この身体の先天性脳性麻痺について

はじめに

今回、Imranの器の身体の先天性脳性麻痺について、記事にしてみようかと思います。
現在の私達を外から見て、脳性麻痺児だったと思える人は、恐らくいないでしょう。後程説明しますが、結構無理やりながら普通学級を次々卒業し、現在も全く通常に見える日常を送っているのですから。
手帳に関しても、どうやら一度取得しようとしたようなのですが(解離などもあり、我々は記憶が曖昧な点が多々あります)、いずれにせよ結果的に取得には至らなかったそう。
また、診断された当初は明らかに手帳は出る状態だったわけですが、これも時代の影響が大きかったようで、「本人の意志がある前に手帳を取得してしまうと、将来仕事をする時や結婚をする時に弊害になり本人が苦しむ可能性がある(障碍者手帳があり社会的に障碍者とされる立場となってしまうために、職に就けなかったり結婚できなかったりする)」と言われ、保留にしたそう。
そのため、今現在は名実ともに完全な「グレーゾーン」と呼ばれる状態です。
ただ、これも後程お話しますが、何名もの医師に「成長しても100%寝たきりになる」と宣告され、現在も脳性麻痺から来るものだろうというような、日常におけるハンディがあります。
ちなみに、障碍者手帳に関しては、現在、いろいろな意味で社会で生きていくにあたり、取得しておいた方が良いという判断に至っており、今更ながら取得の道に動いています。

脳性麻痺とそれによる症状を記事にしたのははじめてかも?

ただ…実は脳性麻痺についての話題を取り上げるのは、我々にとっては大分難しい。
私たちは我々自身の自己分析や物事の考察、解離について、事業についてなどなど、あらゆることについて文章を書いてきました。ただ、脳性麻痺というものについて、そして我々の器(身体)に起こる症状などについては、今まで記事にしたことがありません。Twitterのbot配信などでちらっと脳性麻痺というものについて配信したことはありますし、Websiteにて診断されたこと自体については書いたことがありますが、当事者目線からの記事を書いたことがなかった。

その理由としては、恐らく以下のようなものです。

脳性麻痺を当事者目線で説明しづらい理由

・先天性ではあるが小学校の時から普通学級に通っていたため
つまり、(自分は他のみんなと同じ条件であると思い込んで)他の子供と同じように行動しようとしていたため、自分の脳性麻痺の事情を知っていても、よくわからないまま隠そうとしていた(もしくは説明できなかった)のですね。
小学校中~高学年の頃など、母親同士で事情を話し「フォローしてあげてね」などと相手の子供に伝えられていたようなことはありましたが、その時はやけに電車に乗るなどの度に支えてくれたり、こちらは身体が小さく相手は体格がどちらかというとしっかりしていて内面もしっかりした子だったため、同級生でありながら姉のような感覚、同時に同級生なのにどうしてこんなまるで自分の子供みたいに手取り足取りされるのか、というような葛藤もありました。
事情をあまり説明するということなく(寧ろ説明することに葛藤を持っていたり「自分は自分の不具合を説明してはいけないんだ」というような自分への妙な禁止を抱えたまま)成長してしまったので、何となく説明がし辛いまま、仕方も良くわからないまま、今に至ります。

・グレーゾーンのため
上の理由とかなり重なりますが、グレーゾーンで外見からは事情がわかりにくく、しかも自分も普通学級で何とかついて行っていたため、そして先天性なので物心ついた時からその状態が普通で、他と自分が何か違うらしいが何がどう違うのか、他の人間になってみることもできないので比べることもできず、説明が難しいのです。極端な話、先天盲の方に「見えないってどんな感じ?」と聞かれてもご本人は「見える」状態を知らないのだから説明できない、とも同じ理屈だと思います。我々交代人格が、1つの身体に1人の方の感覚がわからず、何がわからないのか聞いてもらわなければ説明が難しいのとも同じですね。
また、自分でわからないというのもありますが、周りに何とかついて行くことができてしまっていたので、自分で自分に「これはただどんくさいんだ」というレッテルを貼り、何か困ることがあっても自分の状態について話すべきではない、自分であまりばれないような形で工夫して何とかしなければならないという思いも、幼いころからあったのではないかと思います。
極めつけに、困ることがあってもそれ自体が複雑すぎて、言語化しにくいものばかりなのです…言語化能力自体も今までなかったということも言えるかもしれません。

・脳性麻痺という障害自体、未解明部分が多い
脳性麻痺という障害も、元々が脳の問題であるためでしょう、医学界でも説明が難しい部分が多いようです。更には罹患者によっても症状が全くバラバラで、更にそれによる二次障害なども多いため、非常に複雑なのです。
これについては、やはり医学界で未解明部分が多い発達障害や解離性同一性障害についても全く同じことが言えますね。

・どこからどこまでが脳性麻痺によるものかわからない
上の理由とかなり被ります。脳性麻痺自体が複雑であり、症状ひとつとっても、それが脳性麻痺(出生時脳に損傷を受けた部分)に因る症状なのか、それともそこに到達するまでの神経か、それかその症状が起こる部分(目やら筋肉やら)自体の問題なのか、はたまた全く別の(例えば感覚過敏やら解離やら、二次障害も含む)特性や病態の範囲の症状なのか、判別できないのです。解剖できるわけでもないので医者にも判別できないでしょう。
また、我々交代人格の場合は、各個人の身体機能の差や症状もあります。脳性麻痺特性自体も強く出る者もいれば、かなり超越する者もいます。文字通りどこからどこまでが脳性麻痺によるものか、わからないのです。

ただ、この場においては解離や発達障害などについてもオープンにした上で記事にしますので、ひとまず区別できる限りでは区別をしつつ、この身体の「脳性麻痺」の面についての記事作成に、挑戦してみようと思います。

記事作成挑戦の理由

ふと思い立ったというのが理由なのですが(笑)
Easy Going Life Partnerの活動を公に出してからというもの、私達は当事者目線で特に解離についてや、HSP、感覚過敏、LGBTについてなど開示するようになってきました。その中でも一番開示しにくかったのは、脳性麻痺と発達障害。上記の理由ですね。
そして、当事者目線での当事者の感覚の周知の一端として、我々自身の例やバリアフリーにも言及するような記事も出してきました。
特に当事者として当事者歓迎のカウンセリングやヒーリングなどやっている限り、やはり自分達のことについてくらいは言語化できなければ。

それと、脳性麻痺の当事者の方の記事というのが、とても少ないのですね。やはり複雑な症状が多く言語化しにくいというのもあるでしょうし、脳性麻痺は知的障害を伴うことも四肢機能の運動失調を伴うことも多いわけですから、文章を書くとかPCで文字を打ち込むようなことを苦手とされる当事者も多いことでしょう。そして、当事者自体の全体数も少ない。
ただ近年になって、脳性麻痺当事者が発信しておられるYoutubeなど、少しずつ見受けられるようにもなってきましたね。実はその方の影響もあります。なるほど、このように開示して行くのか、と。また、当事者の実情を知られていないことも多く、人によって伝え方や解釈も違いますから、この方の伝え方でまた別の語弊を招くことも勿論あるわけで、では別の視点から、別の人間からの開示がひとつ増えることは、何らかの形では有用になることがあるのではないか、と思えたという面も。

それに、これについて説明している中ではどうしても他発達障害や感覚過敏、解離などにも触れることになります。そういう面でも、別の視点からの資料のひとつともなるかと思います。

面白そうだ、と思われた方は、ぜひこのままお付き合いください。

出生時・診断

覚えているわけではないので何とも、と言ったところではありますが。
この身体の母親という人が、関係があるかないかはわかりませんが、機能不全の劣悪な家族環境で育ち、神経症的性質で、若い頃は精神病棟に閉じ込められたこともある(当時は牢獄そのものの酷いところだったそうです)というような人でした。ただ、この人の妹さんはこの身体より1つ年下を筆頭に3人の男の子を生みましたが、彼らは健康そのものです。ですので、母の性質や体質・ストレス状態などがどれほど影響したのかは、わかりません。
また、これは実はつい近日知ったエピソードなのですが、出産間近の時、一度酸欠になるほど全力疾走をしてしまったことがあるそうで、「もしかしたらこれが原因のひとつだったのかもしれない」というような話もしておりました。
ただ直接原因に近いと思っているのは、この辺り実は記憶も情報も少々あやふやなのですが…当時、出産時(難産の時?)に良く使われる薬品があったそうなのですね。そして、この薬品(恐らく今は使用禁止)が使用されていた頃、脳性麻痺児が多かったとか。その上、我々(の母親)の場合は通常投与しても1回であるべきその薬品を、3回も投与されたそうです。
そして、母が酷く難産に陥り、本来あきらかに帝王切開をすべき状況であったのにも拘わらず、何故か結果的に医者が麻酔医に連絡するのが遅れ、大病院に回すこともできず、自分のところの小さな医院で丸一晩かけ、自然分娩(鉗子を突っ込んで赤子の頭を掴んで引きずり出した)をさせたのだそうです。この辺りも、経緯や理由は良くわかりません。
ただ、それが直接原因で、なかなか生まれられずに脳が酸素欠乏状態に陥り、少なくとも小脳が壊死したのだそうです。

脳性麻痺とは出生前もしくは出生後に脳が損傷することによりあらゆる症状が表れるということ、その原因には妊娠中や出生後の何らかの感染や染色体異常、低酸素虚血性脳症などがあるようですが、つまりこの身体の場合は、出生時酸素が脳に長時間回らなかったことによる低酸素虚血性脳症によるものです。
また、出生時は低体重の未熟児でした。

この時かなり重度だったらしく、7名の医師が口を揃えて「成長したとしても100%寝たきりになる、例えできても背這いのみだろう」との診断を下したそうです。また、内1人は、筋ジストロフィーの診断を下したとか。

幼少時

恐らくアテトーゼ型だったのでしょう。かなり酷いアテトーゼ(不随意運動)があり、ひたすらすごい力で反り返っていたそうです。
抱きかかえても首が坐らず、抱きかかえる手を押し返すように反り返るので、抱っこひとつが大変なことだったそうです。
やはり覚えているわけではありませんし後から聞いた話を繋ぎ合わせているに過ぎないので詳しいことを説明できないのですが、初期の頃は全く何にも反応を示さなかったのだそうで、少なくとも恐らく目は見えていなかった。乳も自力で吸うことができなかったそうです。

母は音楽家だったので、当時の子供番組の音楽を手あたり次第根こそぎコピーしてはピアノで弾いたり、エレクトーンで煌びやかなリズムや楽器音などをプログラムして作ったものを弾いたり、歌ったり、とにかくずっと聴かせ続けてくれたのだそうです。何とかして何かに僅かにでも反応しないかと。

…結果的には、これは一種の音楽療法の役割を果たし、大きく脳の可塑性を高めたひとつの大きな要因だったのだと判断できます。
この頃聞かせ続けていてくれたらしい曲の歌詞とコードをひたすら書きつけたノートや、プログラムされたエレクトーンのカセットなど、今現在も残っています。そしてエレクトーンでそれを流すと、まず身体の奥から何かが反応します。恐らく、身体の奥の奥の記憶に残っているのでしょうね。

~児童期

後述しますが、周囲より大分遅く目が見えるようになり、立ち上がれるようになったのもかなり遅かったようです。
ただ、もちろん音楽を聞かせ続けていただけでなく、(恐らく”反応”をするようになってから?)区の身体障碍者福祉施設にリハビリに通い続けていたわけですが。
あまりここで詳しく書きませんが、言葉が身につくのも相当遅かったようですね。
ただ、もしかしたら辛うじてついていけるのでは、という希望が見えていた部分があったのか特殊学級に通わせることにかなり悩んだようで、保育園・小学校と、母が無理やり捩じ込む形で通常学級への入学が叶ったようです。
しかしながら、捻じ込みさえすれば通えるという状態ではなく、リハビリ施設の理学療法士には「お母さん、〇〇ちゃんを殺す気ですか」と言われながら、小学校のトイレを全て洋式に変えてもらい、2階だった教室を1階にしてもらい、更には区の補助要員を入れるという、なかなかすごいことをしたようです。
今から考えれば、最終的に正解(?)だったということですから、凄い判断ですが。
ただ、先生には障害の話は通されながらも、小学校低学年の頃の先生は理解のない先生で、この子を劣等性扱いし優遇する優等生の子に「この子は仕方がないから面倒見てあげるのよ」というような発言を繰り返したり、毎日放課後にひとり残されて滾々と叱られその教師の望む返答ができなければ帰してもらえないなどという暴挙の時期があったり、高学年になれば高学年になったで前述したような同級生から過剰な親切を受けて葛藤に悩まされたり、また後述するような色々な困難もあったわけですが。
まぁ、通常なら普通学級は通えない、学校側にも受け入れられないと言われていたのを直談判し捩じ込んだくらいですから、当然困難がないわけはありませんね。

視覚について

さて、少し時期を戻します。
目が見えるようになるのは、他の子供より随分遅かったそうです。それまでは見えていたのかいないのか(恐らくこれは「目に入った情報を脳が認識・処理する機能」の意味での「見える」です)、何かじーっと見つめているような時でもあらぬ方向、大抵は何もない壁を見つめ、まるで幽霊か何かが見えていたかのようだったそうです。
物質世界のものを初めて視認したのは、ある時突然、視線の先にあったタオルの青い蝶の刺繍に反応したこと、だったそうです。
こんな情報を今私が知っていること自体、当時両親にとって、物凄く重大な出来事だったことが窺えます。

ただ、ここからはやっと自分達の記憶と感覚ですが、目が見えるようになったのが通常より遅かったためか、この身体は未だに、視覚情報の認識や情報処理に非常に手間取ります。そして、我々も大多数が聴覚優位、もしくは体感覚優位で、視覚優位の者は殆どいません。
小さい頃から例え目で見えていたとしてもわかって(認識して)いなかったりすることも非常に多く、例え目で見えていたとしても自分達でも自分達の目で見た情報を信用できていない部分が酷く多いのです。
そして大抵耳からの情報や気配に先に敏感に反応し、幼少期から背後・周囲の気配(目で見えるものの気配も見えないものの気配も)に非常に敏感でした。
我々の中の多くの者は、未だに目で判断するより先に触って確認する者や場合も多いです。
更には、これもこの身体自体のようですが、幼少期から周囲の人が全く平気な明るさでも眩しく感じる傾向がありました。外に出たら眩しく、道路の照り返しが眩しく、白い横断歩道はとっても眩しい、というような。今では「羞明」と説明していますが、当時はそんな言葉…あったのでしょうか?少なくとも知りませんでした。

視覚の話については実は結構多いのです。
羞明は日中だけではありません。幼い頃には夜間出歩くようなことなどありませんからその頃どうだったかはわかりませんが、夜のネオンや車のライトなど、酷く眩しく、視界の中で光が舞い、周囲の状況がほとんど見えないほどの状態に陥ります。
また、動体視力が弱いらしく、追視ができないと言われています。追視ができず、認識力が遅く、脳での情報処理が遅く予測もできないため、それだけでも車の免許はとれません。
実際、球技などは苦手でした。ボールが目で追えずどこにあるかわからないというだけではありませんでした。焦点が動いていくのがダメなのです。
つまり、コートの中で動き回ったり、誰かに呼ばれてぱっと振り向いたり、校内の階段を上り下りしているだけでも、焦点がだんだん移動して行く行動です。例え自分が動いていなくても、動きの激しい子供達が目の前を横切っていったりわやわや動いているだけでも、焦点を合わせていることができなくなることになります。このような時、突然視界がどこかに消え失せたようになり、しばらく全く何も見えない状態が続きます。
小学校の頃は階段の上り下りだけでも視界が飛んでしまうのですが、周りの子供達は当たり前ながら普通に歩いたり走ったりして上り切り下り切っていましたので、同じようにしなければならないのだと、途中で止まったりせずに視界が全くなくなっても移動し続けていました。
これは家族から聞いたエピソードですが、当時、視界がぶっ飛んでしまったり体幹のバランスがとりにくい中で、子供たちが一斉に階段を上り下りする教室移動の時や登下校時など、やはり怖かったのでしょう。「みんなが行っちゃってから最後にひとりでゆっくり手すり持って移動している」と母親に報告したことがあったそうです。
夏休み明けや冬休み明けの体育の時間、必ずドッヂボールがありました。子供達の体力の成長度合いを見るのに都合が良いのでしょうか?
 この身体、恐らく脳性麻痺もしくは発達障害のためでしょう、身体的発達も非常に遅く、この行事が恐怖でした。長期休み明けの度に、子供達の力、ボールの威力やスピードが格段に増すのです。子供達の動きも激しくなります。子供達や自分自身が激しく動く(焦点移動が激しく定まらなくなる)ため即座に視界もなくなります。人との接触は本当に危険ですので恐怖です。コートの端になるべく動かずいようと思ってもコートの線がわかりません。
また、飛んでくるボールは当時の子供ながらの感覚では(今でも同じような気がしますが…)弾丸そのものでした。目が見えていないので特にだったかもしれません。飛んでくる時の音、風、気配。しかも周りの人との接触が怖いのでどちらに避けていいのかわからない。下手に動くと人に接触しなくてもコートから出てしまうかもしれない。弾丸に当たる恐怖で必死で上や下に避けていたのです。
 今では小学校の頃よりは動体視力はあるのではないかと思いますが、それでも焦点が変わっていく動き、突然振り向いたり人ごみだったり(人ごみは気配が苦手という方が大きいですが)階段…特に螺旋階段などは苦手です。やはり視界が飛びます。
階段は(これは人と一緒に歩く時に非常に困るのですが)、斜めの角度では上り下りできず、途中で対向から来る人を避けて移動するようなことはできません。必ず直角(真っ直ぐ)で、極力手すりには頼ります。でなければ怖いです。

また、街中を歩く際、見えているはずなのに"突然現れた”障害物や人や自転車や車と接触しそうになる、という傾向も多いのです。気配恐怖もありますが、こういう意味でも人混みは怖いのです。

これは、アテトーゼの名残なのか、それとも視覚に関係する反応なのかわかりませんが、何かを見ようとする時(?)、首が全く思わぬ方向を不随意に向こうとしてしまい、なかなか見ようと思うものを見ることができないことや、首を左右に動かすなど(焦点が変わる動きでしょうか?)した時に、やはり首が不随意に動き、意志で首の位置を止められないことが良くあります。
ここまで健常者並みの生活をしていて未だにアテトーゼがあるものなのか、わかりませんが、これは謎の症状のひとつです。もし専門医などおわかりになる方いらっしゃいましたら、見解をお教えください。

視覚に関しては実はまだあります。
視野もどうやら狭い…らしい。しかし、視野に関しては本当に人と比べようがありません。人の視野を体験したことがありませんから。それに、「焦点」という問題もあるので、同じところを見つめながらどこまでの範囲が見えているか、ということ自体、この身体はうまく測れないと思われます。
しかも日常生活においては、視野が広かろうが狭かろうが問題があることは確かです。
恐らく視覚情報の認識や情報処理が遅いからでしょう…物を見る時、どうしてもそれに集中をするのだと思います。つまり、視野云々の前に常に何かに視線を集中させている状態なので、視野の端で何かが動いても気付きません。…つまりは、視野が狭いのと結果としては同じですね。また、最近発覚したのですが(何せ視野の問題は、ちょくちょく家の人達に気にされ、これが見えるかあれが見えるかと試されるので)、盲点の位置も他の方より位置が違うかもしれません…?

そして、これは解離が絡んできますが、我々交代人格の中には、視覚関係の異常を持った者が非常に多く、特に表に出て安定する者や精神的人間的に安定している者ほどその傾向があります。視野狭窄、羞明・夜盲、弱視、全盲、中にはPDES(眼球使用困難症)のような症状を呈する者もいます。これは、恐らく身体の視機能(脳も含め)にも関係があるのではと思われます。
交代人格という面からの視覚異常については、別の者がまとめた記事がひとつあるので、noteに纏め直したものを繋げます。長いですがご興味あればこちらもご覧下さい。
(ちなみに、今現在は過去にこの記事を綴った者―今は殆ど視覚が使えないのですが―日常生活やセラピー・音楽活動のほとんどを担っており、内部もほとんど統合状態で内外共に管理能力があります。そのため、現在この器自体も実質大半の時間視覚不自由の状態となっているわけですが、これには精神の成長の目的と、過去の問題、そしてその解決のためであると考えられます)

https://note.com/preview/n747c0c403da9?prev_access_key=c7a0d6281e9da94c11879728b3870434

やはり表に出ている人にもよるのですが、人と歩く際、相手の斜め後ろを歩こうとする傾向のある者もおります。これは相手を見失いそうで怖いからですね。視野が狭い、もしくは横の人をちらちら確かめているような視覚的余裕がないのでしょう。

そしてこれも多くの者に共通しますが、人と待ち合わせをした際、ひたすら自分の外見やいる場所を細かく相手に通知します。これも、こちらから相手を認識したり見つけることが苦手なため、相手から見つけてもらえるためです。

…芋づる式に出てきますが、この身体の傾向として、これも視覚認識の同じ問題ではあるのだと思いますが、人の顔認識も苦手です。
人の顔を記憶できないのです。仕事で相手や客を見分けて記憶していなければならなかった時も、視覚情報では覚えられず、声で覚えていたり、気配・オーラ・全体の雰囲気のようなもので覚えていました。

聴覚について

そんなわけで視覚には自分達自身でもはっきり自覚するようなハンディがありましたため、他の感覚は鋭敏になったようです。
また、脳性麻痺児には聴覚過敏が多い、という話もあるようですが、この身体も聴覚過敏だと思われます。
幼い頃から大きな音には非常に驚きやすく、しょっちゅう飛び上がっていました。少々遠いところで鳴った音も非常に近く聴こえます。
これは精神的なもの(性別違和)も多分に絡んでいたかもしれませんが女声が苦手で、特に高音は全てがキンキンして聞こえました。その頃の主人格は、「自分はテノール歌手かバス歌手になる」と思い込んでいたようです。
やはり性別違和の影響も多分にあり、ミュージカル観劇などした際にはその後いくら思い出そうとしても女性が出ていたか、女性のナンバーがあったかすらも思い出せないくらい、女声嫌悪があったようです。
ここで細かい経緯は省きますが結局声楽を習っている時も音大に入ってからも、自分の出す高音や頭の中での響きにも耐えられず、かなり伸び悩みました。今でも無意識にわざと一番良いところの響きを外してしまっていたりするので、まぁクラシック声楽…特にオペラやドイツリートには少なくとも不向きかもしれません。
声楽(発声)と高音&声量、性別違和の三つ巴の闘いは、長い間熾烈を極め、折り合いをつけつつも未だに解決しきってはいません。この辺りは別の記事で、いずれ出てくることと思います。

嗅覚・触覚・味覚について

纏めてしまいましたが、基本的に聴覚と同じく、どれも過敏傾向があります。
嗅覚に関してはやはり視覚を補うことも多かったのでしょう。僅かな嫌な臭いにも敏感で、逆にアロマやハーブ、紅茶などの香りの嗜好が強いです。視機能が弱いメンバーは特に鋭敏に反応します。

触覚も、洋服の素材やタグ、身に着ける素材などで肌にトラブルを起こしたりするようなことは多いですが、これは完全に感覚過敏ですね。
目に見えないエネルギーを手や腕で感じやすい傾向があったり目で見えているはずなのに視覚情報を判断するより前に手で触れて確認したりする習性がありますが、これに関しては過敏というほど過敏ではないと思います。点字の触読も遅いです(とはいえそれなりに触覚だけで判読できるメンバーもいるにはいますが)。

味覚も感覚過敏という意味では、どうやら敏感なようです。家の人達が気付かない程度の野菜の農薬臭や違和感なども随分感じ取っています。

筋肉・骨格・運動機能関係について

さて、一番説明の難しいところに来ました。

味覚から繋がったので思いついたところから行くと、先程も「幼少期、乳も自力で飲めなかった」と書きましたが、嚥下機能には問題があるようです。脳性麻痺自体、咀嚼障害や嚥下障害は多いようですね。
小さい頃はシロップなどの薬でも口に含んだまま飲み込めず結局吐き出してしまったり、食べたものを咀嚼・嚥下できないことも多かったようです。
食べ物でも未だに「飲み込みにくい」などの理由で避けるものが案外あります。
ただ、実はこれは成長後、この身体においては有利に働いた面もあり…
 OD(大量服薬)ができないのです。
それでも一度本気でしたことがあるのですが……何時間もかけて…最終的に気絶する程度でした。
風邪薬3錠などにしても、通常3錠一遍に飲み下す人が多いようですが、1錠ずつ、しかも都度結構な量の水がなければ飲み下せません。
また、飲み込む際、これもアテトーゼに近いものなのでしょうか?思うタイミングで嚥下することができない、という現象が起きます。他の人にもあることなのでしょうか…。それでタイミングを失うと、いつまでも飲み下せない、という状況に陥ったりすることもあります。

この身体の脳性麻痺は、小脳の壊死です。
つまり、一番には運動失調として影響が出ていると考えられます。
実際体幹障害があります。身体の成長も遅く、弱く、身体の軸もできず、体幹がどうしても弱いのが、音楽家(しかも声楽)である我々の悩みでもあります。
ただ…この「体幹」という言葉、非常に人にわかってもらいづらい!音楽やヨガをやっている人になら通じやすいのですが、一般の人には浸透していない言葉なのですね…。
体幹は、基礎的に問題ない人なら意識もせずに済むのかもしれませんが、これが弱いと、日常の行動全てに難やアンバランスが出てきます。身体全体の基礎筋力のような部分でも追い付かないのです。また、例え部分的に筋肉自体はあっても、それをバランスとってうまく使うことができないのです。

また、脳性麻痺は筋肉のバランスにかなり支障を来します。
日々の動作、例え歩くや座る、腕を伸ばすというだけでも、常に収縮する筋肉と拮抗筋の働きがあります。
極端な例ではありますが、片腕を肘から曲げるだけでも、片方(上側)の筋肉は収縮し、反対側の筋肉は弛緩しなければ、腕を曲げることはできません。あと、それを絶妙なタイミングでやらなければ、意味がないわけですね。そしてこの力のバランス・タイミングのバランス配分が僅かに変わるだけで、曲げる角度や曲がる方向、もしくは腕以外の筋肉への影響も変わって来るのです。
そして、人間の身体はこれらの微妙~で複雑な筋バランスの調整を、毎秒常に全身の筋肉で行っているわけです。
脳性麻痺の運動失調というのは、このバランスをうまく使うことができないのだといいます。
ヨガをやるようになってから、それが体感としても良くわかるようになりました。なので、日常の動作全てで問題なく無意識にこれをこなせてしまう身体であったら、いくら説明されてもわからないものかもしれません。

しかし実はこれは、日常の全てに影響を及ぼしてくるのです。
この身体はまず、歩くという動作が苦手です。疲れやすいとかいうこともあるのでしょうが、それ以前に、歩くという動作自体にも、恐らく他の人達よりも余程あらゆるところに「意識」をしてしまっていると思います。歩くという動作は難しいのです。
 その上、もうここで書きますので後述しませんが、この身体は足の骨格にも形成異常があります。それも加わって、相乗作用で歩くという行為は難しいのです。靴も同じものでしか歩けず、高校の時は制靴が似ていたからごまかし、大学時代の演奏の本番などですら、長いスカートで隠して誤魔化したり、どうしても仕方のない時は舞台に出るぎりぎりのところで履き替えたりしました。
そして、いろいろな形状の道を歩くのが苦手です。少し斜めになった道、狭い道、砂利道、タイルがでこぼこになった道…普段あまり気付かないかもしれませんが、この違いでいちいち歩き方を変えなければならなかったり途端に歩きにくくなってしまったりする身体にとっては、これが案外、本当に多いのです。舗装されている道路でも。
余談ですが、それでもこちらの弱視や視野狭窄などのメンバーは、視覚障碍者誘導用ブロック(点字ブロック)に頼って歩いていたりします。ただ、点字ブロックの上は歩けなくなるため、歩きにくさを感じながら、点字ブロックの端に片足を乗せて使っていたりします。
他、斜めになっていたりタイルがでこぼこしている道では、寧ろ点字ブロックに完全に乗ってしまった方が歩きやすいという場合すらあるのですよ。

この身体、高校の時までは片足立ちもできませんでした。
高校の時に無理やりダンス部に入り、その後も声楽をずっと続け、現在はヨガやフルートなどの効果もあり、大分色々な部分の筋肉はついてきましたが、やはり体幹は日によって(人によっても)かなりの差があります。そして、既にある筋力を引き出せていないのは明らかです。体幹コントロールというのは、この身体にとって本当に難しいのです。

そして、今まで「歩く」とか「片足立ち」とか単純な動作しか言いませんでしたが、日常の少し複雑な動作など、この身体では「できそうなのに何故か他の人たちと同じやり方・同じスピードでできない」ということが案外多くあります。
これは、アルバイトなど経験していた時、困ることが起きていました。アルバイトなどの時はスピードや急または複雑な動きが求められることが多いので、運動失調の問題だけでなく視覚的な問題も多かったわけですが。
また、何か同じことをしていても、家族や近くで見ている人に、「??何か違う…」と違和感を持たれることが多いのです。身体の使い方、動きが、「合っているんだけど」何か違う…。ピアノの手の形などでも良く言われたものでした。合っているはずなんだけど、なんか形が違う、と。先生でもそれがなぜだかわからないのです。

他筋肉関係・障碍の外からわかりにくいところ

このようにして、兎角、「見えないところ」「見てもなぜだかよくわからないところ」に支障が多く出てくるのが脳性麻痺です。

他…泣いていたら腕が痺れて硬直して、鳥の手羽のようなおかしな形で固まってしまったり、緊張すると変なところの筋肉が硬直したり弛緩したり(つまりコントロールが利かなくなる)、日常の中で突然足首や手首が何故か固くてうまく柔軟に動かせず、普段の動作がしづらくなるようなこともあります。
この身体の場合はしかしこの程度で済んでいますが(恐らく長年舞台に興味を持ちストレッチやダンス・音楽など続けてきたことがリハビリ効果にもなっているのかもしれません)、脳性麻痺の方で手足の突っ張りや手首足首の硬直が強いために、足を地面についた時に適切な姿勢がとれず、歩行が困難というような方も大勢いらっしゃいます。トイレに行って座った時に出そう(出さなきゃ)と思うがゆえに逆に筋肉が勝手に緊張してしまい、ぎりぎりまで我慢していたはずなのにうまく出せなくなるという方もいらっしゃいます。また、うまく立てても全身の筋力バランスがうまく保てないために、立てるし足も動くし筋力もあるのになぜかうまく歩けない、すぐに腰や足が痛くなったり疲れやすいという場合も非常に多いのです。

―余談1―車椅子使用者=歩けない、は思い込みですよ

車椅子を使っていてもそんなわけで自分の車椅子に掴まって立ったり歩いたり、できる方もいらっしゃいます。車椅子に乗っているのに立ったり歩いたりできる、という先入観からの違和感が持たれる場合もあるかもしれませんが、「立てる、歩ける」ということと、「どんな場所でも歩き続けられるか」「身体に酷い負担がなく移動ができるか」ということはまた別問題なのです。

―余談2―視覚の問題で移動困難=携帯電話見ない、は思い込みですよ

 またも余談ですがこちらの弱視メンバーは、視覚過敏表示のカードを鞄から下げながら、あからさまに点字ブロックや手すりを伝ったりしている移動時、遮光グラスをかけながらPCや携帯電話を拡大機能やら音声機能やら駆使して使っていたりもします。本人達自身も違和感があり、気まずさがあるそうです。彼ら(電子画面自体が平気な場合ですが)、カメラは良く使うのですよ。周りの景色や信号などを直に見ることが難しいため、カメラで撮って見たり、撮ったものをズームで拡大して確かめたり。今の携帯電話のカメラは性能が良いですね。
 前述しましたように現在日常の大半を担っている主軸の人格状態は、ほとんどの場合明暗や大げさな色の変化程度しか認識できず、携帯画面も認識できないので、かなりできることは制限されたり問題が起こりやすいですが必要な際は音声操作を使っています。そして、逆に彼らの方が携帯電話がないと困ることが多いともいえることが増えています。なぜなら、移動中困難に直面して周囲に自分から助けを求めることが難しいとき、家族や知り合いに電話をかけたり、見えていなくとも音声操作で周りの景色や店の商品などをカメラで撮って送って確認してもらったりできるから。また、最近は音声で道順や周りにどんな店があるかなど教えてくれるアプリも開発されてきています。
視覚障碍者も携帯電話は使うのですよ。

―余談3ー我々の専門・発声について

先程聴覚の項目のところでも書きましたが、今でこそプロフェッショナルとして活動してはいますが、この身体は発声についても周りの人達よりも恐らくハンディがあったものと思われます。
・聴覚過敏による高音や響き・声量を受け容れられないという生理的拒絶問題
・性別違和による高音や女声そのものを受け容れられない精神的ブロックの問題
・解離性同一性障害(交代人格であること)による、物質的身体の声帯と自分自身の精神体の声帯のズレ(自分の声帯を扱えても、その上で肉体の声帯を扱う技術を肉体的にも精神的にもマスターしなければならないのです。これに関してはまた記事を出すことがあると思います)
 などの問題に加えて、
・脳性麻痺による基礎筋肉や筋力バランスを操る困難

も、少なからずあったと思われます。我々の場合は声楽家であり音楽講師の母をずっと見ていたことで幼少期から恐らく歌うことや声を使うことには興味があり、声楽を本格的に導入したのも中学の頃ですし、ミュージカルナンバーを歌ったり人の声の研究をしたり声変わりをしないためにこの身体の低音開拓などもずっとしていたので、自覚としては薄かった上、結果的に人の倍以上打ち込み自然とリハビリ以上のことをしていたわけですが、実際問題この身体、声のコントロールは非常に苦手でした。実のところ今でも苦手です。
会話の声からして、音量のコントロールや抑揚のコントロールを利かせるのはなかなか大変です。
大学時は体幹とのバランス調整をせねばならないこともあり、この頃波が激しかったり理由がよくわからないのに伸び悩んでいたのは、こういうこともあったのだと思います。
それにこの声帯はやはり弱いです。すぐに痛めてしまいます。
そして現在はそのような体験も踏まえ、ヴォーカルトレーニングやクラシック的発声練習で声を痛めやすい人や、会話の段階でも大きさや抑揚の調整が苦手な方々にも、声や声帯を痛めない無理をかけない徹底的な省エネ方法で、ヴォーカルトレーニングにもなり会話声もいつの間にかコントロールできるようになっていき、人間性や人生的にも開けて行く…というようなメソッドを、我々のひとつの分野としてお伝えしています。
ヴォイスヒーリングヴォイスメンテナンスがそれです。

ー余談4―利き手の問題や舌の筋肉?自分で自覚できないもの

声の問題で思い出しましたが、舌を操る制御もこの身体は苦手です。恐らく咀嚼障害や嚥下障害とも関係があるものでしょう。しかしこれに関しても、何せ役者としての勉強もしてきましたし声楽家としてはプロにもなっていますので、必然的にリハビリどころか他の人達よりも余程トレーニングを積んできているのですよね。なので、日常外からは恐らく微塵も感じられない部分ではないかと思います。しかし、「他の人もそうなのだろうな」という思いが先行し人に言ったりするようなことはありませんが、実際トレーニングの効果が出にくかったり、違和感を感じることは多い部分です。

そして、「利き手」に関しても面白いエピソードがあります。
この身体、小さい頃から何をするにも左だったそうで、家族がひたすら矯正させようと右に持たせ変えても、どうしても左に戻ってしまったのだとか。
これも実際元々左利きになる脳回路(?)の場合もあるのかもしれませんし、脳性麻痺が関係があるかどうかはわかりません。
しかし、もしかしたら、比較して自覚できないほど僅かに(もしくは最初からこの状態のため違いを自覚できていない)、右半身に麻痺気味の部分があるのかも、しれません。
実際日常に影響を及ぼすほどではないものの、ごく細かないろいろな部分で身体の右側を受け入れがたかったり認識しにくかったりする部分はあります。

視覚の問題などでもそうですが、元々この状態で来ている(健常状態を知らない)ため、記事にこれだけ書き並べても、恐らくもっと自覚できていない部分は多いと思われます。だからこそ結果的に「あれ?できているのに何か変。何か違う」というような状態が起こるのでしょうから。

脳性麻痺の身体のバランス確保?

これは全く脳性麻痺が関係あるのかどうかはわかりません。
しかし、この身体、非常に身体が小さいのです。小柄で、身長も伸びず、体重も増えません。
ただ、この身体でもし身長体重がもっとあったら、体幹や足の変形した骨格が耐えられず、身体への負荷も現在の比ではなかったかもしれない、と、話す時があります。
もしかしたら、この身体の生き残り策のひとつかもしれません。

脳性麻痺の二次障害

あまり心配してもあらゆる可能性があるので仕方のないことですが…
脳性麻痺は、必ず二次障害に見舞われると言われています。
そうでなくとも脳性麻痺は合併症が多い。発達障害や神経症も併発といえば併発かもしれません。解離能力が高いことや解離性同一性障害の発症も関係はあるかもしれません。
そして、既に変形している骨格など、足は特に一番負担がかかるため、この身体でも既に出て来てはいますが足指が痺れやすかったり外反母趾のようになったり、姿勢を庇うために足首にトラブルが起こりやすかったり、他の庇っている部分の筋肉バランスがどんどん崩れて行ったり、あらゆる面で二次障害は免れないと言われます。
脳性麻痺は筋力の減退が一般の人より早期から始まるとも言われます。20代~30代には起こり始めるとも言われるので、この身体も明らかに差し掛かっています。いつ何が起きてもおかしくはない、というのも脳性麻痺の特性のひとつのようです。

最後に

かなり久しぶりに、この身体自体の状態について見つめました。
そして、幼少期の記憶のない時から、医学的に説明できず当事者として言語化するにも複雑で曖昧な部分も多い記事となりましたが、脳性麻痺は日常の細かい違和感やトラブルを言っていくと言いきれない上、実は根っこが複雑で深刻だったりもするのです。

兎角、例えば「足」が悪いわけでも「目」が悪いわけでもないのに、表面化する形としては「歩けない」「見えていない」というような症状として現れたりするのが、「脳機能」の問題です。
また、直接的に四肢が悪いわけではない(原因が別の複雑なところにある)がために、外側から見れば「あれ、この前はできたのに」と思われるようなことが、本人の「不具合の理由」にとってはこの前とは環境が違ってうまくできない…というようなことが起こり得るのが、この系統に起こりやすい問題です。

そして、我々にはこの症状は現段階にてはほとんどない、と自覚していますが、知的発達や聴覚の部分に問題がないのに、つまり頭の中ではあらゆる考えが巡り周りの言うことも聴こえて理解もできているのに、「口や舌や喉の筋肉のコントロール」がうまく働かせられないため、もしくは「脳の情報処理に時間がかかるため」に、しっかりと制御された声で返答することができなかったり、ひどく反応が遅く時間差だったり、言葉で返答ができなかったり、リハビリして発語はできるようになっていても非常に聞き取りにくかったりゆっくりだったりしてしまい、結果的に「知的障害」や「聴覚障害」だと先入観的に勘違いされてしまう。
更にアテトーゼ(筋不随意運動)があり、自分の意志と関係なく手足が突っ張ってしまったりおかしな動きをしてしまう。
視覚に問題があれば突然視線が外れてあらぬ方を向いてしまったり、我々のように時々首の不随意運動が起こりうまく相手の方を向けないことも(これは我々にもあります)。
そうすると尚のこと、「発達障害」「知恵遅れ」と言う風に結び付けられやすい現状があります。
我々も発語は問題なくなっていますが、それでも脳が部分的に壊死している分信号が遠回りをしているか何かで(このメカニズムの説明自体はかなり怪しいですが。笑)、「反応の遅延」はありますし、前述したように僅かですが「舌」のコントロールも下手です。
しかし、彼らはあなたや周りの言っていることがちゃんと全て聴こえていますし、理解できていますし、頭の中でちゃんと意志や答えを持っています。

ここの壁は、かなしい。

せめて、こういう方を見かけても、外見と内面は全く違うことの方が多いと思いますので怖がらず、また本人ちゃんと聴こえて解っていることも多いので心無い言葉を呟いたりせず(聞こえず解っていない人相手でもダメですけどね)、必要以上にゆっくり喋ったり子供言葉を使ったり大きな声で喋ったりするのは、「相手にちゃんとその必要があるか」をある程度コミュニケーションして判断してからにして下さい。
本人がゆっくりたどたどしくしか発語できなくとも耳と頭脳回路は明晰なこともありますし(その場合あなたもゆっくりたどたどしく話す必要はどこにもなく、寧ろ失礼にあたることになります)、本人が大きな声しか出せなくても、耳が悪いのかな?と勘違いして大きな声で話されると、脳性麻痺は聴覚過敏の傾向があるのでひどくびっくりして恐怖を抱いてしまう場合もあります。
そして、四肢や首のアテトーゼも、緊張すると強く出てしまうことが多いです。なので、人と対話している時や外出中は出やすい傾向が高いでしょう。しかし、これも暴れたくて暴れているわけではなく、本人の意志に反して身体が勝手に動いてしまうのです。あなたに危害を加えることはありません(健常者と同じで、本人の人間性が危険でない限り、ですが)。

我々のようなまるで外見何もないようなグレーゾーンでもこれだけ連ねてしまうので、脳性麻痺についての興味や、アテトーゼやてんかん・言語障害などで一見近づきがたい印象を受けてしまいやすい脳性麻痺の方への知識や理解の、少しでもきっかけになりましたなら幸いです。

また何か気付いた際にこの記事も更新して参ります。

長文にここまでのお付き合い、本当にありがとうございます。

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