらない。お話をしてみたい、できたらお付き合いをしたい。一度そう考えてしまうと、もうそれを止めることはできなかった。

 とはいえ、いきなり話しかけようにも自分は妖怪だ。怖がられて逃げ出されてしまう可能性だってある。むしろ、そうならない可能性の方が少ない。ほんの少しでもいい、怖がられずに話を聞いてもらえるにはどうしたらいいのだろうか。……良い考えが浮かばず海坊主は頭を掻いた。

--閃いたのはその時だった。

 そうだ。髪の毛を生やせば、少しは見た目が柔らかい印象になるんじゃないか? これならお話くらいはできるはず。

 でも、生まれながらに髪の毛のない海坊主のこと。無いものを生やすことは難しいというより不可能だ。よって彼は、海藻を撚り合わせて人工(妖工?)の髪の毛を作り、一本一本丁寧に自分の頭に植毛していった。

 二週間が経ち、海坊主の頭には見た目は立派な髪の毛が生えていた。人間の誰かが落としたのであろう海底にあった鏡で自分を写してみる。なかなかいいんじゃ無いだろうか。

 それからさらに一週間ほど、どんな風に話しかけようか。どんな風に仲良くなろうか。とイメージトレーニングを重ね、とうとう話しかける覚悟が決まった。


❇︎


 貝を獲り終え、岩場で休憩している海女を驚かさないようにゆっくりと近づいていく。

「あ……あの、僕、ずっとあなたのことを見ていました。キレイな人だな〜って」

 海女は、突然響いた声にぎょっとしたそぶりを見せたが、逃げ出すわけでもなく、その場に留まっている。

「そ、その……、よろしければ、お、お友達に、なっていただけないでしょうか」

 恐る恐る海中から姿を現し、モジモジしながら海女にそう告げた。

「はえ〜」

 呆けた声を出し、口を半開きにして海女は海坊主を見上げる。海には本当にこういった怪生の類が存在しているのか。

「あなた……お名前はなんと?」

 海女の問いかけに海坊主の頬がポッと明るい色に染まる。

「ぼ、僕は、海……」

 言いかけて言葉が出なくなった。考えてみれば、植毛してしまったが故に、自分は今や海”坊主”では無いのだ。果たして、今の自分は何なのだろう。自身のアイデンティティの無さに困惑し、そしてたまらなく恥ずかしくなってきた。

「あ、あ、あの……ま、また来ます。き、き、今日はありがとうございました」

 そうして海坊主だった彼は、呆け顔の海女を残しすごすごと海へ帰っていった。


<了>


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