鶏肉のトマト煮込みが勇気をくれた
私でも、レシピを参照せずにつくれるメニューがある。鶏肉のトマト煮込みだ。
ほとんど料理をしてこなかった私は、出産を機に、家庭料理の世界に足を踏み入れた。娘たちは今年で6歳。私の料理歴も6年ほどになった。
妊娠した時点で「ああ、料理ができないといろいろ不都合だろうな」と察してはいた。
けれど、妊娠初期は精神的に揺らぎやすいものなのか、私はとんでもない不安に取り憑かれ、料理の訓練に取りかかれずにいた。想定外の双子妊娠が、不安に拍車をかけていた。
「あかん。要領の悪い私に、双子の子育てなんて、できるはずがない……!」
悲観と不安が頭から離れない。毎日、気が狂いそうな思いで電車に乗り、会社へと通勤していた。吐きづわりもあり、ひどい様子だったと思う。いい年をして、妊婦健診で担当だった助産師さんの前でぽろりと泣いてしまったこともある。
そんなとき、近所に住む母が訪ねてきてくれた。
私と母は、パッと見はとても仲がよく映るらしいのだけれど、実は、心に微妙な隔たりを抱えている。少なくとも、私はそう思っている。
幼い頃から「母にわかってほしい」と願っても、叶えられないという小さな落胆を重ねてきた。
母は母で、もどかしい思いをしているのが伝わってきた。私の心と母のそれは、うまくフィットしない形だったのかもしれない。
母は言った。
「焦らんでもいいよ。ちょっとずつお母さんになる準備をしたらええから。妊娠したからって、すぐ『お母さんの心』になれるわけじゃないから」
その言葉に、頭をかくかくと上下させて頷いたのを覚えている。母の経験を踏まえたものであろう言葉が、私を安心させてくれた。なにより、母が寄り添ってくれたことが嬉しかった。
ちょっとしたすれ違いはあっても、母はいつもそばにいてくれたことを思い出した。
母に「なにか食べたいものある?」と聞かれた私は、「鶏肉のトマト煮込み」と答えていた。
吐きづわりはおさまりつつあったものの、食べ物を見ると憂鬱な気分になる状態は続いていた。それでも、子どもの頃から大好きだった、母のトマト煮込みを食べたくなっていた。
鶏肉に小麦粉をまぶし、バターかオリーブオイルで炒めたところに、玉ねぎとしめじを投入してさらに炒める。マッシュルームを入れてもいい。トマト缶と水100mlに、コンソメは小さじ1杯ぶん入れて、煮込む。鶏肉が柔らかくなったら、お砂糖を加える。ウスターソースをほんの少し垂らすのを忘れずに。
最後に生クリームを入れたら完成だ。
つくり方を教えてもらっているときも、できあがったときも、私は吐き気を堪えていた。つわりがまだ終わっていない時期にはへビーすぎる料理。でも、たぶん心が求めていた。
結局、胃におさめられたトマト煮込みはわずかで、残りは夫と母が食べてくれた。
その後、一般的には安定期と言われる時期を迎えるとともに、私の心は落ち着いていった。周囲の人たちに支えられながら穏やかなマタニティライフを送り、無事出産を迎えた。
5歳半になった双子の娘たちは、ばあば直伝のトマト煮込みが大好きだ。「えーと、お腹だいじょうぶですか?」と聞きたくなるほど、おかわりをする。
「ママのごはん、めっちゃ美味しいよ!」
料理ができなかった私が、娘たちの絶賛を浴びている。私の人生における三大成功体験を挙げるとすれば、料理を覚えられたことがランクインするのは間違いない。
人生のつらい時期は、まわりの人の優しさと自分の適度ながんばりのうちに、通り過ぎてしまうものだ。無理に乗り切ろうと意気込まなくても、なんとかなる。トマト煮込みをつくるたび、そう思っている。
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