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「 箔押しで、ドバイへ、その先へ ブログ開設20周年に寄せて 」( 文 長田年伸 )

「 青木さん、コスモテックの箔押しで、ドバイに行ってください 」
2014年5月、青木政憲さん( コスモテック )と、青木さんの盟友である平和紙業の西谷浩太郎さんと池袋で飲んだとき、ぼくは青木さんに向かって、たしかにそう言った。

コスモテックを知ったのは2013年、仕事を依頼しはじめたのが翌年なので、今年でちょうど10年の付きあいになる。デザイナーであり編集者であり執筆者でもあるぼくは仕事で本を装丁する機会に恵まれ、これまでもたびたびコスモテックの力を借りてきた。でも、最初にお願いした仕事は展示のための自主制作で、展示を企画していた人から青木さんを紹介されたことが、コスモテックとの出会いだった。

自主制作作品 百人一首全首 箔押し表現 『 こと の は 』
箔押し面積は 627×297mm におよぶ


そのときコスモテックにお願いしたのは、百人一首全首を一文字一文字分解し、二種類の箔で見当合わせして再現するという作品。箔押しは亜鉛で出来た版をつかってフィルムを紙に熱圧着させる技術だから、押された紙はわずかに伸びることになる。つまりそもそも箔押しで見当合わせをするには無理があるのに、それをあろうことか 3ミリ角の文字でやってくれというのだから、どだいおかしな話なのだ。ところが、青木さんはそんな無茶な依頼を引き受け、当時現場の責任者だった佐藤勇さんと相談しながら、実現へ向けてさまざまな方法を提案してくれた。

すごく正直に話すと、ぼくはあまり期待していなかった。技術的に不可能に近いことをお願いしていることは重々わかっていたし、「 そこそこうまくいった 」 くらいの仕上がりで十分だと思っていた。

寸分の誤差も許されない箔押し表現
針穴に糸を通すような正確さが求められる


ところが、加工立ち会い当日に手にしたのは、金と銀の箔押しで見事に再現された百人一首だった。心底驚いた。感動した。と同時に、いかに自分が 「 技術 」 を舐めていたかを思い知らされもした。一つの仕事を突き詰め積み重ねていった経験の厚み、磨き研いできた技の凄み、そのすべてを目の前の仕事に十全に発揮できる力量。ぼくらはよく 「 丁寧に仕事をする 」 とか 「 仕事の質を高める 」 なんてことを口にするけど、それが容易くないことを知っている。でも、その日ぼくが手にしたのは、日々丁寧に仕事をし、ただ淡々とその質を高めることの先でしか得ることができない、技術の結晶のようなものだった。コスモテックとの仕事を通じて、ぼくは具体的な技術を究めることの厳しさと高みを教えてもらったのだと思っている。

コスモテックは 「 箔押し屋 」 を自称している。
たしかに箔押しを生業にしている会社ではあるのだけれど、もう少し専門風に言うのなら、印刷加工業になる。文字通り印刷された / されるものに加工を施す仕事で、印刷会社などからの発注を受けて仕事を回していく。出版業界であれば、印刷会社は出版社から受注し、印刷加工業は印刷会社から受注する。受発注の関係でいえば明らかな下請け業である。

まだ下請け仕事が大きな割合を占めていた頃の
コスモテックの加工現場の風景


印刷加工業は、おもに本や雑誌に関連した仕事で成り立っていた。基本的には手間賃仕事だから、一度にまとまった数( 部数 )の発注がかかる出版関連の仕事は大口受注案件だ。ほかに商品パッケージなどの仕事ももちろんあるが、大きな仕事は本や雑誌ということになる。

2000年以降、出版産業の規模縮小が加速度的に進んで行った。近年では電子媒体による売り上げ回復が報じられもしているけれど、雑誌の休刊・廃刊はいまも止まらず、紙媒体の本は初版部数がどんどん低くなっていっている。なにが言いたいのかといえば、要するに印刷加工業は、誇張なしに存亡の危機にある、ということだ。

放っていたら沈んでしまう。船を立て直すだけじゃだめで、荒波逆巻く海を航海しつづけられるように補強しなければならない。そのためになにができるのか、なにをしなければならないのか。

コスモテックが選んだのは技術力だった。
ただ、技術力自体はもともともっている。やらなければならないのはそれを届けること。コスモテックが最初にやったのはブログ開設だった( http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/ )。いまも更新がつづくそのブログは既成の投稿サービスをそのままつかったもので、お世辞にも 「 かっこいい 」 とは言えない。でも 「 まずやれることからやる 」 を踏み出したのだと、印象づけられる。そういう意味では箔押しとそう変わらない。目の前にある仕事に対して、いまやれることを全力でやる。そういう態度がみえる。

2005年開設のコスモテックの箔押しブログ
ようこそ!行列のできる『 箔押し印刷工房 』へ
佇まいは開設当時からいっさい変わらない


コスモテックの母体となった会社が創設されたのは1913( 大正2 )年。戦前戦後を生き抜き、そこから分離独立するかたちでコスモテックが設立された。ブログの最初の記事には、佐藤さんの言葉でこう記されている。

「 弊社は、独自性の高い箔押し印刷分野での市場開拓というミッションの下、2001年に設立されました。 」

さらにその二つ先の記事ではブログを担当することになった青木さんがこう投稿している。

「 弊社の箔押し印刷は新たな商品開発の可能性を切り開く原動力です。 」

以降、コスモテックは自分たちの技術を知ってもらうための努力を惜しまず続けてきた。最初は身辺雑記、営業日誌的な投稿が中心だったブログも、箔押しをめぐる試行錯誤や仕事の事例を紹介する内容が増えていく。そもそも箔押しとはどのような技術なのか、それでなにができるのか。

市販のティッシュペーパーへの箔押し


多種多様な紙をつかって実験を繰り返し、ときにはティッシュペーパーに箔押しをするようなとんでもない行動をしてみたり。そういうことを積み重ねていくうちに、気がつけばコスモテックは 「 行列のできる箔押し印刷工房 」 になっていた。

ぼくがコスモテックがほんとうにすごいと思うのは、この間、一貫して 「 自分たちの技術を届ける 」 ことだけをしてきたことだ。語弊があるかもしれないが、認知度を上げるだけならもっと簡単な方法があったと思う。それはなにかと言えば 「 物語 」 を売ること。佐藤勇さんという指折りの箔押し職人に焦点を当て、佐藤さんの生い立ちや職人としての歩みを全面に押し出せば、それで人は集まってきたと思う。でも、コスモテックはそうしなかった。

物語には拡散力がある。なにかのきっかけで火がつけば、予想もしない早さで燃え広がっていく。けれど、それは一過性のものだ。物語は忘れ去られる。消費される。一時の嵐は乗り越えられるかもしれないが、物語が終わったその先に歩みを続けることができなくなってしまう。

だから 「 技術 」 なのだ。

人から人へ受け継がれ更新されていく技術は、主体の個性を問題にしない。主体の技術練度だけが重要になる。高い練度をもった職人に教わることで、次代の技術水準がまたあがっていく。技術こそが、嵐を乗り越えて、自分たちの足で歩きつづけることを可能にする。コスモテックは、そのことにだれよりも自覚的だった。そしてその態度がいまも変わっていないことは、佐藤さんについて直接触れた記事が1本しかないこと、いまも青木さんはあくまで表舞台に出ないように注意していること、佐藤さんの遺志を継ぐ若い職人たちも基本的には 「 コスモテック 」 としての露出に留まっていることにも現れている。

「 青木さん、コスモテックの箔押しで、ドバイに行ってください 」
どうしてこんなことを言ったのか。酒に酔っていたから、ではない。いたって真剣な話だ。

印刷加工業は下請けだと、受注側であると書いた。まちがっていない。けれどいまのコスモテックに 「 下請け 」 のイメージはほとんどない。佐藤さんと青木さんが中心となって重ねた 「 表現としての 」 箔押し実験は、オリジナル商品の開発の種になった。コスモテックのストアサイト( https://gyogyogyogyogyo.stores.jp/ )にアクセスすれば、多くの商品が陳列されている。そのどれもが、コスモテックの技術力だからこそ実現できたプロダクトだ。

ECストアサイト 「 コスモテックサンプル直売所 」 のトップページ


自分たちの強みである技術力を追究し、新たな顧客を獲得し、さらにニーズも創出する。「 弊社の箔押し印刷は新たな商品開発の可能性を切り開く原動力です 」 青木さんが記したこの言葉を、コスモテックは実現した。これって、ほんとうにすごいことなんですよ。

だから、ドバイなのだ。まあ、ぶっちゃけドバイじゃなければいけないわけじゃない。ドバイ → オイルマネー → 商売の成功、くらいのイメージで言った言葉だった。でも、コスモテックの技術にはそれくらいの可能性( というか、もっとすごいところまでいけるはず )があることを、ぼくは佐藤さんと青木さんとの仕事から感じたし、コスモテックの仕事はいずれ日本を飛び越えて海外に届く。そのときのためにも、物語じゃなくて技術力で勝負する以外にない —— そんなことを話した記憶がある。

それからというもの、青木さんは連絡するたびに 「 長田さん、いまこれくらい売り上げが貯まりました。まだドバイには遠いです 」 と言うようになった。話を盛っていると思う人がいるかもしれんないが、マジである。大真面目に、マジなのである。

photo by Santin Aki


あれから10年。コスモテックはいまも毎日丁寧に仕事をし、やれることを最高水準でやりつづけている。これまでも、これからも、その歩みは止まらない。

コスモテックさん、ブログ開設20周年おめでとうございます。これからもその唯一無二の技術力でますますのご活躍とよりいっそうの飛躍を祈念しております。

青木さん、ドバイはもう行けるよね。
つぎはどこを目指しましょうか。月くらい、行っときますか。

長田年伸
装丁 / 編集 / 執筆
URL : https://nagatatoshinobu.tumblr.com/ 

1980年生まれ。 出版社、デザイン事務所を経て2011年よりフリーランス。書籍、雑誌を中心に装丁、編集、執筆を行う。 著書に 『 現代日本のブックデザイン史 1996-2020 』( 川名潤、水戸部功、アイデア編集部と共編、誠文堂新光社 )。 多摩美術大学非常勤講師、京都精華大学メディア表現学部非常勤講師。

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