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あえてnoteを批判するなら

noteを始めて約3ヶ月がたちました。


ただ、最初は

「ふーん。やってみっか」

という軽い感じで始めたものの、なんだろうこの感じ。


ブログよりライトではないけれど、コラムや記事ほど堅苦しくない。誤字や脱字はご愛嬌。自分が考えていたことをぼんやりと書くことができるので、本当に頭の整理の助けになっている。


また自分自身の考えはもとより、多くの人の素直な思いに触れることができるので、気がついたら移動中やふとした瞬間に色んな方の記事を見てしまっている。



もうすっかりnoteのとりこである。



私は飽き性なので色んなものを挫折してきたが、noteはたくさんの方からスキやフォローをいただくので、あぁそろそろ書かなきゃなと、ある種の使命感にかられて、なんだかんだで続いている。



ただ、折角なのであえてnoteを批判してみたい。

※ここでいう批判とは、物事を客観的に判断し、評価することであって、そのものを拒否する否定ではありません。

あくまでnoteに敬意と愛あるが故の批判です。



コミュニティづくりには向かない


まず、多くの方の記事をみて思うのは、コメントが少ないということ。


私はこれまでコミュニティやたまり場に対する考えを勝手に述べているが、こういう場合、コメントはすごくありがたい。なぜなら自分の考えを反芻(はんすう)するキッカケを与えてくれるから。


「面白かったです!」
「わたしも〇〇と思います!」
「いや僕は××だなぁ。」
「△△の場合はどうでしょうか?」


こんなコメントを頂けると、あぁなるほどそういう考えがあるのか、やっぱりみんなそうだよね、えぇ?それはどうかな、と、わたし自身も考えを巡らせるキッカケになる。


例えば、mixiやfacebookはグループを作ることができる。映画好き同士で集まったり、情報交換の場としての機能性を前面に押し出しているから、コミュニティは容易に作ることができると思う。


しかしnoteは、こうしたグループ機能はない。いや、なくてもいいのかもしれないが、それでもnoteがコメントの機能を設けているのは、コミュニティづくりのきっかけであるコミュニケーションを期待してのことなのではないかと思ってしまう。

だからこそコメントを通してコミュニティが生まれてもいいのかなと思う。


少なくとも現行のnoteを見る限りコメントが活発ではないから、コミュニティに向いていないような気がする。


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noteは備忘録になっちゃダメ


自分の好きな事を好きな言葉で語るのは自由だと思うし、それを目的にこのnoteはあるのだろうけれど、誰からも読んでもらえなければ、ただの備忘録と同じである。


しかし、みんなスマホのメモ帳ではなくnoteに書いているのだから、コミュニティとは言わないまでもコミュニケーションが生まれる事をちょっと期待しているのではないのかな、と思う。


私もたくさんの方の記事を読んで、考えの助けや情報をたくさん頂いている。だから読んだ記事は出来るだけスキをしているし、面白かった時はコメントをするようにしている。


やっぱりnoteは読んでもらわないと、いや読んでもらってる実感がないと頑張れないのかな、と思う。なぜなら自分が一番そうだから。


みなさんのスキやコメントが励みになっていますが、敢えて言いたい。



みんな!色んな記事にコメントしようぜ!

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