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Reスタート~美容室で起きた奇跡~

35才独身、恋人なし、子供なし。ついでに、趣味もなし。
目的を持って生きている人間と人間の隙間に落ちた、ただ何となく生きている人。

8年前、自分のことをそう思っていた私は、長く住んだ東京を離れて東北の田舎にある地元に戻った。

地元に戻ってどうするのか何度も自問自答したけど、答えが出る前に考えるのをやめてしまった。もう考える気力すらなかったのだ。

東京で最後に勤めていた会社はそこそこいい会社で、派遣から始めて正社員になり、昇進も叶った。財布を一つ持って、人気のパスタ店で1,200円のランチを食べ、仕事帰りはヨガ教室に通う普通の毎日。
この、これといった問題のない、淡々と進む毎日が何だか恐ろしかった。

平和で、安定していて、人並みの生活が出来ている。
自分は幸せな人間なんだ。
そう思わなければ贅沢だと思って、35才になるまで決断できなかった。


―でも、もう頑張れない―


1千万人以上人口がいる東京で、自分だけひとりぼっち。
新宿で人とすれ違うたびに感じる寂しさ。
週末に友人と出掛けても家に帰れば結局ひとりになるわけで、さっきまで人がいた分、余計につらかった。

だったらいっそのこと、周りに人がいない孤独のほうがマシだと思って、人口の少ない地元に帰ることにした。なぜ帰るのかと聞かれたときには、「親の具合が悪くて」と嘘を付いた。「孤独だから」なんて、恥ずかしくて言えなかったから。

地元に帰ってから1か月は友達と会ったり、観光に行ったり、何かと忙しくしていた。


でも、就職活動は全然やる気が起きなかった。
髪の毛も伸びたし、美容室に行ってからじゃないと始められない、という言い訳。

東京で最後に美容室に行ったのはいつだったろう。
ちょっぴり白髪まで生えていた。

地元で美容室を見つけるのは、「心」のハードルが高い。
そこに住んでいると認めることになる。
そして私には、別のハードルもあった。

私は昔からじっとしているのが苦手で、常に動いている子供だった。
だから、美容室でカットとカラーリングを合わせて約2時間、じっと座っているのはこの上ない苦痛。頑張ってじっとしてはいるけど、自由を奪われたような絶望的な気持ちになる。

映画館なら、途中で退出しても誰も気にしない。そこには自由がある。
でも美容室はそうはいかない。髪を洗い流して乾かしてもらうまで、必ずそこに座っていなければならない。と、私は思っている。

ほかのひとは一体、どうやってこの苦痛に耐えているのだろう。
美容師さんと仲良くお喋り? スマホでネットサーフィン?

私はよく知らない人と上っ面な話をするのも嫌だし、興味のないネットニュースを永遠と読み漁るのも嫌だ。
だから昔から、ものすごく集中できる本を持ち込んで読むようにしている。ありきたりに聞こえるかもしれないけど、私は美容室に本を持ち込んでいる人を、自分以外に見たことがない。


美容室に行かないまま、さらに数か月が過ぎていた。


手入れをしていない髪は限界を迎え、私はとうとう観念して、ネットで適当に見つけた美容室を予約した。

ネットで見た写真は、薄いピンク色の外観に茶色で統一されたオシャレな内装だったのに、 いざ行ってみるとそこは、美容室というより昭和の理容室のような雰囲気。田舎の美容室の現実は甘くない。

スタイリングチェアは2つのみで、ほかに客はいなかった。

出迎えてくれた中年の女性美容師は、私に予約名を聞くでも、個人情報の記入をお願いするでもなく、椅子に案内した。そして、簡単にカットとカラーの希望を聞いただけで、すぐに施術を始めた。

このスピード感、もしかしたら早く終わるかもしれない。
私にとってはそれが何よりも重要なこと。
期待を胸に、持ってきた本を取り出して読み始めた。


 カットが始まってしばらくすると、こんなことを聞かれた。


 「お客さん、学生の頃に来たことあるよね?20年くらい前だと思うけど」


私はその日が初めてだったので、前に来たことはないと答えた。
しかし、彼女は客の顔を覚えるのが得意らしく、絶対に私を見たことがあると自信満々。そして、いかに自分の記憶力が優れているかという自慢話が始まった。私は本に集中したかったけど無視することもできず、仕方なく耳を傾けた。


「髪を切るときってその人の顔をよく見るでしょ?だから絶対忘れないの」


なるほど、美容師は顔周りを扱っているから、人の顔を覚えるのが得意というのは頷ける。でも、20年前に来た客の顔を覚えているものだろうか?


この美容室は、私が20年前、高校生のときに住んでいた家から自転車で15分の場所にある。そして、私は友人からしょっちゅう「昔のこと全然覚えてないよね」と言われるほど記憶力が悪く、高校生のときに行っていた美容室のことなんて全く覚えていない。

つまり、自分が忘れているだけで、ちょうどいい場所にあるこの美容室に来ていたとしてもおかしくないのだ。
もしかして私、ここに来たことある?
そう自分を疑い始めた私を見て、彼女はさらにこう言った。


「〇〇高校の制服、着てたよ」


それはまさに、私が通っていた高校の名前だった。
本当に私かも。
自分が覚えていない自分を、他人が覚えているというのは何とも不思議な気分だ。

しかしまだ、私ではない可能性もある。この高校に通っていた学生は、近所に数十人はいたのだ。
すると彼女は、最後に駄目押しの一言を放った。


「一生懸命、参考書を読んでたよ」


間違いない……
私だ……



嘘みたいな話だけど、自分だと分かった瞬間、隣のスタイリングチェアで参考書を読んでいる制服姿の私が見えた。そのときの髪型まではっきりと思い出した。全体的にシャギーが入った、ミディアムロングヘア。そしてこの美容室で、こけしのようなボブヘアに切り揃えられたのだ。

私は自転車でここにやって来て、一心不乱に英語の参考書を読みながら、苦痛な時間をやり過ごしていた。
そう、今と同じように。

あの頃の私は、どんな未来を想像していたのだろう。
少なくとも35才で地元に戻ってくるとは思っていなかったはずだ。
しかも独身、恋人なし、子供なし、趣味もなし。
目的を持って生きている人間と人間の隙間に落ちた、ただ何となく生きている人……

でも、高校生の私よ。

必死に英語を勉強したお陰で、夢だったアメリカ留学は叶ったよ。

何回か転職は繰り返したけど、いつもご飯だけは食べられた。

結婚はしなかったけど、好きな人にも出会えた。

今振り返れば、大人になってからの人生は、すごく楽しいわけじゃないけど、そんなに悪くもなかったな。

大嫌いだった地元に戻ってきて、こうやって思わぬところで私と再会することもできた。

孤独だろうが、何も持ってなかろうが、美容室が苦手だろうが、まあ何とかなるもんだ。

だから高校生の私、心配するな、そのまま頑張れ。
私もこれからまた頑張ってみる。


私はじっと椅子に座っている苦痛に耐えながら、隣にいる高校生の私にそう話しかけた。


どんな髪型にされるのか、不安を抱えながら。


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