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【シベリア散歩(1)】ウラジオストクとデルス


はじめに


1920年頃、ウラジオストクの港区にたっている女性と子供
着物を綺麗に着ている彼らは
なぜ、そこに行ったんだろか

こんにちは。今回は「遠いのは嫌だけど、冒険がほしい!」、「みんなが既に知っていることは嫌だ!」と思う皆さんに「ロシア極東」という冒険心を刺激するテーマを紹介したいと思います。日本の方にとっては、ロシアは「おそロシア」かもしれません。だからこそ、「身近なミステリー」としてロシア極東が興味深いネタとなるでしょう。

私は大学から大学院にかけて約10年間、「19~20世紀のロシア極東の移民問題」を勉強し、ロシアに移民した韓国人についての論文で歴史学の博士号を取りました。(韓国語で書かれていますが、要約欄は簡単にGoogle翻訳で読めるし、全文を無料でダウンロードできます。)

現在は色々な事情で日本にITエンジニアとして移民することになりましたけど、私が勉強したことについて日本の方々とその話を交わしてみたいです。 そこで今日からいろんな歴史資料、旅行資料をまとめて皆さんにシベリアの魅力を興味深く、お伝えしたいと思います。

ロシア極東とウラジオストク


ロシア極東地域はロシア領土のおよそ40%を占めています。
この記事では大まかに赤い線の地域くらいに限定してお話します。
1910年頃、ロシア極東の地図
Aは沿海州、Bはアムール州、
Cはカムチャツカ州、Dはサハリ(または、樺太)

ご覧のとおり、ロシア極東と日本は思ったより遠くない距離です。以前は長崎からウラジオストクへの航路が設けられていました。私は2019年に一年間ウラジオストクで留学したことがありますが、ウラジオストクは旅行先としてお勧めです。韓国では「2時間で行くヨーロッパ」というキャッチフレーズでよく宣伝されたりします。もちろん、今は戦争のせいでムリですが、いつか戦争が終わったら…(;'∀')

では一体、日本人としてウラジオストクに行ったら、何を見るんだろう…と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、あります!いろいろありますが、一番有名な場所を二つ紹介します。

1920年頃、ウラジオストクの日本総領事館
今もそのまま残っていますが、沿海州地方裁判所として使われています。
1920年頃、ウラジオストクの西本願寺
西本願寺のあたりを歩いている日本人女性。
楽しそうですね。
今は、記念碑だけ…(by Google)
この記念碑(by Google)によると、
ウラジオストクの西本願寺は1914年から1937年まで14年間存在しました。

このようにロシア極東、特にウラジオストクは思ったより地理的に日本に近いだけでなく、実際に住んでいた日本人もかなりいました。ありふれたものが嫌な方にとっては、かなり興味深い旅行先になるかもしれません。

デルス、そして黒澤明の「デルスウザーラ」


1914年ロシア沿海州の地図
A:デルス(旧 ラウリュ)
B: ダルネレチェンスク
C: ポシエト

ロシア極東には日本人だけではなく韓国人も住んでいました。最初は上記の「C」地域である「ポシエト (Посьет, Posyet)」におもに住んでいました。
しかし、人口が増えて土地が足りなくなりました。そして、ロシア政府の許可を得て、「A」地域である「デルス(旧 ラウリュ)」に移民した人が増えました。
「B」は「ダルネレチェンスク」という都市です。韓国では長い間、「デルス」の位置が「ダルネレチェンスク」の付近だと思われましたが、最近その「デルス」の位置が具体的に研究され、その存在が注目されました。

デルスは真ん中に位置していますね。
GoogleMapsによると、そんなにすごい馬がいます。

余談ですが、「デルス」は有名な日本人映画監督、黒澤明の「デルスウザーラ」に関わりがあります。デルスウザーラはアルセニエフというロシア軍人兼探検家の友達です。彼からの語りを映画化したのが黒澤明の「デルスウザーラ」です。

有名な極東の旅行者、探検家、科学者、作家の作品によると - V.アルセニエフ。 ガイドで非凡な個性を持つデルス・ウザラとの友情の物語。 危険な冒険に満ちたタイガの森を旅する彼らの旅が映画の筋書きですが、この物語の意味は筋書きをはるかに超えており、人々の兄弟愛についての物語です。

https://www.youtub.com/watch?v=sFaL03SKEzE&t=4516s

デルスウザーラをYouTubeで無料で鑑賞することができます。英語字幕のみのため、視聴が難しい場合があるかもしれませんが、1900年代初めのロシア沿海州、シベリアの風景を鑑賞することができるので一度見てみるのも良いと思います。

アルセニエフは文明を盛り込んだ目上の人の視線でデルスウザーラに接するのではなく、彼の生き方に対する敬意と尊重をしています。非常に興味深い映画であり、黒澤明監督がスランプに陥っているとき、再起できるようになったターニングポイントになった映画なので、映画史的にも学術的にも価値が非常に高いです。

私がウラジオストクで留学していた時、アルセニエフの博物館で黒澤明監督についての本があったことを覚えています。残念ながら、タイトルが思い出せません。この「シベリア散歩」の記事をお読みになった方々はいつかウラジオストクに行く機会があれば、探してみていただくのもいいかもしれません。

最後に


この記事ではロシア極東について綴ってみました。少しでも興味を抱いてくださったら嬉しいです!次回の記事はより興味深いテーマを選んで、紹介したいと思います。引き続き、よろしくお願いします!


人文ITエンジニア
ソンさん



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