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オースティン、テキサス──留年生の出稼ぎ日記〈同僚編〉

勝気のシェルビー・言語学のマリーナ

 私の研修を担当してくれたのは、シェルビーマリーナだった。初日を担当してくれたシェルビーは、例えばロッカーの場所を説明するときに「You can put your shit inside there」と言うなど、とにかく下品な言葉を乱用したが、同時に責任感のある勝気な女性で、不意に見せる笑顔が眩しく、私は彼女を気に入っていた。彼女は研修翌日に日本語プリントの服を着ていたが、あれはぜったいに私を意識してのことだったので、声をかけるべきだった。
 二日目のマリーナは、シェルビーとは対をなす知的で温厚なロシア人女性だった、彼女は本国で言語学を専攻していたが、ウクライナ戦争直後の不穏な空気をまとった祖国に嫌気が差して渡米を決意、以来オースティンで働いているらしい。ロシア語と英語は無論、中国語やドイツ語、ラテン語や古代ギリシア語にまで手を伸ばしているらしく、そのうちの三つを勉強している日本語ネイティヴの私には強い興味を示してくれた。

売人のボブ

 ドレッドヘアの黒人、ボブ。アルバイト先の面接に来たときに軽い世間話をして、研修を私が担当することになった。しかし当日、言語学のマリーナが発した言葉は、巨大な水滴のごとき衝撃として私の内奥に波紋を広げることになる。
「ボブについてだけれど、刑務所に行ったらしいから、今日は一人でできる?」
 
 一週間後、刑務所から帰ってきたボブを、予定通りに私が研修することとなった。彼はひと懐っこく、とても刑務所に収監されるような人物ではないと思えた、しばらく話していると、働き始めてからはゲームもできず、スモークするので精一杯だと述べていたので、思いきって「大麻とか?」と切り出すと、首を縦に振った。「まさか、刑務所に収監されたのもそれで?」「車内に拳銃と規定量以上の大麻を置いていたんだよな」…… 
 テキサス州では娯楽目的の大麻は違法であるが、それでも日本における未成年飲酒と同じくらいには「目を瞑られている」。せっかくなのでメキシコに行った時分にでもやってみようと思っていた私だが、むしろオースティンの方が安全そうだ、「おれも試そうと思っているんだけど、どこで手に入れたの?」と尋ねると、彼は口角を上げて「まあ、手に入れたっていうか、おれが売人だから……」と気恥ずかしそうに言った。これには笑った。なぜ車内に拳銃と大麻をと思っていたが、ようやく腑に落ちた、そして彼は「Well I have some good shit」というように、大麻のことを「Shit」と表現する、これもおもしろい、おれは一気にこのボブという男が好きになった。
 ……だが、研修の一週間後、彼は突如蒸発した。誰も連絡が通じないらしい、単に面倒になったのか、それとも刑務所に行ったのか、あるいは殺されたのか…… ボブの行方は誰も知らない

元海兵のエイチビー

 元在日海兵隊員で長身の黒人エイチビーに限らず、私が日本人だと言うと、オキナワのことを訊いてくるひとがとにかく多かった。私も三月に行ったばかりだったので、たしかに実感として「豊穣の大地と、それに隣接した巨大な人工施設たる軍事基地・その現状にきわめて無関心な本土の人々」という構図は歪に思えたし、アメリカ人もそう思っているようだった。あまりにも訊かれるので、その話題に関する適切な語彙を調べたほどだった。

平和そのものみてーなオキナワの海

色欲のクリス

 オースティンにおける女性の服装は、とかく露出が多い、それには五月時点で車内に置いたガムが溶けるファッキンホットな気候も関係しておろうが、女性を性的な視線で見ないという社会通念を反映したものだと思っていた。その予想と期待を、クリスはその歯茎を露わにした醜い笑顔で見事に砕き切った。
 クリスはやたらと客を色目で見る(その視線が常態化して、彼の眼はへの字に曲がっている)、彼と一緒にホストをしているとき、私は決まって店全体を回るようにして誰が好みかを報告させられていた。
 そんなクリスに対して、私は自分が二十歳で、そして童貞であることをカミングアウトした。すると彼は目を丸めて「まるでペガサスだ!……」と呟いてから、大声で笑った。彼は携帯を取り出して電話番号の羅列されたリストをおもむろにスクロールしてみせてから、「おまえがヴァージンだと知れたら、この街のビッチが放っておかないぜ」と言い残していった。

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