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第3回THE NEW COOL NOTER賞食育・子育て・おいしいもの部門~9/28講評

第3回THE NEW COOL NOTER賞食育・子育て・おいしいもの部門へご参加いただいている皆様。

9月部門につき、合計で30作品の応募をいただきました。
いよいよ、受賞の時も近づいてまいりました。素敵なトロフィーも用意しておりますので、どうぞ、最後までお楽しみください。

本日は、3つの応募記事へ審査委員それぞれからの講評を掲載させていただきます。食育・子育て・おいしいもの部門の最後の講評となります。
どうぞ、楽しんでいってください。

(本日の講評者)

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<講評(Norikoさん)>

「料理」は日々生活の中で、食材や調味料と人の手と対話から生まれた、生きるべき形で、「食」は生存や文化の方向を示す船の羅針盤 の
Norikoです

1問不正解
『やった!間違えた!!95点』
笑いながら嬉しそうに叫ぶ声は、私の心にグサリときた。
そして、そのあと隠れて泣いた。
父にこのことを話すと、 
『ひとのミスを笑うのか‥…。
惠は、良い経験をしたな。』
この時は、父の言うことがわからなかった。
母となり、娘と息子の子育てで、父の言葉の優しさを知った。

恵さんの記事です。


人のミスを笑う事
それを良い経験をしたね、と言われる恵さんのお父様。
人の親となった今の私にも
その気持ちがぼんやりとですが分かる様な気がします。

人は誰もが知らずに
悪意の自覚もなく人の上に立とうとする。
立とうと思っていなくても
つい言動で出てしまうと言うことがあります。
テストの点やリレーの順番
子ども心には涙を伴うキツい事であり
言葉であるとも思います。
それがなぜ良い経験なのか、
それが分かるのは人として沢山の人と出会い
悲しみや喜びを分かち合い
経験したことの積み重ねがあってこそ。

『そっか、ママの子で良かった』
笑顔で返してくれた言葉は、父が私に言ってくれた思いが蘇る。
仲間の秀でたことを、素直に凄い、素晴らしいと言える。
娘と息子は、ちゃんと仲間を認めることが出来る子に育った。


恵さんは2人の母親になられ
子ども達との会話の中で
昔、お父様から言われた言葉を思い出されるのです。
人より良い点数を取る事
この世の中は勝ちと負けで表される事が多いと思いますが、
自分の頑張りと共に
一緒に切磋琢磨した仲間を思う気持ちを大切にするという考えが
恵さんの子育てに反映されていたのですね。

その時は分からなかったと書かれていますが
お父様から受け継いだことは
ただの言葉だけでは無かったと言うことでしょうか。


『自分が美味しいって食べているのに、隣でまずいと言われたら?』
それが始まりで、
『お口に合わない』
と言うようになった。
息子の幼稚園の主任先生に
お母さん、今日の給食でね
『ごめんなさい。僕のお口に合わないです。』
『どういうふうに教育してるの?
申し訳けなさそうに言ってくれて、表現が素晴らしい!私達も考えさせられました。』

恵さんの記事を読んでとても感動したのは
お父様とお母様の言葉のセンスがとても
素晴らしい事です。
この幼稚園の先生の言葉にもあるように
『お口に合わない』と言われると
『まずい』と言われるより
遥かに作り手は救われるでしょう。


ふと自分の祖母の言葉を思い出しました。
何か人が話をした時
『え?うそ?!』と何気に返してしまう事が私にはありました。
そんな私に穏やかだけれど一本筋の通った祖母はいつも
『人さまの話を嘘呼ばわりするもんじゃありません!! そんな時は本当?と聞くのです。嘘と言われるよりどれだけ良い気持ちになるか考えなさい』と烈火の如く怒ったものでした。


本当に言葉とは何を選択するかで
受け取り手は大きく気持ちが変わります。
それは子どもだから
大人だからと言う事ではありません。
年齢に関係なく人間関係というものは、その時その時に築かれていきます。
言葉選びの大切さ
その重要性を改めて考えました。

私が子育てでタブーとしていた言葉
どっちでもいい
ありがとうは?という、強制
ダメという否定
頑張ってという応援


あぁとても近いものがあるなぁと思いました。
勝手に親近感です( ´ ▽ ` )

大人になっても自分で選択し決定できない人が増えている、そんな事を聞くことがあります。
それは日本独特の『どちらでもいい』が根っことしてあるように私は思います。
恵さんも書かれていますが、それは日本のシロクロはっきりしないと言う奥ゆかしさに通じるものかもしれませんが、
別の視線から見ると、判断を人に委ねて自己責任から逃げているだけでもあります。
まさにズルいですよね。

ありがとうの強制も同じ様なことで
自分で感謝の気持ちを感じたら言葉にするという判断をする事が大切です。
慮ると言う事も日本文化でとても重要な事かもしれませんが、見方によっては
空気読みなさいよ!の押し付けにもなりかねません。
自分の気持ちを言葉にすると言うことは
大人になればなるほど難しくなるものです。
出来れば子どものうちから
自分の気持ちを言語化し相手に伝える事が出来るスキルを身につける事が必要なのかもしれません。


ダメという言葉を使う時も
なぜそれがダメなのか説明を怠らない、
そんな恵さんの子育てに
子どもを子ども扱いしていない
1人の人間としての尊重を感じました。


また頑張ってを応援しているに置き換えることも、とてもあたたかな、そしてゆとりのある子育てを感じました。
頑張っては一見すると応援し奮起させる言葉ですが、使い方によっては要らぬプレッシャーを生む時もあります。
それならば、あたたかい『応援しているよ』と言う言葉が全て包み込むのでは無いでしょうか。
やはり恵さんの言葉のセンスは
ご両親からの子育てが生きているのだなと
感じるエピソードでした。

子育てと言うと
何はともかく大変でキツくて辛くて・・と
イメージしがちですし
私もついついnoteに書くときは
そうなってしまいがちです。
人はどうしても、そちらにフォーカスしてしまうのですね。

しかし恵さんの記事を読むと
ありがとうと
良かったで溢れています。
その差って何だろうと思った時に

私が思う子育てとは、
親と子である絆、父が亡くなっても思い出は色褪せることなく蘇る。
両親がしてくれた思い出は、親となったことで子ども達へ。


と恵さんが書かれた一節を想いました。
恵さんのご両親は溢れる愛情で
恵さんを育てられたのだなと想いました。
それは表面的なものではありません。
そんなものなら子どもは直ぐに表面を攫って反発もしたくなるものです。
しかし恵さんのご両親は
恵さんを子どもとして愛しむと同時に
1人の人として大切に尊重される姿を
常に見せ、言葉で表現された。

それを感謝の気持ちで受け取られた恵さんの子育ても先程の一節に集約されている様に思われました。

親と子の関係は上下では無い。
頭では分かっていてもついつい
自分の都合の良いように叱ってはいないだろうか、
自分の意に沿わない言動の時に怒ってはいないだろうか、
そんな事を考えさせられました。
そこに養育者としての立ち位置はあるけれど
それは決して上や下などではない。
人が人を育てると言うことは
共に育つと言うこと、
そんな事を改めて感じることが出来ました。

ややもすると子育て中は
目先の事に精一杯で
大切な事を忘れてしまう事があります。
自分の目の前にいる大切な人、
かけがえのない人は
自分の子どもであると同時に
1人の人格者なのだと言う事。

恵さんのご両親はしっかりと
親として人として一緒に歩んでこられた。
だからこそ恵さんも2人のお子さんに対して
伴走する子育ての基礎が出来ていたのではないかと想像しました。

子どもは自分(親)の鏡だと聞いた事があります。
親が笑っていると子どもも笑っていて
親が怒っていると子どもも怒りん坊になるんだと。

親から子へ、子から孫へ
子育ては、永遠だと思う。


恵さんはこう締められています。

お2人もそれぞれ家庭を築かれ
恵さんがご両親から継がれた子育てを
きっと継がれていく事でしょう。

子育てはこうも楽しく
こうも素晴らしく
そして色褪せる事なく続いていくものだと
子育ての幸せな部分を沢山見た気持ちになりました。

素敵な子育てのご応募、ありがとうございます。

森羅万象の居場所を作る【Noriko】が講評しました

森羅万象の居場所を作る【Noriko】が講評しました

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<講評(ゆうのうえんさん)>

「食」はいのち、「料理」は生き方 の
ゆうのうえんです

ことばが喋れるようになった子どもは、
世界にどれだけ自分の気持ちを伝えられているだろう。

「たのちかった!」

短いその一言に
どれだけの体験が詰まっているのだろう。

Mojaiikさんのおうちの子育ては

“おじいさんは山へ芝刈りに、
 おばあさんは川へ洗濯に“

という御伽草子時代からの男女の役割をアップデート。

次女ちゃんが2歳になる前に
お母さんであるMojaiikさんが働きに出て
お父さんは専業主夫となった。

書いてしまうのは容易い。
しかし
おうちにいる人いない人のメンバーチェンジが
次女ちゃんにとってどれだけのインパクトだったか。

我が身に置き換えてみると
この決断と行動力が
Mojaiikさんご夫婦の勇敢さ、互いの信頼の厚さを
物語っていて、凄まじくかっこいい。

お父さんに手を引かれ
一時保育や父子分離の体操教室に
ご機嫌で元気いっぱいに通う次女ちゃんの
「たのちかった!」の一言が
帰宅したMojaiikさんにどれだけの安堵を抱かせたか。


たっぷり遊んで
たくさんの刺激を受けて


保育や教室通いを始められるようになった子どもの1日を
家の外で働く人間が知る術は
「次女ちゃん今日どうだった?」という会話に
全てがかかっているように思う。

そんな距離感は
子どもとの接する時間と果たす役割をチェンジした
Mojaiikさんご夫婦にとってすっぽりと意識を変えていた。

子どもの生活が中心となる主“夫“にとっては
その日のあれやこれやの出来事が、
たのちかった!の一言に凝縮されるのは
もしかしたら歯痒さの方があったかもしれない。


お盆明けの頃、
あんなにはつらつとしていた次女ちゃんが
通園を嫌がるようになった。
お父さんと離れるのを嫌がったり
おうちでも園の話が出るとべそをかく。

「たのちかった!」が「行かない」に変わってしまったのだ。


主夫業に追われ、自由の時間がないお連れ合いを想って
仕事帰りと次女ちゃんの習い事の隙間時間に
お連れ合いをお茶に誘ったMojjaikさんは
夫婦の会話の中で
ご自身の変化に気づく。


“4月から専業主夫をしている夫とサラリーマンをしている私。不思議と夫は「お母さんらしく」、
私は「お父さんらしく」なっている。”


“その人の性格はその人のものだと思っていたが、
どうやら違うようだ。
環境や役割に大きく影響される。“

子どもが変化するときは
親が成長するとき。

大抵は一人ひと役割で子育て期間を爆進突破していき、
その中でどうしても生じる

“もっと私と同じ気持ちになってほしい“

は、日々の波に揉まれては消え、消えない部分は
心の水底に人知れず溜まってしまう。

それを、
Mojjaikさんご夫婦は
互いの役割を入れ替えたことによって
自然な形でその立場だから得られる気持ちを味わい、

子どもの成長へのコミット幅を
大きく広げられている。

ここに綴られたMojjaikさんの記述はきっと
ご夫婦にとって、そして
「たのちかった!」に込められた濃度が
さらにアップしていく次女ちゃんにとっても、

大切な家族の愛しい記録となるだろう。


お連れ合い様にも、読んで欲しいなぁ。

各所に登場する次女ちゃんの「たのちかった!!」に
キュンキュンでした。
Mojjaikさん、素敵な家族の物語を読ませていただき
ありがとうございました。

地球を居場所にする食のアグリエイター ゆうのうえんでした

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<講評(これでも母さん)>

「食」は命を繋ぐ文化、「料理」は食する為の手法 の
これでも母です

タイトルがずばりすぎて、思わずふっと力が抜けました。
タイトルにも、じゅにーさんの実直な雰囲気が出てる気がします。
お名前からして面白そうな予感がたっぷり(^^♪

じゅにーさんは新しいご家族を授かった際に、
今後の『食』の方針を大きく分けて3つ打ち出されたそうです。

・畜産による食肉は口にしない
・乳製品は嗜好品として捉え、たまに口にする程度とする
・化学調味料、合成着色料、人工甘味料など食品添加物を極力排除する

子ども達の食習慣が定着している我が家で、
上記3つを今から実現することはとても難しいです💦
体に良い食の考え方だと頭で理解していても、
切り替えるには家族に理由をひとつひとつ説明し、
家族が納得した上で少しずつ移行すると思うと、気が遠くなりそうです。

それほど食習慣というのは毎日のことなので、大幅な変更がし辛いです。
息子が発達障害の特性で「変化が苦手で、変化を怖いと感じる」為、
ガラッと一気に変えてしまうと精神的負担が大きすぎて、
パニックを起こす可能性もあります😢

お子さんが産まれる前に、
食習慣についてきちんと考えて決められたのは、
ベストなタイミングだなぁと感心しました。
素晴らしいです! (^^♪

じゅにーさんは3つの『食』の方針が賛否両論出る内容であることも、
健康に対する影響も正直定かではないことや、手間がかかるし、
人によっては食べる楽しみが減ることもまるっと含めて理解されたうえで実践されています。
3つの『食』の方針を続けてもうすぐ10年位になるそうです。

人に勧めるにも、こと手間に関するところで拒絶が大きいので、今となっては聞かれれば答えるぐらいの程度だそうです。勧めたとしても受け入れて貰えないことを承知しているからと。

そう考えられたのも当然だろうなぁと思いました。
『食』については、ママさん達の間でよく話題に上ります。
子ども達が幼稚園の頃、ママ友さんで集まるランチ会や、幼稚園のバス待ち中の雑談で、朝御飯の品数などから始まり、おやつは何を食べさせているか、弁当には何を入れてるかなど、誰でも参加できる話題なので話は尽きませんでした。

ちょうどキャラ弁が流行り出した頃でもあったので、キャラ弁賛成派と反対派で完全に意見が割れたこともありました。
「いくらアナ雪が流行っていても、青い弁当で食欲が湧くはずがない。青いご飯を食べさせるなんておかしい!」と怒っていたママ友さんもいれば、「子どもが喜ぶから」とトーマス(やっぱり青だ💦)弁当を時間をかけて作ってらっしゃる方もいらっしゃいました。

私は「手先が不器用で面倒だからキャラ弁は無理」と娘に宣言し、娘は気を遣ったのか「キャラ弁じゃなくて普通のがいい」と言ってくれたので、どこにでもあるようなお弁当を持たせていました。

『食』は、各々の拘りが出て揉めがちなキーワードでもありました。
お互いの『食』への考えを押し付けあう場面に何度か遭遇したのも苦い思い出のひとつです。
よそのお家の食生活に口を出して揉める場面ではフリーズし、
「それぞれのご家庭の事情の範疇なのに」と不思議に思っていました。

話を戻します。
お子さんが三歳で幼稚園に通うことになり、お友達と違う内容のお弁当をきっかけに食生活の違いを徐々に知ることになったそうです。
他のお子さんとのお弁当やおやつの違いに、

方針を曲げるつもりはないものの、親のエゴの押し付けだとか、子どもに選択権がないのは可哀想だなどと言われ、悩んだ時期もあります。

この部分を読んだ時に胸が痛みました。
近くに居たら、「それぞれのご家庭の方針があるんだから気にしなくて大丈夫!」って(余計なお世話だけど)言えたのにと、読んでいて切なくなりました。

私の母も亡くなった祖母も、じゅにーさんのように『食』に拘りがあり、体に悪そうな物を食べさせない為に、惜しげもなく時間と手間をかける人たちです。午後7時の晩御飯の為に3時頃から台所に立ってることもありました。母と祖母を思い出すと、とても他人事のようには思えません。

ある時、複数の親子で遊びに行く計画が持ち上がったそうです。
きっと行われるであろう、子ども達が楽しみな「おやつ交換タイム」。
お子さんが欲しがったらあげるしかないかなと奥様が思われてたところ、

「これは僕が病氣にならないように食べちゃいけないおやつだから、僕は要らないよ。」

お子さんがきっぱりと伝えたそうです。

奥様とじゅにーさんが涙ぐまれたように、
私も思わず涙ぐんでしまいました😢
なんてしっかりしたお子さんなんでしょう。
幼いながらも凛とした言葉に、ぎゅっと胸を掴まれたような想いがしました。
じゅにーさんと奥様の『食』への想いがお子さんにきちんと伝わっていることに心底感動しました。

帰って来てから奥様が聞いた質問への答えも素敵すぎてうるうるで読みました。(勿体なくて引用したくないので作品で読んで下さい❣)

たった四歳のお子さんの言葉が頼もしく胸に響きます。
自分の言葉で説明できるほど、じゅにーさんと奥様の想いや願いがしっかりと伝わっていたことが私も嬉しくてたまりません!

お子さんの命が宿った時に決断し、
ずっと続けてきた3つの『食』の方針を
お子さんが理解し、受け入れている証を見た思いでした。

じゅにーさんと奥様が考え実践してきた『食育』が、それだけにとどまらず、『食』を通してお子さんの疑問にひとつひとつ真摯に向き合ってこられた『子育て』に繋がったことへのお子さんからの優しい答えでもあるように思います。

『食べることは生きること』

大好きなnote友さんの言葉を私はとても大切にしています。
ことあるごとにnoteにも残してきました。
面倒がらずに『食育』を通してお子さんと真摯に向き合ってこられたじゅにーさんの『子育て』からも、同じマインドを感じます。

『食』を通して健康に生きる為に大切なことが何かを伝えていく、
じゅにーさんの『子育て』から学ぶことは多いです。

子育て中の方だけでなく、
多くの方にこの作品を読んで頂き、

『健康で生きる為に、何を食べて生きて行くのか。
 子ども達に「食」の大切さをどう伝えていくのか。』

今一度考える機会になったらいいなと心から願います。


大きな学びとなる作品を投稿して下さってありがとうございました!

家族の居場所を作る これでも母 でした♬

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*講評は分担制としているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

全体の募集要項はこちら

始まる世界部門募集要項はこちら

応募作品はこちらのマガジンに収録されます。
 他の参加者様の作品もお読みいただき、ぜひ、当コンテストを通して新しく知り合い、また仲良くなった、との声をお聞かせください! 皆様の縁がつながるコンテストでありたく思います。

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