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コンプレックスと『金閣寺』

「私の感情にも、吃音があったのだ。私の感情はいつも間に合わない(中略)一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件をばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらの状態に引き戻してしまう」

三島由紀夫『金閣寺』より

僕には、言葉を発する前に「あ、」とワンテンポ置くクセがある。「あ、」と言うのは一瞬だが、その一瞬の間に、相手の言葉を咀嚼し、言葉を探し出し、ようやくそれで、それ相応の返答ができる。この「あ、」はいまや、僕にとってなくてはならない一瞬、言語活動の必須要件となってしまった感がある。が、他方でこのクセは僕にとって長いあいだコンプレックスでもあった。「あ、」と間を置く人間はコミュニケーション障害と揶揄され、馬鹿にされたりいじられたりするのが定石だからだ。このことから、僕は言葉を発するという行為に対して自信がない。僕と会話する人間は、「あ、」と間を置く僕のクセを心では嘲笑しているのではないかと訝ってしまう。

また、それに加えて声の低さ、通らなさも小さな悩みである。昔、高校の卒業式の練習で、僕だけ卒業証書授与の返事を何度もやり直されたことがあった。僕は最大限に声を張り上げていたつもりだったのだが、ちょっと距離のあるところに立っている教師が「もっと大きな声を出せ!」と詰めてきたのをよく覚えている。お前の声が小さいだけだと言われればそれまでだが、全力で叫んでも「聞こえない」と言われ続けた経験、しかも多くの生徒がいる前で、自分だけがその対象となってしまった経験は、まだずっと拭えずにいる。

これらクセのせいでしばしば、僕は他人との間に距離を感じてしまう。僕の声は僕にとって壁である。壁とは言わずとも、せいぜいオブラートくらいの薄さの膜が僕の前にはあり、発言するときには思い切りその膜を突き破るか、恐る恐るそこに穴をあけるほかない。また、話すときにはいつも、内容云々より先に「相手に聞こえているか」を気にしてしまう。自己紹介などのときには、言葉を発しながらも、頭の中ではずっと「聞こえているだろうか」と心配ばかりしている。

よって、人と話すのがずっと億劫になり、結果として、僕は非常に内面的な人間になった。人と話すことよりも、自分の頭のなかで言葉を並べることのほうがずっと得意になった。だからなのか、僕はいつも言葉に間に合わない。頭のなかにはたくさん言いたいことが並んでいるのだが、声という壁が僕を妨げてしまい、それを突き破ったときにはすでに、言葉を発するタイミングを失ってしまっているのだ。

そんな人間だから、三島の『金閣寺』を読んだときの衝撃は忘れられない。吃音を抱えた主人公はあまりに内面的で、外界から隔絶された世界を構築しているけれども、僕もどこかそういうフシがあると、痛々しいほどに気付かされてしまったのだから。おそらく僕は吃音というほどのものではないが、それでも、『金閣寺』の主人公は僕が感情移入するに十分の素質を持っていた。

どのあたりだったか忘れてしまったが、主人公が友人に「お前は自分の吃音を愛しているのだ」と言われるくだりがある。このひとことは、あまりに僕にとって強烈だった。おそらく僕もまた、自分の声に、発声に抱えているコンプレックスを愛しているのだろうと考えてしまった。そうでなければ、おそらく僕は内面的な自分を正当化できないだろうと思ったからだ。

加えて、主人公の言う「私の感情にも、吃音があったのだ。」という一節。これもまた、僕の心をえぐる言葉だった。僕は感動する映画を見ても、涙を流すことができない。即座に悲しいと思うことも、あまりできない。僕の声が遅れてやってくるように、僕の感情が常に遅れてやってくることを、僕はずっと悩ましいことと感じてきた。感情と目の前の事象が、完全に切り離されており、当の事象を内面化するまで悲しむことができないことを、僕は恥じてきた。どうして泣けないのかと、厳しく問いただされたことすらあるのだ。そうした自分の心の闇をあまりにまっすぐに指摘された気がして、僕はどうにも立ち行かない気持ちになってしまった。

『金閣寺』は美しいとしか言いようのない文体もさることながら、あまりに内面的な、しかし内面的でしかいることのできない人間の弱さと強さを鮮やかに描写しているという点で、まさしく見事な作品だ。少なくとも僕はそう読んだ。三島はかつて細身で繊細な青年だったと伝えられているが、その経験がこの著作に活きているのか、僕にはわからない。ともあれ、僕はこの作品を通して自分のコンプレックスに向き合うことができた。自分の身体的な恥部を、正しく見る努力をしようと思うことができた。とはいえまだ『金閣寺』の謎が完全に解けたわけではない。『金閣寺』は思想的な面でも優れた作品だが、僕は初読の際、あまりにも主人公の動向に注意を向けすぎ、感情移入しすぎた感もある。また数年後にでも読み返して、今度はその思想や謎を解き明かしてみたい。


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