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自分とつながる、ということ

*こちらの記事は、今から半年前の息子の出産(2020/02/09)後、下書きとして書き留めておいたものを、半年間の時を経て、再度見直して投稿したものです。

今回の息子の帝王切開出産を通じて痛烈に学ばされたこと、それは、"自分とつながりなおす"ことの大切さでした。 

自分にとっての"理想の出産"

今回、私は助産院での出産を希望していました。
5年前に長女を出産した際は、40歳、高齢出産で初産ということで、病院での出産しか選択肢がありませんでした。
その際には、陣痛が来てから出産まで5時間という大安産。
ただ、胎児が急激に降りて来たため、強烈な痛みにばかり意識が奪われ、"分娩過程を充分に味わう"ということが出来なかったのが心残りでした。

だから、次に妊娠したら、その分娩プロセスを存分に味わいたい。
出来ることなら、娘や夫に立ち合ってもらって、命の誕生の感動を家族みんなで分かち合いたい。

それが、当時の私にとっての一番の望みでした。

そして、途中までは、実際その”理想通り”に事が進んで行きました。

44歳、2度目の妊娠の経過

ある日、直感に導かれ、ここだというタイミングで7日間ファスティングを実施。 
次の排卵日で妊娠。
近所の助産院でも安産の経産婦ということで、出産予約を受け入れてもらえ、定期検診時には毎回、産師さん達にも、整体師さんにも、"あなたの体ならばバッチリですね、その辺の20代30代の妊婦さんよりよっぽど体ができていますから"とお墨付きをいただけた妊娠前期、中期。

でも、妊娠後期に入ってから、少し様子が変わってくる。
助産院と提携している産院での検診時、どうも胎児の大きさが、標準より小さ目らしいとの診断。
しかも、途中から逆子になってしまって、それがなかなか治らない。
さらには、私自身の妊娠高血圧症が出てしまい、むくみと血圧上昇で辛い状態が続きながら、最後まで自然分娩を諦めたくないという思いを抱えて悶々とする日々。
最終的には、急な腹痛に倒れて救急車で搬送され、緊急帝王切開手術で出産。

自分の理想とはかけ離れた展開に、一体どこでボタンを掛け違ってしまったのだろう?と出産前から出産後まで葛藤の渦中にあり、こんなことあるわけない、と、現実を直視出来ない日々が続きました。

こんなはずじゃなかった、のに…

妊娠当初から、前回の妊娠時よりもよりもきっちり身体のケアをし、後期に入って、逆子が分かってからもお灸をしっかりして、必ず治るはず、という思いを保ち続けた。

以前から交流のある胎話士さん(お腹の中の赤ちゃんとの通訳をしてくれる)を 介して赤ちゃんとの胎話もしてみたところ、”ママ、帝王切開の方がきっと楽だから、僕は産まれ方にはこだわらないよ”と言ってるみたい、との話。息子の気遣いに感謝しつつも、正直、その言葉を受け入れられず、でも、ママは普通分娩で産みたいの、だから、頭を下に向けてね〜、とお願いし続けた。


のにもかかわらず、

なぜ、”私の思い”通りに事が運ばなかったのだろうか?


顕在意識と潜在意識の"私"の思いのすれ違い

この時の”私の思い”というのは自分の顕在意識が思っている表層レベルの”私”の思いであり、実は、潜在意識レベル、そのもっと奥深くの集合意識に近いレベルまでつながる”私”までは自分の意識が思い至っていませんでした。

言ってしまえば、宇宙の采配とも言うべき、顕在意識レベルの自分では把握できない大いなる自分に委ねる、サレンダーすることができずに葛藤を抱えていたのです。

私がしがみついていたのは、治療家として他の模範となるような実体験を重ねている自分であること。

高齢でも、ちゃんと”立派な””自立した”お産を体験して、ほら、自分は大丈夫でしょう?と周りに示すこと。


その一方で、深層心理の自分は、そんなちっぽけな自分の幻想を、完全に打ち壊すことを望んでいたのです。

私の本当の思いに寄り添ってくれた息子

胎内にいた頃から、私の息子は”ママ!ママはもっともっと自分として生きることを楽しまなくちゃダメだよ。僕が出てきたら、一緒にいっぱい楽しもうね”というメッセージを送ってきてくれていました。(これは自己対話法を用いての息子と行った会話の内容です。)

それにも関わらず、私は、”ちゃんとした”自分であることに常に重きを置き、自分の頭が作り上げた、自分の理想に近づくことばかりに意識が行っていたのです。

そんな私に対して、息子は逆子のままでいることを選択することで、その私の幻想をガツンとぶち壊し、私のハート、魂の奥深くが求めていること、つまり、”ありのままの自分を身心共に受け入れて、その自分として生きることを楽しむことの大切さ”を教えてくれたのだと、今振り返って実感しています。

もし当初の自分が抱いていた理想の出産をしていたら、私は今でも”おごった治療家”のままでいたでしょうし、その”仮面”をつけた自分を演じ続けることを自分に強い続けることで、ますます苦しい思いをしていただろうと思います。

そして、私の理想に応えることに必死になっていた私の身体を、さらにもっと重ねて痛めつけ続けていたことでしょう。(妊娠高血圧症は、もう限界だよーという身体からのサインでした。)

ありのままの自分は、情けなくて、無力で、格好悪いけれど、その痛みを受け入れ、、そこに寄り添う心の余裕も持てる。加えて、そこから再生できるという自信も培うことができる。

そこから未来に対する本当の意味での信頼というものが湧いてくるのだと、今回経験した心と体の痛みを通じて私はやっと理解することができました。

自分とつながること、そしてそれを丸ごと受け入れて人生を楽しむこと。

産まれたばかりの頃からよく笑う赤ちゃんだった息子は、まさにそれを"在り方"で示してくれていました。

息子が自分の誕生と同時に持ってきてくれた大きなギフトの価値を、今じっくりと噛み締めながら消化しているところです。

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