心の中の「シリウス」

歌の歌詞が聞き取れないバカ耳の僕が、BUMP OF CHICKENの「シリウス」を聴いて、世界の見え方が広がった話です。

ぜひ曲を聴きながら読んでください。

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BUMP OF CHICKEN(以下バンプ)というバンドをご存知だろうか。

代表曲は「天体観測」。

「見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」なんていう最高なフレーズをこのバンドは歌う。

中学校1年生の冬、学校のスキー合宿に向かうバスの中、クラスメイトが歌っているのを聞いて一目惚れならぬ一耳惚れをした。

合宿から帰ってすぐにCDを買いに走り、その後1週間くらいエンドレスリピートしていたのが懐かしい。

中学校3年生の文化祭では友達とバンドを組んで「ガラスのブルース」を全校生徒の前で演奏した。そんな思い出の詰まったバンドだ。

(どうでもいいが、バ↑ンプ↓と発音する人と、バ↓ンプ↑と発音する人がいる。本当にどうでもいい。言いやすい方でいい。)


話は変わるが、歌の歌詞がまるで聞き取れない。

繰り返し聴いている曲なのに、いざカラオケで歌おうとすると、歌詞を全く覚えていなかったりして呆然とすることもしばしば。そして適当な理由をつけて曲をスキップする。

ミュージカルをやったこともあったが、まるで歌詞が覚えられず、お経を読む修行僧のように歌詞を夜な夜な唱え続けた。

これはいい曲だ、何を歌っているんだろう、と曲を聴き始めても、気がつくと歌詞なんか聞かずに雰囲気を楽しんでしまう。

母語でない英語の場合はもっと悲惨で、はじめから雰囲気だけで曲を聴くことになる。

すごく好きな曲なのにタイトルすら覚えていないという始末。

我ながらこの病的とも言える歌詞の覚えられなさには呆れ返っている。


話をバンプに戻す。

バンプは2000年にメジャーデビューをし、20年近くその人気を保っている。

代表曲も数多、映画やアニメ、ゲームの主題歌起用もたくさんある。

もちろん日本中にファンがいて、ライブのたびに会場はファンで埋め尽くされる。

一度だけ友人とライブに行ったことがあるが、やはり本物を目の前にして、長い時間好きな曲を大音量で聞くことのできる空間は至高だった。


しかし、高校生から大学生にかけて(2012~2018年ごろ)徐々にバンプを聞かなくなった。

ジャキジャキとしたいわゆるバンド的なスタイルだったのが、声のエフェクトやEDM的な電子サウンドを取り入れ、大衆向けと呼ばれるような音楽性にシフトして行ったと感じたからだ。

メディア露出も増え、「ミュージックステーション」や「NHK紅白歌合戦」にも出場した。

友人とも「バンプは変わった」「昔のバンドサウンドの方が良かった」と評論家のような口ぶりで話した。

また、しばし心の叫びのような内容を歌う、中二病とも揶揄される曲のイメージもあり、大学生にもなってバンプを聞いているのはダサい、という雰囲気に飲みこまれ、新曲が出てもYouTubeのおすすめ動画に出てくるまで気づかなくなった。


「シリウス」を聞いたのは、やはりYouTubeのオススメ動画にこの曲が出てきたからで、「久々にバンプ聴くか〜」という、長く会っていない同級生を思い出して突然会いたくなるような気持ちになったからだ。

イントロを聞いた瞬間に、この曲が好きだ、と思った。

自分が好きだった頃のジャキジャキとしたバンドサウンドだった。

かぶりつくようにこの曲を聴き、聴き終わったそばからすぐにリピート。

完全に虜になった。


ふと、歌詞が気になったのは何度か繰り返し聴いた後だ。

「シリウス」というタイトルから「ハリーポッター」シリーズの登場人物シリウス・ブラックしかイメージできない人間、かつ前述の通り歌詞を聞き取れない重症患者なので、その時点では全く歌詞の内容が頭に入って来ていなかった。

動画のコメント欄に載っていた歌詞を見つけて曲を聞いてみる。

これは誰のストーリー どうやって始まった世界 
ここまで生き延びた 命で答えて
その心で選んで その声で叫んで
一番好きなものを その手で離さないで

サビの歌詞を読みながら、心の中が自分の感情で満たされていくのを感じた。

自分の人生が、自分の好きなものへの気持ちによって進んできたことを強く実感した。

好き、という曖昧だが鮮明な感情に導かれ、あらゆるものや人に出会い、関わってきたことをこの歌詞によって思い出した。

その眩い、決して消えてくれない光が「シリウス」なのだとわかった。

(消えてくれない光と書きながら、「プラネタリウム」に出てくる光も同じ光だと気付いた。)


太陽を除くと地球から最も明るく見える恒星シリウス。

夜空を眺め、昼間や曇った夜には見えない、でも確かにそこにあり続けるその光に、心動かされる情景が目に浮かべる。

ちなみに、恒星シリウスまでの距離は約8.6光年。

つまり地球から今見える光は8.6年前にシリウスから発されたものだ。

歌詞で意図されているかはわからないが、ずっとずっと前に抱いた、「好き」の原点から発せられた光を現在から眺めている、というようにも読める。

こんな風に半ば陶酔しながら歌詞を咀嚼し、もう一度この曲を聞き直すと、今まで味わったことのないような充足感に体が包まれた。

歌詞が聞こえるのだ。

スルスルと心の中に歌詞が広がり、自分の想いと混ざり合い、溶けるように浸透していった。

いたく興奮した。

興奮しすぎてこの文章を書いている。


ふと思った。

聞かなくなってしまってからのバンプは何を歌っていたのだろう、と。

大急ぎでバンプのYouTube公式ページにジャンプ。

今までなんとなくしか聞いてこなかった曲たちを歌詞と合わせて聴いてみた。

すると、やはりすんなりと歌詞が入ってくる。

歌詞の咀嚼を繰り返すと、何度も噛んだお米のようにどんどん旨味が増していく。

夢中になって曲を聴きまくり、全部好きになった。好きでたまらなくなった。


現代人はとても忙しい。

日々の暮らしに追われながらなんとか生きている。

終電の中、スマホをいじる人たちの顔は死んでいる。

一方で、テレビで特集を組まれるような人たちの表情はとても生き生きとしている。

インタビューなどで語られる彼らの原点はどうしようもなく純粋で、どうしようもなくまっすぐである。

その原点に誠実で、真面目である人ほど、輝いて見える。


歌詞の中に唯一登場する「シリウス」という言葉はこのように歌われる。

隔たりを砕いて どうぞ いっておいで
眼差しのシリウス 欲張りの動物
これは誰のストーリー どうやって始まった世界
一番好きなものを その手で離さないで

人間は欲の生き物だ。

他人と比較し、より輝いている人を見ると、羨ましくて仕方なくなる。

お金が欲しい。地位が欲しい。名誉が欲しい。いい服を着たい。美味しいご飯が食べたい。いい家に住みたい。かけっこで一番になりたい。クラスでもてたい。いい会社に入りたい。最高だと思う人と一緒にいたい。いい上司になりたい。いい親になりたい。孫の顔が見たい。死にたくない。

数え切れない欲を抱えて生きていく中で、その欲で他人を傷つけることもある。

反対に、他人の欲に傷つけられることもある。

しかし、「シリウス」のことを思い出すとき、人はあまりに無防備で、あまりに勇敢になる。

眩い光に背中を押されるようにして、人生に立ち向かう。

好きなことをして楽しむ趣味、その本質的な偉大さはそこにあると思う。


「シリウス」を聴いたことで、今まで理解できなかった曲の良さがわかるようになった。

まだまだ知らないだけで、そういうものが世界には溢れている、とワクワクするようになった。

人生はあまりに短いから、全てを知ることなど到底できない。

けれども、自分の中にある「シリウス」はいつまでも、いつまでも眼差しを内側から輝かせてくれる。

その輝きから人生に立ち向かう勇気が湧いてくる。


「シリウス」の歌詞はこう締めくくられる。

やっと やっと 見つけたよ ちゃんと ちゃんと 聴こえたよ どこから いつからも ただいま おかえり

バンプの歌詞はとても優しい。

大好きな人と食べるご飯のように温かい。

その温もりを感じながら思う。

ただいま、BUMP OF CHICKEN。

おかえり、心の中の「シリウス」。


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