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noteを育てる

時間やゆとりやキャパがある時に私はnoteを書くことができます。
ここ何ヶ月かはゆとり、余裕がなくて放置していました。別にnoteから離れた訳でもなく、寝て起きて過ごして気づいたら日が経っていました。

noteって1日で何人もの人がスタートして、初めて自己紹介をしていて、
何人もの人が退いていると思います。


書いている記事が残っているから、noteの世界に介入した全ての人と自分は関われる可能性はあるとは言えるけれど

同じ時を共有するには、自分がたまたまnoteを開いて、たまたまnoteを書いているタイミングに、たまたまnoteを始めたり、たまたまnoteを続けていた人、訪れていた人と出会える。

出会いの交差は刹那だなと感じます。

noteは記録として蓄積されていきながらも時間軸としては進んでいて、
そんなnoteの波に乗っているように感じます。

長い間継続している人はその都度訪れる波に、そこで一緒に乗っているnoterと出会うことができ、
常に出会いが更新されているのだろうなと。

今まで莫大な数の人が記してきた沢山の文字は大きく深い海となって蓄積され続けて広がり続けている。

でも、noteを訪れない間に新しい波が24時間絶え間なく押し寄せ絶え間なく更新され続けるから、
私は沖に沖にと流されて押されていっているよう。

同じ波にたまたま乗れた、それは人生の中の点にも及ばないような瞬間なのかもしれないとふと感じていました。

ぼーっとしていたら知らない間に流されて、浜辺からは私は見えなくなりそうな気がします。
でもしっかり泳いで、毎回波に乗るのは難しそう。

繋がりを持ち続けるのは労力も伴うものなのだと感じたり。
それでも緩く続けていきたいと感じた私でした。


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