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人生で大事なこと

付加価値をつける


幸いなことに、私は、お金に困ったことがありませんが、高校生のときのパン屋のアルバイトでは、所得税が掛かるほどシフトを入れてパンの成形まで修行し、学生になってからは、夜は歯科助手のアルバイト、週末はゴルフ場のキャディー、働くのが大好きでした。

どのバイトでも、一緒に仕事をするのは母ぐらいの年齢層で、手際、気配り、仕事の要領、ワザを惜しみなく教えて下さいました。同年齢だったら、そうはいきません。

名門小金井カントリーでは、一流企業の会長さんたちから強かさを教わりました。キャディーは、お客さまをよく観察して、絶妙のタイミングでクラブを差し出さなければなりません。次に使うクラブの番手を読むとか、始めてコースをまわる方には距離や攻め方をお伝えできると最高のキャディーです。同じお客さまに付くことは、ほとんどなく、一期一会、「君がキャリーしてくれてよかった」この言葉がお金より嬉しいチップでした。努力とか一生懸命に貫いてやることで自分に付加価値をつける、お金より大事な喜びや達成感はバイト時代に学びました。


人と違う考えを恥じるな

やり抜くとか、突き抜けるとか言いますが、そこに到達するとスペシャリスト、専門家になります。業種が違っても、同じ種類の努力をした人は、不思議な力で惹きつけ合います。それは、喜びや苦労したことを共有したり分かち合えるからかもしれません。私は、相手の目で見分けられる気がします。

私がドバイで仕事を始めて間もない頃、日本人が電話とバスで移動するのは恥ずかしいとか、馬鹿だアホだと言われました。駐在妻ではなかったですが、気づけば、そう言った人たちはドバイから姿を消しています。自分の足で手で必死にやってきたから、何の後ろ盾なしで10年やってこれました。50度以上にもなるアスファルトの道を、2時間3時間歩きました。バスを乗り継いで、どこへでも行ったからこそドバイでやってこれたのです。バスで移動したことは、後々車を運転したとき、道の記憶と交通ルールがわかってとても役に立ちました。

地図が破れて何枚も取り替えました


私とはすれ違いでしたが、日立のマネージャーの奥さまが、会社の車を使わずどこへでもバスの路線図を片手に、乗り継ぎ乗り継ぎ出掛けるという話を聞きました。それは、メトロ開通前のことです。日本人学校の校長先生の奥さまが、フィリピン人やアフリカ人を家に招きご馳走したら、すごい勢いで噂は広まりした。それが、なぜ批判されるのでしょう。私は、そんな話から勇気をたくさんもらいました。どの国の人も同じ人間で、自分の力でドバイにやってきて仕事を見つけ給料を得ている、人の噂話で過ごす人たちとどちらが生きてる感があるでしょう。人生は一度きりなんです。

役所の人たち、ウォッチマン、お抱えタクシードライバー、シャワルマ屋のお兄さんたち、スーパーで働く人たち、みんな全力で私たち親子をサポートしてくれました。今でも「元気にしてる?」とたまに連絡してくれる彼らを一生忘れません。

運転上手なドライバーの電話番号をもらい、どんなときも来てくれた


ドバイに来た翌年、私を気遣って訪ねて下さった、私より少しお姉さんの方がいました。バレエスクールを主宰されていて強い志を持った方でした。当時、お忙しかったのでしょう、体はずいぶんお疲れでした。2〜3回施術をされて、その後は、お客さまから活躍の噂を聞くだけでした。今日、いらしたお客さまから、昨年夏、思いかけずお亡くなりになられたことを知りました。ドバイで自分の手で勝負している、数少ない同志でした。

私は、人生は一度きりだから悔いのないよう生きてきました。どうしたら痛くならずに生き抜くかを研究して、ほとんどの病は、この姿勢で治ると確信できる姿勢に辿り着きました。これを広めるのが、私の最後の仕事です。体の中は、開けてみることはできません。運なのか神様が決めるか知りませんが、亡くなられた彼女のように私もいつ病に犯されるかはわかりません。私にいつ何が起きても困らないよう、娘を育てました。娘が困るような、余計な不動産も処分しました。父が亡くなったときに、処分に困ったのがいくつもあった不動産です。娘に、同じ苦労をさせたくありません。

誰も持っていない能力があれば、それをお金に変えて生活できます。逆に言えば、生活できる能力を身につけるというです。それが、付加価値です。専門家になって、自分の力で生きる、やり抜く、突き詰める、人の何倍もの苦労しますが、娘も誰かを助けられる人になり、誰かの忘れられない人になり、この世に生きた証を残しいほしいと思います。

玲子先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。お疲れさまでした。お会いできて光栄でした。ゆっくり、おやすみください。



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