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デウス

「空虚な目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない。」
三島由紀夫はそう言ったそうだ。で、あるならば目指している目標が達成された時、不幸になると分かっているのであるならば幸福と感じることができるのだろうか。

あぁ〜あ。酔った酔った酔った。時に読書は絶望をもたらす。今のところ希望が全く見えない。神になる時がきっとくる。その時は人類にとって歓喜の時が絶望の時か。満たされない生物的特徴がもたらすユートピアは果たして見かけの天国なのか。非死がもたらす時間と空間は生の意味を孕んでいるのだろうか。無の人生にリスクを負うことを自ら望むのだろうか?キリスト教発祥の地、イスラム教の聖地、ユダヤの悲劇の地。その地に生まれし学者は人類をどう導くのか。それともこの現状を愁い、呆れ、突き放すのか。サピエンスがデウスになる時、もう存在価値はないかもしれないなと思った。

今年は選挙イヤーらしい。世界が選択の時を迫られている中、人々がどのような選択をし、どのような世界を望むのか。今日台湾でその口火が切られた。日本はどうするのか。民主主義はどうなるのか。切り付けられた自称ナンパ師の社会学者は民主主義は民度によると断言する。そうであるならば、最下層だろう。経済一流、政治三流の国はとうとう経済二流、政治素人に成り下がろうとしているのだから。こんな国にする為に頑張った訳じゃないとの絶望とため息が混じった声が青空の向こうから聞こえてきそうだ。

酔いすぎてもう頭が回らないので、やめておこう。酒はこの生きづらい世の中を生きていく為に必要な手術の麻酔である。とうとう麻酔がなければ生きていけない世の中になったのか。まだ、酒ならいい。この先きっと禁止されてきた薬が医学の正義のもと、どんどん解禁されていくのだろう。自ら人生をリタイアするよりかはマシだが、それなら別に電極を頭に繋いで生きているのと何か変わるのだろうか。快楽を覚えたラットは食事も思考も諦めて遂には生存本能を持つことが出来なくなったらしい。その未来がすぐそこまで迫っている。もう、成す術はないのかもしれない。
酒に溺れ、脂と唐に侵された胃と肝臓はとても幸せだったと振り返るそんな食卓は(いや食卓すらなくなっているかもしれないが)、きっと肉体すらいらないしょうもない日常のひと場面へと快楽が人類を誘っているのだろう。そこにサピエンスはきっといない。似て非なる生物がこのホシを占拠していくのだろう。

埴輪は幸せの象徴だったのではないだろうか。

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