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オースティン、テキサス──留年生の出稼ぎ日記〈日常編〉

キープ・ライト!

 数ある渡米体験記と同じく、おれにとっても最初の難関は右側通行であった。車社会のテキサスで働くとあっては流石に一台は必須であり、半年滞在するならば中古車を買って帰りぎわに売った方がむしろ安い、そのためおれは燃費の悪い起亜車を購入した。
 さて右側通行。道路に出ようとウィンカーを出す、しかし動いたのはワイパーだった、ハンドル横の操作も反転している、いよいよ道路へ、しばらく走っていて速度制限がやたらと厳しいことに戸惑っていた、しかし高速道路の速度制限が「60」であるのを見て、ようやくそれがマイル表示であると思い至る…………  とにかく慣れるのに時間を要した。

肛門をさいごに嘗めて目をとづる 猫の生活をわれは愛する(小池光)

 猫。いかにも愛らしい二文字だ、ねこ、とは。舌が口蓋を触れて「ね」、口内に通り道を作り、そこへわずかに息を吐き出して「こ」。この短い二文字がどうしてあのキャワな生物を形容しうると思ったのだろうか、恐るべし言語・そして人間。
 孫が日本へ渡ったことで、つれづれなりしアルコホール中毒の祖母は、猫を飼うことで愛情の捌け口を求めようとしたらしい。数年ぶりに祖母の家へ入ると、見知らぬ猫が好奇と怪訝の入り混じった眼でおれを見つめてきた。両親の反対で動物を飼えなかったおれとしては、これから半年もこのキャワな動物とともに暮らせることが嬉しくてたまらず、さっそく猫吸いとやらを試してみるも、素肌に鋭い爪を食い込まされて泣く泣く撤退。
 しかし数週を共にして、ようやくおれに懐き始め、今や共に寝ている。おれがベッドに横たわると、下腹部に彼女が乗り上がる、そしておれの頬に掌を置き、愛しき私との接地面積が最大になるよう大きく寝転がる、欠伸をする、仰向けになって純白の腹部を露わにする…………  なんたる愛らしさか? 正直に言って、おれは彼女に性的興奮を覚えることさえある、頭では否定しようにも、ファルスがパトスすることがある、「犬婿入り」を執筆した多和田葉子の気持ちがおれには理解る!

『崖の上のポニョ』鑑賞

 アルバイトが始まってしばらく、母語以外の環境下で脅威の六連勤を終えたおれの肉体はいかにも渇き切っていた、一筋の水、いや「津波」を求めたおれは、その足で郊外のショッピングモールに来ていた、──それは宮﨑駿の最高傑作『崖の上のポニョ』を鑑賞するためであった、そこでは一五周年記念としてポニョの再上映を行なっていたのだ! ……こんなふうに述べると、あたかも自分がジブリの「にわか」であるかのごとく受け取られてしまおうが、残念、私は宮﨑マニアである。宮﨑駿ブルーレイ全集は無論のこと、非売品となった関連資料も含めて、彼に関する日本語論文はすべて目を通したつもりだ、渡米随一の悔恨が彼の最新作を最高の環境でいち早く観れないことだった、そんなおれに言わせれば、彼の最高傑作は間違いなくこの『崖の上のポニョ』である、絢爛を極めたジブリのアニメーションを再び素朴な方向へ戻そうという、巨大な才能による人工的な脱皮の苦悩、そして色彩担当の保田道世をはじめとする、もはや実現しえない最高のジブリ布陣に囲まれた豊かなアニメーション……  おれを癒せるものは、もはやこの映画しかなかった!

手数料を記載せずに安く見せる、狡猾な映画チケット

 さて劇場の扉を開けると、女性とその娘(と思われる)二人組以外は誰もいなかったものの、上映が迫るとカップルが数組入ってきた。「ひとり」なのはおれだけである。いいよー。
 アメリカの映画館がみなこうなのかは知らないが、とにかくこの日の映画館は席がリクライニングになっており、足を伸ばすことができるからだろう、列ごとに巨大な段差が出来ていて、下の席が見えないようになっていた。快適。
 残念ながら映画本編は字幕付きの日本語であり、何度も観てきたそれではあったものの、娘と思われる二人組が席を立って、手前の棒に支えられる形で頭を突き出し、時折ポニョを真似して「あちー!」などと呟いていたのがすばらしかった。宮﨑に見せたら泣くとおもう。アニメは越境する。
 おれはいつも冒頭でトキが「津波だ、津波だ」と狼狽するところで泣いてしまう、なぜだろう、醜悪な老人の動きを写実的に描く識別眼を持った優秀なアニメーターが、それでもその人物を愛そうと思っているのが、画面越しに伝わってくるからか?

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