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#132 「高齢者になる」をいつ受け入れるか?

おはようございます。fumioです。
このnoteを始めるきっかけの一部は「若くもなく」さりとて「高齢でもない」、この時期から高齢者、80歳から75歳までをどう生きていいくか?からの自分の身の置き所を考えてこのことです。

■自分の上を見てもモデルがなく
 コロナになる前に、「この時期」自分がこどもの頃からの友だちと自分のこどもが学校で一緒になり、その時から「この時期」(年末)同級会ならぬ飲み会をしていましたがコロナで現在も休止中。

 そんな飲み会の中の話題で・・定年後の仕事の話になり、私がなんと答えたのか?考えていたのか?ですが、現在では、職場に残り継続雇用していき流れ得る選択はないと思っています。

 一番の理由は、自分の居場所がないこと、やることが無いこと(どちらも私から見て)です。そして、誰かのマネをして生き続ける・・寄生する?のもな~?と思っています。

■きっと、今までのような仕事の終わり方ができれば
 社会が定年を迎え、継続雇用が一般的で、その後リタイア、年金生活がイメージできれば「今までの社会の歳の取り方」あったとおもいます。

 しかし、TVやネットの影響を受け過ぎているのでしょう?((笑))人生100年の今の生き方がイメージでいないとか・・・。多分、私の中に「生き方」が今見当たらない・・、「まだ何かをしていないと、ダメになる」と思う気持ちが強くあるんですね。

■私が自分に思う「高齢者」のイメージ
 定職を持たず、ダラダラと身体の不調と向き合い時間を過ごす、きっと「65歳の壁」が来て、その時までの時間を準備もなく迎える・・みんな周りがそうだから・・・。

 と考える自分は「怖くてならない」。また、継続雇用で「使われる」のも違うんですよね。

 自分の身体を自分の意思で切り売りしながら、自分中心の役割と満足を持って生きていたい。

■いきなり資格の話から
 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員・・・なんでもいいのですが「御用資格」なので、国や制度の妾にならないと生存理由がないと思っています。

 現行、独立〇〇って頑張っている方もいらっしゃいます。私が何をチョイスして生業にして、やりがいを含めて、終わり方も考えていくか?

 資格ではなく、資格を持って就業してきたい私が「どのような社会や人と関係できたか?」になります。

■高齢者になることへ向かうはいいけれど
 自分が高齢者に向かっていくイメージがない、やっぱり日本は、「6・3・3・4」の小中高大のような節目、就職・退職でのイメージと、年齢・スキルのイメージのどれにでも結び付ければいいのでしょうが?

 私には、その節目イメージで生きる自信がないのと方法がないこと、思考停止になり、ただ時間と周りに時間をゆだねる勇気もなく、あらがうのみ。

 結局、こうやって「あらがい」取り組んでいるのが今の自分らしいこと
あらがえんくなったら、自分が受け入れた高齢者になること!になるのでしょうか?

これからの大介護時代は、親を看ながら、自分と自分のこどもの関係を築いていくことが求められるんですね。60~65歳の節目でなく、その先の節目へしかし、65歳の壁(体調と体力)もあるいで、同じことはできないことを自覚しながら・・。

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