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自己否定についての考察(Ⅳ・完)——自己否定フィルターの無力化、おわりに

 以下の記事の続きです。


 5.自己否定フィルターの無力化

 以上の内容を踏まえて、自己否定フィルターを無力化するために筆者が大事だと考えていることを以下に挙げる(もっとも、筆者自身もまだ治療中の身であるのだが)。

 ⑴.自分の心の傷を自覚する

 まずは、自分の心の傷を自覚することである。おそらくこれが一番難しいと思う。これまで関わってきた人たちを疑うのは、あるいは心苦しいかもしれない。とくに家族や夫婦、これまでの友人や恋人などの場合はそうである。彼らは大切な家族であり、大切な友人であり、大切な恋人あるいはパートナーだからである。しかし、人格形成が生育環境の影響を大いに受けるというなら、あなたがこれまで関わってきた人たちの中に、ありのままのあなたを否定した犯人がいるはずである。だから、あなたは今自分を、そして他人を愛せなくなっているのである。

 もし「そのような人など一人もいるはずがない」というなら、どうしてあなたは今深刻な自己否定に苦しんでいて、誰にも助けを求められずにいるのか。どうしてあなたは自分の将来に希望が持てず、死の恐怖とともに無理な努力を強いられているのか。これまで何百、何千の出会いがあったように、これからも何千、何万の出会いを経験するはずだというのに、どうして目の前のたった一人や数人が離れていくことにそれほど恐怖を抱いているのか。それは、心の底では誰ともつながっているように感じられないからではないのか。自分自身に問いかけてみることである。

 親に「あなたのためを思って言ってるの、だからそれに従いなさい!」と言われて、仕方なくそれに従った。しかし、あなたのことを愛しているなら、逆に「あなたのことを大切に思っているから、あなたの信じる道を応援したい。何があっても、私たちがついてるからね」と言ってくれるはずではないか。
 友人に「私たちは友だちなんだから、助けてくれるよね?」と言われて、その人を助けた。しかし、その人は、あなたが困っている時に「あなたは大切な友達なんだから、私が助けてあげる」と言ってくれただろうか。
 彼氏に「君は僕の彼女なんだから、他の男がいるところに行っちゃだめ!」と言われ、行きたい気持ちを抑えて旧友との飲み会を断った。しかし、あなたのことを愛しているなら、逆に「君のことが大好きだし信じてるから、うんと楽しんでおいで。何かあったら、連絡してくれればすぐ向かうから」と言ってくれるはずではないか。
 彼女に「仕事と私どっちが大事なの? あなたは私の彼氏なんだから、もっと私のことを優先してよ!」と言われて、大事な仕事で忙しいにもかかわらず無理をして頻繁に会うようにした。しかし、あなたのことを愛しているなら、逆に「あなたの頑張っている姿がとてもかっこよくて大好きよ。そんな忙しい中で、少しでも私のために時間を作ってくれてありがとうね」と言ってくれるはずではないか。
 夫に「なんでご飯用意できてないの?」と言われて、彼のために疲れた体を鞭打った。しかし、あなたのことを愛しているなら、逆に「いつも美味しいご飯をありがとう。疲れてるなら、いつものお礼に今日は僕がご飯を作るから、君はゆっくり休んでて」と言ってくれるはずではないか。
 妻に「いつになったら昇進できるの?」と言われて、彼女に対して申し訳なく思った。しかし、あなたのことを愛しているなら、逆に「いつもお仕事お疲れ様。あなたが一緒にいてくれるだけで私はとても幸せなの、ありがとう」と言ってくれるはずではないか。
 上司に「お前はうちの社員なんだから、会社のために身を粉にして働け」と言われて、体力の限界を無視して働いた。しかし、本当に良い上司なら、逆に「お前はうちの大事な社員なんだから、身体を大切にしなさい」と言ってくれるはずではないか。
 あなたの苦しみを理解し、それに寄り添ってくれる人は誰一人としていなかったではないか。だから今でも生きることの恐怖や苦しみに孤軍奮闘しているのではないのか。

 とにかく言えることは、自分の過去をひたすら遡ってみることである。疑った結果心当たりがなければ、それはそれでよい。彼らを信じて良いということである。しかし、「本当はあのとき寂しかったんだ」「本当はあのとき嫌だったんだ」「本当はあのとき苦しかったんだ」ということがあるならば、それをちゃんと自覚すべきである。「でも、こんなことで『嫌だった』だなんて……」「きっと私も悪かったんだから……」などと思う必要はない。どんな小さな出来事だろうと、責任の所在がどうであろうと、事実としてあなたはそれによって心の傷を受けている。その現実を認めて受け入れることが重要である。

 ⑵.心の傷を癒す

 心の傷の存在を自覚できれば、次のステップは、それを癒すことである。これについては、以下の拙稿で取り上げたことがあるので、そちらを参照していただきたい。

 ⑶.自分が求めている言葉を自分にかけてあげる

 普通の人は気後れしている時、励まされたり応援されたりすることで力を得る——「頑張れ! 君ならできるよ!」。しかし、自己否定者が求めているのは、むしろ「もう頑張らなくていい」という言葉である。「できなくてもいい、愚かでもいい、苦しい思いをしてまで頑張らなくてもいい。それでもあなたには価値がある。それでもあなたのことが大好き」という言葉である。だから、自分自身に対してこのような言葉をかけてあげることである。声に出してみるのもいいし、日記として毎日書き続けるのでもいい。そのような言葉を送ってくれる歌を、自分に向けることを意識して部屋で熱唱してみるのもいい。小さい子ども向けに書かれた、優しい言葉にあふれた絵本を読むのでもいい。

 ⑷.自己肯定フィルターに差し替える

 そして、このような態度は、究極的には「やっぱり自己否定してしまう。それでも自分のことが大好き」という思考にまで至る。自己否定から脱する方法は、自己否定を否定するよりもむしろ肯定することである。つまり、「どうしても自分には価値がないと思ってしまう。それでもいい。そんな自分でも大好き」と言うことである。こうすることによって、自己否定フィルターから自己肯定フィルターへの差し替えが起きる。すなわち、自己肯定のフィルターを通して自己否定という現象を見ることになるのである。そして、一日の終わりに「今日も一日頑張ったね」とでも言う。たとえ勉強や仕事は思うように進んでいなくても、自己否定と戦った自分がいるはずである。その自分を労うのである。

 自分を褒めたり、自分に「好き」というのは、はじめは変な感じがしたり、「こんなことをしていいのだろうか……」と抵抗を感じたりするかもしれない。実際に筆者もそういう心情を経験している。しかし、そのような心情があるのは、自分が自分を嫌ってきたことや、自分が自分の楽しみや嬉しさを押し殺してきたことの何よりの証左ではないか。そうだとすれば、抵抗があればあるほど、心の底では優しさや「好き」という言葉に飢えているはずである。抵抗感情は、その現実に直面することを恐れているから生じているのではないだろうか。

 だから、その現実を認め、受け入れることである。優しさや好意に飢えていることは悪いことでも恥ずかしいことでもない。飢えているなら、これから自分で心ゆくまで満たしてあげればよいだけである。本当は飢えているのに「自分は飢えていない」と強がることの方が、よほど愚かな自滅行為である。

 ⑸.長期戦を覚悟する

 最後に、長期戦になることを覚悟する必要がある。今までの長い時間をかけて強固に作り上げられた自己否定的な思考回路を矯正するのは、並の所業ではない

 例えば、筆者が自分の心の傷を自覚してからもう3カ月近くもたっているが、現在でも「人前では常に元気でいなければならない」という無意識の観念に支配されている。筆者が幼少の頃から、家族が筆者に対して不機嫌でいることを禁止し続けたからである。「大丈夫なの?」と聞いてくれる優しい人に対しても、たとえ心がズタボロであっても「元気だよ」と反射的に答えてしまう。そういう神経回路が脳の中に埋め込まれてしまっているのである。だから、弱っていることを他人に打ち明け、助けを求めることができない。また、自分の意見があっても自信など持てないし、それを言い出すこともできない。親に自分の考えを尊重してもらえず、尽く封じられてきたからである。言い出そうとすると、心音が漏れ出しそうなほど心臓の拍動が大きくなってしまう。

 このような、無意識の領域に染みついてしまった身体作用を変えることが容易でないということは想像に難くないだろう。筆者自身、「もしかしたら一生をかけても無理かもしれない」と絶望的になるほどである。だから、「一生をかけてその困難と向き合うつもりだ」という覚悟が必要になるのである。これすなわち、「一生をかけて自分を愛する」という決意である。

 6.おわりに

 本稿では、自己否定について筆者なりに考えてみた。自由に記述していったところ、字数が膨大になってしまったため、記事を4分割にして一つのテーマを扱うという形式を試みた。どれか一つでもお読みになってくれた方がいらっしゃれば、心から感謝の意を申し上げる。

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