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その後数年の経緯(1)


やはり自己流には無理があった、と判明


その後の日々のことを記せば、大方「月2回の厳しい基準を私は守って飲んでいる」→「飲む」→「飲み過ぎてしまう」→「お腹をこわす」→「どうしてこんなに酒に弱いんだ、胃腸も弱いんだと嘆き騒ぐ」日記がつらつらと続く。

確かに月2回の掟は死守してきた。しかし時にはブラックアウトする(記憶をなくす)、吐き気がすごくて苦しむなど、よろしくない状況に陥ることもあり、あまりいただけない。

そして、ワインを愛し、これに執着し、今月はあと何回飲めるだの飲むのはいつにしようだのワインのことが頭から離れないこと数年。自分は節酒するときにどうして月に2回などと厳しすぎる基準を設けたのだろうと憤ること数か月。

アルコールは依存性のある薬物


アルコール依存症ではないとしても、再飲酒の私のていたらくを読み返すと、明らかにワインに取り憑かれている。

この国では合法で簡単に手に入る、飲み物の形態をしたアルコールは、実は依存性の高い薬物だ。アルコール・薬物の好ましい効果を経験した人は、脳にアルコール・薬物を欲しがる部分が生じてしまい、一生これを消すことができない。詳しくは"脳内報酬系""ドーパミン""行動の強化"などで検索すると出てくるのでここでは書き控える。

1日グラス1杯、それも12%の赤ワイン125mlくらいなら心臓病のリスクを下げる説もある。しかしそれはあくまでも心臓病に良いという説であり、他の病気には効かない。そして飲みだしたら止まらない私は1杯で済まない。美味しい美味しいと飲んでいたら身体にいいわけない。本当に「わかっちゃいるけどやめられない」のだ。
やたらと謳われて(うたわれて)いる赤ワインのポリフェノール効果、これもワインで摂らずとも他の野菜などで摂った方が数倍身体には良い。
私にとってお酒は「99害あって1利あり」。その1利は美味しいということだ。その1利のためにこのようなトラブルに自ら巻き込まれ苦しんでいる。

私がワインを飲むのは味が好きだからだ。酔うのは嫌いだ。ノンアルコールビールはかなり美味しくなったと私は思うが、ノンアルコールワインはどれも口に合わない。企業の努力は充分に感じられるがまだまだ本物には程遠い。この味はやっぱりアルコールという薬物が入らないと出せないのだろうか。

「節酒できる」宣言をしたが・・・


これまで書いてきたように、飲みたいだけ飲んでも具合が悪くならない女性を羨み、この美味しい飲み物にアルコールさえ入っていなければどんなにいいだろうと思いながら月2回の節酒を守り抜いてきた。年数が経つにつれ酒がやはり欲しくなり、徐々にどうして自分は月2回のみ飲酒可などという厳しい基準を作ったのかetc.という憤りが激しくなることもあった。

しかし、2017年頃には、普通に飲んでも胃腸障害を起こすということと、それまでとちがう多様な世界と出会うことによって、ワインから少しずつ、本当にゆっくりと少しずつ距離を置くこともできるようになった。諦め、寂寥感あり。

それからは飲んでも少量、機会も月1回又は2か月に1回ほどとなり、憤りもなく私は安定した飲酒者となった。と思っていた。

「飲むと具合があまりにも悪くなるからあれは良いものではない」「もう大丈夫私は酒を制した」

そして「節酒できる」と傲慢にも宣言したのだ。

しかし・・・


《参考文献》
『SMARPP-24 物質使用障害治療プログラム[改訂版] 集団ワークブック』金剛出版





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