海外フリーランスを目指すことは、生き方を選ぶこと
海外でコミュニケーションの仕事をしたい。
そもそも「海外に住む」「海外で働く」に憧れたのは、子供の頃のそういった漠然とした夢がきっかけだった。
ただ、20年近く経っても夢だった海外移住を「すぐ動かなければ」と背中を押したのは、日本での働き方への疑問。
新卒の時からブラックな働き方は経験していて、MAX1ヶ月会社に泊まり込んで仕事していたこともあるくらいなので、そういう体育会系の働き方が苦手とかではない。仕事は大好き。むしろ趣味。
けれど、30代を超えて結婚もしていると、いつまでも自分の時間、家族の時間を削ってまで仕事に没頭することに「これでいいんだろうか?」と思うこともしばしば。
休日に映画を見ること以外やることが思いつかない自分に「自分って本当は何やっている時が幸せなんだっけ?」と思い返す。
そこで、日本の価値観や、「頑張ることがいいこと」みたいな空気から一度離れてみたくなった。
アメリカに住んでみたら、「生きている」と感じた
日本にいた時は、何不自由なく、毎日がスムーズに流れていた。
でも、アメリカでは当然ながらそうはいかなかった。
文化が違う場所で生きる。
多民族国家と言われるくらい、生まれてから今までの生き方がそれぞれ違うアメリカ国民。言葉以上の多様性だった。
日本人だと「郷に入れば郷に従え」となるべく馴染もうとするかもしれない。他の国にもそういう民族はいるだろう。でも、どちらかというと「自由気ままに、それぞれ気持ちいい生き方をすればいいじゃない」。そういう人が多いと感じる。
格好も、仕事の仕方も割と自由。ルールはもちろんある。でも絶対に曲げない信念がある。その自由を守る権利があると主張して生きている。
世界各国それぞれの自由が混ざり合っている社会が存在するのか、と驚いた。自分ももっと、自分に都合のいい自由というのを考えてみてもいいかもしれない。少し心が解放された。
常識が違う場所で生きる
自由とはいえ、社会のルールはある。
ただし、日本の常識とはかけ離れている。
ホームレスを支援しよう。積極的に寄付しよう。困っている人を助けよう。
無償の親切がある一方で、ビジネスライク。サービスをしたら報酬を求める。報酬が発生しない仕事はしない。報酬以上のサービスもしない。
めちゃくちゃプロフェッショナルだな、という仕事がある一方で、割り切った仕事もたくさんあって、その格差はなかなかすごい。雑な扱いは受けるし、頼んだメニューと違うものが運ばれていくるし、送られた荷物は届かない。
これはもはやサービスなのか、、と思うこともw
でも、これがアメリカ合衆国。
世界からの見られ方が違う場所で生きる
アメリカにいると、アメリカの影響力の大きさを感じる。ドラマで「アメリカの大統領は世界一の権力者だ」という表現を見たことがあり、「図々しい国だな」と日本にいる時は思っていた。アメリカにいたら、確かにそうかもしれないと感じる。それくらい、アメリカの一挙手一投足が世界に与える影響は大きい。
その分、世界からの注目度も大きいし、小競り合いもよく起きる。しょっちゅういろんな渦に巻き込まれ、世界で起きていることが、他人事として放っておけない。日本では「対岸の火事」と思っていたことが、自分にとても影響することだと、感じざるを得ない。
そういう日々がずっと続けば、心がざわつく日も多い。「日本は平和」の感覚を生々しく実感できる。
社会の仕組みが違う場所で生きる
国民を管理するソーシャルセキュリティナンバーも、住居の賃料の考え方も、契約の仕方も、免許も、医療も、保険も、郵便一つ送るのも、挨拶でさえルールが違う。
日本では知らない仕組みがあっても、すぐに吸収することができた。根本の仕組みを理解しているから。
でもアメリカについては根本の仕組みがわかっていない。いちいち学んで「あ、そういうことになっているのか」「あ、そうだったのか、損した!」を繰り返して、表面的なことから徐々に背景にある仕組みを理解していく感じ。
ただし、言語が違うので、一度じゃ理解できない。毎回冷や汗、あぶら汗。記憶にないけど、子供の頃は知らない世界にポンと生まれてきて、こういうことを繰り返しながら学んでいったのかな、と思うと子供ってすごいですね。
マイノリティとして生きる
当然ながらアメリカで日本人はマイノリティ。日本人というより、見た目から「アジア人」カテゴリに属されるし、なんなら「中国人でしょ?」から入る。たまに「日本って中国の一部でしょ?」くらいの知識の人もいる。
シアトルは日本人が多い、と言われるけど、街中で会うことはほぼない。多いと言ってもその程度。
そして、アメリカにはアジア系だけでなく、アフリカ系、ヒスパニック系、先住民、など混血も含めれば多種多様な人種がいるわけで、人種間で差別的な意識を持っている人も多くいる。
日本にいたら日本人に囲まれているので感じることが少ない「日本人としてのアイデンティティ」。そして肩身の狭さ、心細さのようなものを、若干感じることがある。
人は叶えることではなく、叶えている過程に喜びを感じる
まあ、とにかくいいところも、なんだかなあと思うところもたくさんあるアメリカ。この国で生きていると、摩擦が多い。何一つスムーズに進まない。それが大前提。
でもその分、常に必死。生きていると感じる。
その必死に生きている感じが、少し楽しい。
最近どこかで見たツイートに以下のようなことが書かれていた。
人は何か一つ夢を叶えると、さらにその先の夢を見る。
結局「何かを達成する」ことではなく、目標を追って「成長している過程」に喜びを感じる生き物である。
結構腹落ちする内容だった。
海外移住すること。その手法として海外フリーランスを選んだ。「海外フリーランスです」と名乗れる状態にはなったけれど、まだ何も叶っていない。まだ生きるために必要なルールを学んでいる最中。同時並行で海外での仕事を作り出していかなければならない。先は長いけど、その過程が楽しい。
そんなこんなで、「移住できたら半分夢が叶ったようなもの」「期間限定で10年程度住めればいいや」と思っていた海外移住。今では永住してもいいかもしれない、とすら思い始めている。というか、それくらいじゃないと先が見えないw
なんとなく飛び出してみたい、といったきっかけから始まった海外移住だけれど、大きく生き方が変わった。
海外フリーランス、海外ノマドというと、「自由だ!」みたいなイメージが先行しがちだけど、実際に異国の地に住むことの中身は実に奥深い、新しい生き方の選択なんだな、と実感している。
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