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それでも線を引きますか?それとも消しますか?

その結果が出た瞬間、普段お酒をほとんど飲まない友人は、昼間にもかかわらずグラスを一気に傾けた。そしてこういった。

この結果を恥ずかしく思う、アメリカの市民権を捨てたい

日本に留学している友人はそろって怒りと嘆きを吐き出していた。それほどに、ドナルド・トランプが大統領選で勝ったということは彼らに衝撃を与えたのだと思う。


トランプが掲げるアメリカファースト、というのはどういうものだろうか。もちろん色々な意味を持つ言葉であるとは思うが、貿易という側面からみると、外国製品を輸入するときに関税を高くしてアメリカの産業を守る、というのが基本的な考え方だと思う。国境の線引きを濃くしたことで何が待っているのかは未来でしか判断できないけれど、とにかく選挙で過半数が選んだ大統領は、当選後もありとあらゆるものに太く、荒々しい線を引き続けている。


なぜ選ばれたのか、には様々な見方はあると思う。ただ、大接戦だったというのは結果から分かる。理由をそぎ落としていくと、友人たちがあれほどまでにこき下ろしていたトランプも対立候補のヒラリー・クリントンも、圧勝できるほどの票を集められずに僅差で結果が転んだ、という事実だけがある。

結果としてアメリカは国としてあらゆる線を濃くする、という方向に舵を切った。国境線、国籍の有無、所得、人種、宗教、性別や性的指向(嗜好)、全ての境目に線を深く引く流れをトランプは作り出している。前任者であるバラク・オバマが大統領就任演説でうたった統合とは反対の方向だ。


分断と統合はそりが合わない。区別した方がわかりやすいけれど、差別に転びやすい。境目をなくした方が自由だけど、混沌におちいりやすい。

本当はどれだけ似ていても決して分かり合えないのかもしれないし、みんなちがってみんないいのかもしれない。そして、そのふたつは同時に存在できてしまうと現実は教えてくれる。

線を引いて反対側を否定するのは簡単だ。わかりやすいし、とてもシンプルだ。そういう意味では友人も、線の反対側の人を批判していた。受け入れられないものが目の前にあらわれたとき、人は線を引く。砂が飛んできているのに目を開けているのはやはり痛い。

自分が引いた線でなくても、すでに線をもっていたりする。オバマも、核なき世界を目指そうと呼び掛け、ノーベル平和賞も受賞しながら、アメリカはいつまでも世界一の核保有国だったし、その発射ボタンはオバマが握っていた。


制度という線がなければ国はあっという間につぶれ、社会は混乱に陥り、ハロウィーンの渋谷のような混沌とした空間がたくさんできる。やみくもに線をなくすのも考え物だ。「節度ある行動を」といわれている人たちは周りのことが見えていない。


戦争やテロ、自由や平和など、果てしない大きなことを表す言葉もまた、わかりやすい線だ。
わかりやすいものには人は集まり、声も大きくなる。大きな声を出す人がいると、線の反対側からもまた、大きな声を出す人たちが現れる。たとえどんなに正しくて、洗練された言葉であっても現れる。目をそむけたとしてもそこにいる。


線は道具だ。いつでも引いたり消したりできる。長さも濃さも自由だ、とびこえてもいい。しかし、その線が絶対だと思ったその瞬間にその線の向こう側には決して行けなくなる。それを線のせいにした先には、無感動や無関心、暴力や差別が待っている。


ものごとを線のせいにしてはいけない。
いつだって主語は人間、決して線なんかじゃないんだから。

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