「視覚障害」と枠づけることができない視覚の障害

私は以前、「視覚障害と(国の定めた分類法では)枠づけることができないが視機能の障害」について、このような記事にて触れました。
他にも、触れている記事自体はあるのですが…。

国で定められている「視覚障害」とは、
”眼球”の異常が認められるもので、それにより(国の定めた一定のやり方における)”視力検査”・”視野検査”の結果の数値基準を下回るもの
のみを、「視覚障害」と枠付けます。

簡単にいえば、身体の外側に出ていて調べることのできる「眼球」を、国の所定のやり方における決まった条件下の検査で数値化し、目に見える異常が見られること、が、国で言う「視覚障害」かどうかを分けるのです。
(しかも、視力検査・視野検査というものはある一定条件下で”検査できる方法・角度”のみで検査し形式上の数値を出すものなので、その数値とその人の”本当の視力・視野”は異なります。つまり検査でその人の視力・視野状態は実質わかりませんし、”日常の実質の視力・視野”は更に数値とは全然違うことになります)

ちなみに、この障害の分類法は、1949年(昭和24年)に制定されたものだそうです。
その後も、運用の改訂はされてきたけれども、その「改訂」の基準がそもそも、「法律自体は変えずに行う」ことが前提であったようです。

ところで、私の身体は、1986年、(恐らく出生時低酸素症による)重度脳性小児麻痺で生まれました。
生後数か月、外界の刺激に反応を示すこと自体がなく、ただただアテトーゼ(身体の不随意運動)が酷かったそう。
小児健診で問題ありと言われていたが、赤ん坊の診断は非常に難しい(症状を本人が自覚し訴えることができない上、諸検査も難しい。更には複合的症状であったらひとつの症状があるために他の症状の検査ができなかったり隠されたりもする)。
生後6か月のとき、身障者療育センターにて「恐らく出生時低酸素症による脳性小児麻痺”だろう”」と診断されている。脳性麻痺の診断自体も、難しいものだった(脳性麻痺だけでも、今でも未知の領域ばかりで研究が難しい分野であるようだ)。
8ヶ月頃、身障者センターで医師団による診察を受け、7名の医師が次々に出てきたが、結局ちゃんと診断はできなかったという。ただ、医師たちに言われた共通のことは、「成長しても100%寝たきりになるだろう。できても背這いしかできないだろう」とのこと(後年、この時7人が口をそろえて言ったこれ”だけ”は奇跡的に見事に覆し、はずれているのだが)。

体幹障害、嚥下障害も明らかに見られていた。
また、物を「視認」するということがなかった。
抱っこするなどしていても何やらあらぬ方、何もない壁の方を見て、まるでそこに目に見えない存在でもいるかのように笑ったりしていたそうだ。
追視をしない(目の前で手指を動かしても焦点を合わせない・固視しない・目で追わない)ことから、視機能に異常があること自体はどうやらわかっていた。
幼い頃の診断書を保管しているが、これに「視覚障害」の記載がある。

確かに古い診断書ではあるが、医師の診断書に「視覚障害」と記載があるのだ。
ただ、総合病院での検査では、恐らく「眼球そのものには異常がない」という。
他、わかったことと言えば、「小脳の脳波がゼロ」であると言う。どうやらてんかん波もあったらしい。
ただ、この幼い身体には、嚥下障害もあった。何度も検査に通った中で、脳波の検査には、どうやらシロップ薬での睡眠薬を飲ませる必要があったようなのだ。このシロップ薬を飲み下すことがどうやらそもそもできなかったようで、全部吐いてしまい、身体中を甘い液体でべとべとにしながら、しかも僅か飲み込んだ薬も何やら脳に妙な刺激が行くようで(そのように当時母には見えたという)、必死で身をよじってひたすら苦しんだのだそうだ。それでいて、検査結果は毎回、「ちゃんと調べることができたかどうかがわからない」「ちゃんと脳波が確認されない」程度のもの。
ちなみに小脳が機能していないようだと辛うじてわかったのも、これとはまた別の総合病院の院長先生と母が仕事上の知り合いで、よしみで院長直々に脳波を診てくれたからであるようだ。
しかし同時に、目の前に何か物を持っていったとき、外見的反応はなくとも普通は脳波に何らかの反応は出るようで、これも出ない。院長も首をかしげ、「前例がない、わからない」などと言っていたそうだ。

しかし、総合病院やら東京都の総合福祉センターなど数年かけて渡り歩いてもわかったことはその程度。
幼い頃~中学頃までは、身障者福祉センターにて脳性麻痺に対して行われる訓練法、嚥下訓練などを行っていたそうです(個人的な記憶としては覚えていない)。母が言うには、本人としてはかなり苦しそうなものであったと。

その後の詳細はすっ飛ばしますが、少なくとも脳性麻痺に関しては、だいぶ前に記事にまとめてみたものがあります。
また、あらゆる意味で衝撃の多い環境などにおいて、どうやら、これも幼い頃から、精神疾患を抱えていました。非常に解りづらい、しかも未だに精神科医ですらも、通常一般の精神科では「わかりません、診られません」と患者を門前払いにする…未だにその存在自体を認めない精神科すらあるようですが…解離性同一性障害(精神疾患は解離だけでもなかったが)によって、人生もかなりわけのわからない大嵐の状態が30年以上続き、更には何が何による症状なのか、複雑化に複雑化が極まっていました。その、解離性同一性障害についても、随分多く記事にしていますが、その中でも、視覚と関連をもたせて書いた記事があります。

そして、この記事は「視覚の問題」が主軸ですが、話をほとんど端折りますが、後年から考えると「視覚」による日常困難の問題はずっと付きまとっていました。ありとあらゆるところで。
しかし、幼少当時、母が医師に、「反応が遅いのは脳の信号到達が迂回するから」などというわけのわからない説明を受けていたらしく、また、幼い上に本人は(他の子の状態を知らない先天性なわけなので)当たり前の状態過ぎて困ったことがあっても言語化しない、更には両親も、この身体が一人っ子であったことも相まって「生まれた時から脳性麻痺という未知の問題があるのだから、何が起こっても良くわからないけれどもきっと脳の問題なのだろう」としか理解できなかった。
そして、自他ともに、「視覚」の問題である、と、認識しないまま育ったのでした。
更に言えば、明らかに「目(視覚)」での判断などの問題が出て来たときは、「解離性同一性障害」の(交代人格の)症状であると捉えてきてしまいました。というより、「解離」という症状によって、私たち自身が問題をすり替えて「視覚の問題に思われないように」必死で誤魔化し通してきてしまった結果だったのです。

しかし、ここ2,3年程で、精神疾患がほとんど寛解状態となってきました。
それと同時に、記憶として人生が一貫してきて、更には自分自身が心身の深いアプローチをするセラピストとして研究・訓練をしてきたこと・自己セラピーを重ねることなどによって、自分の状態や人生を、一般の人たちよりもずいぶんと客観視し、自分のカルテを作るほどまでできるようになりました。
それと同時に発覚(自覚)してきた、社会に対してもどんどん「誤魔化せなく」なってきたのが、視覚による日常生活の問題。私は、明らかに「視覚障害者」としての工夫、道具などを駆使せねば、日常生活が不能でありました。
視覚以外の問題であるかのように思われていた時でさえ、実は道を覚えるときは足裏の感覚やかおり・曲がり角などで風が顔に当たる感覚などが主で記憶していたり、突然飛んだりそもそも頼りようがない視覚をまるで信頼しておらず、耳や手で判断していた方が早い状態、これが当たり前で今までの人生、生きてきたのです(そしてそれにやっと客観的に気付き、自覚・言語化できるようになってきた)。
そして、今まで「解離」によって何とか誤魔化してきて問題をすり替えてきた部分や、過剰適応してしまっていた部分の反動もあるのか、また、実家を離れて初めて新しい環境・新しい人間関係・独力での生活をするようになったこともあってか、まるで私は「視覚障害者」として見える状態なのだと、どんどん知っていきました。
ついでに、「解離」症状は、無理やり神経や身体の内臓の状態などまで一時的に変えてしまう疾患でもありますから、ただ「誤魔化す」ために、恐らく羞明(眩しさ)や、動体認識に耐えられない神経反応なども、無理やり抑えて(神経を麻痺させて)、「視覚認識をある程度できなくする」ことによって逆に「ある程度見えているふりをする」程度までは視覚を使えるようにしてきた部分があったのではないか、と考えられました。それですらも、視覚障碍人格が大変に多かったわけですが。そして「解離性の症状」によって身体症状は精神症状の宝庫となっていたわけですが。

そんな状態で、とにかく現時点の状態としては。
外出時の遮光グラス・白杖はもとより、こうしてPC作業をするなど「視機能」を駆使する作業も、ここには書ききれないほどの多種多様な工夫をしながら視覚は結局ほとんど使わずに、それでいてごく短時間に済ますしか方法がなく、何より24時間、「動くもの(自分が動くことも、眼球が不随意に動いてしまうことも含めて)」に酷い拒否反応を示すため、また「光」自体が眼や脳への強度の刺激になり、これらを無理に感じ続けてしまうと下手をすれば数日起き上がれなくなることすらあるため、ほぼ閉瞼した状態での「全盲状態」での生活でなければ、日常を耐えることができません。(ちなみに閉瞼でも他の人たちが全く裸眼で問題ない日常光でも眩しく、閉瞼でこれを浴び続けるだけでも強度に疲労が溜まり体調不良に直結していきます)

以前の記事にも書いているように、例え無理やり目を開けるということをしていたところで、視覚が正常に機能する回路(神経や脳のシステム全て含む)がどうやら「定型」発達をしておらず、視神経や脳の情報処理の問題で光(見る・見えるものというのはすべて光波です)や動くものを適切に処理できないのだから、「視機能」自体を日常に使うことができないのです。

「見る」という機能は、眼球だけではなく、視機能に関係する神経や、そこから繋がった画像処理だけでなく記憶や言語などあらゆる脳の領域が完璧に連動することによって可能となる、実に壮大で複雑極まる働きなのです。


しかし、昭和60年代(私が診断されていた幼少期の時代)ですら、「脳波が出ていないんだよ、よくわからないんだよ!」、「反応が遅いのは、小脳が機能していない分、信号が大脳に迂回して到達するのに遅延が起こるからです」(←これは流石に、医師が知らなかったというよりは母にわかりやすく説明するためだけかもしれませんが!)、追視に反応しない→「視覚障害」と記載、というような状態だったのです。

1949年(昭和24年)、障害の基準が国に制定されたとき…私の時代より更に40年も前!
「視覚障害」が、「眼球のみの問題」と表面的見え方しかできなくても、致し方ない時代だったかもしれません。そもそも、脳や視神経の問題なんて、思いつきもしない時代だったかも…しれません。

視機能に関するメカニズムはあまりに複雑で、専門家(眼科)領域ですら、眼科で一番有名ともいえる疾患「緑内障」や「白内障」などですら、メカニズムとしては未知の部分がある疾患だそうです。
私は、実は私の講座などでも五感の「見る」メカニズムを独自の教科書を作って受講者さんに伝えてすらいますが、視覚に関しては表面的な説明だけでもかなりのページ数を費やしていますが、それでも、その私にとっても眼科の説明は難解極まります。
現在日本における眼科専門医も、「眼球」の専門に偏り、患者が来たとき、どうしても「眼球」に原因を求めがちな傾向があるのだそうです。

しかし、眼球は「見る」機能のごくごく一部の部品に過ぎないわけなので、眼球以外の問題で「視機能」に異常があり、視覚障害を呈している人たちは実はそうとう大量に、確かにいる。ということが、僅かずつながら(ただし”専門家”の間では)認知されるようになってきており、でき得る限り視神経や脳機能方面と繋げた視機能異常について研究がなされながら今、第一人者であられる心療眼科(眼神経科)医・若倉雅登先生が、
「眼球以外の問題により視機能に何らかの異常を呈している状態」を、総称して「眼球使用困難症」とひとまず便宜的に名付け、明らかに「視覚障害」であるのに、これが国の基準にないというだけのために手帳や支援すら受けられないのは当事者たちをどれほど苦しめている現状か、と、声をあげ始めておられます。ちょうどここ10年程の話だそうです。
しかしよほど、当事者としてもやっと「自覚」「言語化」できるようになってきて、更に自分自身がセラピストであり研究者の目線もあるからこそそれができるようになってきた私ですら、これを知り、そして「脳性麻痺」と恐らく一次的な原因がわかっているのにも拘わらず「眼球の問題ではない」「検査が一般とまったく同じ国の定めた方法・条件下において数値として出すことが実質不能」というだけで、「眼球使用困難症候群」ととりあえず振り分けられるしかないのだと、知った(若倉先生の診察を直接受けたわけですが)のが、たったここ1か月以内です。

そして、私にしてみれば、幼少時の診断書に「視覚障害」の記載があるのに、そして、慣れた道などはいつの間にか足裏の感覚などで覚えている…つまりつい最近になって初めてできるようなものではない情報収集や記憶の仕方を、周りに「見えている」扱いをされていようとも、幼い時から積み重ねてきていた、という実際があるのに、生まれて40年近く経って初めて到達したことが、これだったわけです。
その上……何度も書きますが、「当事者」としてだけではなく、専門家としての知識や見解もかなりつけた状態で、しかもその状態でいろいろな別角度からの専門家の方々の助けを借りながら膨大な情報を調べ整理を重ねて、その上でなければここにも到達できなかったのです。


少し余談ですが、私は心理セラピストとして、幼い頃の家族との愛着形成や解離など、深く複雑な奥底の問題を抱えて、その上に精神疾患を呈しているような人たちと関わっています。
このようなクライアントさんたちは、精神科に通っていても、「表面に出ている症状(言動・行動・身体の状態)」からしか病名を診断されることができず、治療も薬物治療。薬物治療がいろいろな理由によってできない人もいますが、そういう人に対しては、そのクライアントさんの症状がどんどん明らかに年数と共に悪化の一途であっても、見てみぬ振り。
精神科領域では、実は、幼い頃の「愛着形成」や潜在意識下で起こる「解離」現象の非定型作動などは、専門外なのです。扱わないのです。わかりません。
(そして…それでも「精神」のことを学んできたという認識があるので、まだ、これ自体を「自覚」されている専門家も少ないようです。)
心理療法家は、診断したり国に繋げたりする力はないけれども、それでも苦しんでいる当事者さん達がいる事実だけは確かであるので、そうした「精神科には手が届かない・届いていない」領域を研究し、相手にしています。

若倉先生を始めとする諸先生方も、「眼科」や「精神科」「脳神経内科」などでは手が届かない狭間の未知の領域を扱って手を伸ばそうとしておられるわけなのですね。
ただ……国が診断基準として認めていないため、手帳や支援に繋がるための書類は出すことができない、とおっしゃいました。
しかし、患者である私に向かって憤りと悲痛の声もあらわに「だけどもこれは確かに視覚障害なんだよ!」と、おっしゃっておられました。


私は現在、確かに心理セラピストや心理療法の講師、音楽家などとしてフリーで活動してはいますが、収入になるような働き方は不可能である現状です。
それどころか、ちょっとした日常の買い物すら何時間もかけながらろくにこなすことも困難です。
いや、その前に、受講生さんたちや仕事仲間にも「自分の状態」からしてろくに説明、自己紹介もできません…。
「視覚障害」と名称がついているわけではないので、あまりに認知度が低く、かといってメカニズム的にはひどく複雑難解であるため、理解してもらえません。
実家の家族にすら、言葉ではなるべく逐一説明してはいますが、それでも体感として・実態としては、まったく理解していただくには至っていません。実家では、かつてのようにかなりの無理負担をかけて、視機能を使えている状態を装うか、無理やり使うしか、まだ、一緒に同じ場に長時間いることは難しい…家族ですらそうなのです。
(ちなみに私の家族は、幼少時からなまじそうであったため、「やはり私たちには理解不能な難解複雑な問題がたくさんあるのだ」という理解においての理解をしてくれる状態であったりします)

少なくとも、現状をどんどん言語化し、整理し、声をあげ、自分自身の問題を専門家たちの助けを借りながら逐一整理し、私が私自身で何とか国に僅かでも支援(私自身の生活上の身の安全を守り、「生きる」能力を獲得するための支援)を求めていく他、ないのです。
…ということすら、ここ数日でやっとわかってきました。

せめて、私にはわずかながらの専門家としての調べ方や物の見方・考え方・整理能力などがあります。それを更に更に駆使する能力を、ここ最近、更に急激にスパルタ訓練している実感すらあります。
(”障碍者”が”障碍”や自分に必要な支援機関やシステム利用の手続きをすることやそもそもその存在をあれこれ調べる膨大な作業自体、スパルタ社会適応訓練ですね。(笑))

それと同時に、私が私の今持ち得るものを総動員して、私自身の問題を少しでも動かし進展させ、伝え、広め、知ってもらい、一緒に考えてもらい、大きなところにも届かせる…ということを推し進め切り拓くことによって、同じように「福祉の谷間」に追いやられている人たち(視機能だけではなく)にも、少しは何か、僅かな光明となる可能性、
そして、当事者やそのご家族ご友人や、あらゆる領域の専門家のかたがた、対人支援に携わるかたがた、優しい社会・世界を願うたくさんのかたがたに、知っていただく一端ともなるかもしれない、と、

こうして、私の時限式視覚を時限作業時間に注ぎ込み、少しずつ少しずつ、執筆・活動に充てております。


社会には、福祉の谷間がたくさんあります。
眼球使用困難症や解離性同一性障害、脳性麻痺などだけでなく、愛着形成など心の深い問題もそうですが、それだけでもなく、
本当に必要なところに必要な支援が届かない、
当事者たちも、何をどう調べてどう整理してどこに相談すれば良いかもわからない、そんな現状が、たくさんあります。
(世界のあらゆる大地の上で爆撃を受けながら正しい現状を報道もされず、声もあげられない人たちも、そうですが…。)

私は実はもともと、そういう現状や社会的マイノリティ(障碍と言われるものも含む)に関する活動を、始めておりました。
本当に必要な人たちと、本当にその人たちにその時その可能性を見出すための必要な支援とを、繋ぐことができる体制。
下記、私の主宰するコミュニティも記載させていただきます。

私は、少なくとも当事者を代表する気もセラピストを代表する気も毛頭ありません。
ただ、私はせめて、かろうじて、自分自身にできること、しかも自分自身が何とかして「生きる」ことを、するだけですが、
それでも、同時に当事者のひとりであることも、確かなわけで…そしてそれを、思い知らされたことも確かなわけで。

どうか、拙い記事ですが、広めていただきたいのです。

そして、知っていただきたいのです。

「当事者」が声をあげていかねば、本人それぞれにしか現状はわからず、訴えられず、伝わらない問題ですが、
しかし、その「当事者」が、読んだり書いたりという「視覚」を駆使することが困難であったり、専門的知識や理解が不足であったり、当事者自身が現状を知らなかったり、自分の状態すらまだまだ言語化できていなかったりなどで、「当事者」だけでは、力が足りない問題です。

この記事においては、ひとまず「眼科」「脳神経内科(精神科)」どちらの領域からも手が届かない狭間の領域、における問題について、主題とさせていただきましたが、そして私自身も医学というものをベース”のひとつ”として研究や活動もしておりますが、そもそも西洋医学というものは歴史が浅く、若倉先生のお言葉を借りると「まだ赤ん坊のヨチヨチ歩き」だということ(あるインタビュー動画でこの言葉を使っておられました)…それなのに実質はヨチヨチ歩きの「科学・医学」を宗教のように奉り、絶対的なものとしてあらゆる基準を定め当て嵌めてしまう。発見されていないものは「存在しない」であぶれてしまう。
私自身が他にも体験してきた、脳性麻痺や解離性障害、発達障害などなどに関しても、まだまだそうです。

そしてその中のひとつとしても、「眼科領域」や「脳神経内科領域」でまだ手が届かない未解明(視神経や脳の情報処理領域の障害や連携不全障害)だからという理由で診断書に「(国の定めと同じ)視覚障害」の文字として診断書を書くことができない、しかし日常生活において、生きているすべての場面において視覚障害の人たちの内でも重度と振り分けられる状態と同等あるいは場合によってはそれ以上に困難を抱えている人たちが在り、そしてその人たちは、現状にあらゆる理由があろうと「眼球使用困難症」ととりあえずは振り分けられるしか方法がなく、その上、「振り分けられるしかなかった」ところで、国の障害者認定にも援助を受けることも…(外出では目の代わりとなる白杖の使い方や、生きる上では辛うじて情報の不足を補う手段である点字や音声ソフトの訓練や使い方などすらも)…できない、許されない、という現状があること…。
(ちなみに、私はまったく別件といいますか、精神障害者福祉手帳を取得所持しておりましたが、精神障害者対象の相談施設や就労支援施設などに相談しても、軒並み「実質の問題が視覚による障害と同じであるから、精神障害者対象の施設でできる提案も支援も利用できることは何もない」と言われました。「障碍者手帳」自体は持っていてですら。)

それでも、国は、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を」送れ(送って良い)と言っているのです。
「教育を受ける権利」
「労働基本権」
「勤労の権利」
「生存権」
そしてすべての生活部面において「社会福祉、社会保障及び公衆衛生」の最低限のものを受ける権利があると言っているのです。

しかし今のこの状態で、これで、福祉の狭間にすっぽりと陥った当事者たちは、たった簡単な外出でも自分の身を守れるでしょうか。
私のように障害者手帳を”たとえ”持っていてですらも「問題が”視機能”だからねぇ…」と、外出の支援や生活に必須の道具の援助や使い方という”(生きるための)教育”どころか、障害者就労支援すら利用できない。これでどうやって”労働”して”生活”し自分を”生存”させることができるでしょうか。
少しの利用・少しの支援さえあれば、自分の身を自分で立てる道を作る・立てる力自体はあるのに。

国にまだちゃんと声が届いておらず、まだまだ現状理解に至っていないのなら、困っている当事者個々が何とかして道筋を見つけてあらゆる自分たちのキャパシティを超えたものを駆使して声をあげていくしかないのですが、それでも、『当事者たちだけ』では足りない問題です。
そして、国に知ってもらうためには、伝わるためには、どんなに少なくとも、苦しんでいる当事者たちが相当数に実在するということと、具体的に困っていることが如何に視覚障害であるかということ、そして、少しでも少しでも、こういうところを片手間にでも読んでくださるみなさんに、周囲のかたがたから、知ってもらい認知を深め広めていただくことから、なのです。
今現段階の私ですらも、そして仮にも今既にそれなりには心と身体の専門家・研究者である私ですらも、既に多くの方々にあらゆることを調べていただき相談に乗っていただき支えていただきながら、やっと今ここに立っています。

この長文ですがここまでお付き合いいただき、まず、深く感謝いたします。
ぜひ、あなたからまず、存在を知っていただくことが今、できています。
ここから、知っていただきたい、そして、広めていただきたいのです。


そして、もし、少しでも関心を持ってくださったかた、共感くださったかた、
国の事情や生理学的医学的な難しいことはわからないけれども街での社会的マイノリティへのサポート法だけでも知りたいと思ってくださるかた、
また、当事者やご家族、ご友人のかた、

ぜひ、私の主宰コミュニティを記載しておきますので、
問い合わせフォームより、メッセージをください。
お話うかがいたく、また、私の中の情報も僅かなり、少しでも共有させていただきたく、思っております。
問い合わせフォームからは直接わたしに繋がりますので、どうぞお気軽にお声がけください。
※返信の際はGmailのアドレスから送信しますので、Gmailが迷惑メールやゴミ箱に振り分けられないような設定にしてください。3日以内にはお返事させていただきます。

※当コミュニティは、コミュニティ内に更に「障碍・社会的マイノリティ」に関する活動ページを設けております(目下制作中ですが、24年4月からは公開予定)。特に視覚障害に関しては、当事者たちの生活上の工夫などについての交流の場なども設けて行こうと予定しております。

そもそも前例自体がない、私が自分自身のために動くことで、そしてあなたが今少しでもこんなことがあるのだと知ってくださり、知ろうとしたり伝え広めようとしてくださるだけで、何かが変わっていくかもしれません。
いや、まずはそういうところからだけでも確実に変わる、寧ろ何かが変わるとしたらそういうところからが始まりだ、という、そういう次元の話なのです。

また、眼球使用困難症について、若倉雅登先生のご著書から、私自身も少し情報整理をさせていただき、この記事にもそこからの情報もお借りしました。新書で、手軽な大きさ・内容量・値段で、一般向けなので大変わかりやすく紹介されています。
図書館などにも置いてあります。
ご興味のあるかたは、ぜひお手に取ってみてください。
『心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因』集英社新書
若倉雅登 著

この若倉先生のお生まれの年が、国の身体障碍者福祉法の制定年と同じ1949年と記載されていたことが、私にとっては勝手に何やら意味を感じてしまうような衝撃でした。余談です。

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