はじめの第一歩(前編)
歌詞が書けない。
一向に書けない。
厳密に言うと、書けないのではない。
まとまらないのだ。
書きたいテーマがいくつかあって、ノートの各ページにはそれなりに伝えたいメッセージが連ねられている。
しかしどれも中途半端で全く形にならない。
「もう〜〜〜嫌になるなぁ!!!」
今日も眠たくなってきて、バフッとベットに突っ伏した。
◇
プロフィール
私は駆け出しのシンガーソングライター。
この春、意を決して勤めていた会社を辞め、音楽の道を歩みはじめた。
元々音楽は大好きで、幼少期は母の車の中で音楽を聴くことが楽しみだった。
昔よくあった「間違えずに全部歌えたら100万円!」なんて番組では、かつて一世を風靡した音楽を知れることが楽しくてテレビに張り付いていたし、小、中、高、大、社会人全ての時期に、ひと前で歌わせていただく機会があった。
歌手を夢見てオーディションを受けたこともあった。
歌に触れられる仕事がしたいとボイストレーナーになりかけたこともあった。
紆余曲折あり居酒屋店員として働いていた私は馬車馬のように働いていたある日、「一生この仕事をしていくのだろうか?」と疑問をもちはじめた。
◇
「あぁ、もう泣かないで」
その頃、好きなアーティスト(Hump Backさん)のLIVEのために、昔ながらのライブハウスに足を運んだ。
歌詞を丸暗記するほど大好きな『拝啓、少年よ』という曲に吸い込まれかけていると、最前列にいた私は確実にバッチリベースのぴかちゃんと目が合い微笑んでもらった。これは勘違いではない(と思いたい。)
そこで、まるで魔法が解けたかのように我に帰った。
「あれ?なんでこっち側にいるんやろう。私もステージに立って歌いたい、、、!」
その瞬間、音楽が大好きなのに何もアクションを起こさず客席側にいる悔しさや、大好きな曲を生で聴けた感動、ぴかちゃんと目が合い高揚する気持ち、当時の私には響きすぎて苦しい歌詞など色々な感情がぐちゃぐちゃとかき混ざり、ついに「あぁもう泣かないで」という歌詞のところで号泣してしまった。
後にこの日をきっかけに、シンガーソングライターの道を志すことになる。
◇
3ヶ月目のスランプ
仕事を辞めたばかりの頃は、「よっしゃーやるぞーー!」と意気込んでいた。
もう、なんの制限もなく好きなだけ音楽に没頭できる。
どんなアーティストを目指そうか?どんな歌をつくろうか?イメージを膨らませば膨らませるだけ、胸が高鳴った。
しかし音楽生活も3ヶ月目に差し掛かった頃、はやくもスランプに陥った。
歌詞が思うように書けないのだ。
そういえばバイタリティ溢れるあの子は、何にエネルギーを向けたら良いかわからないって言っていたなぁ、
自分の想いを大切にするあの子のやりたいとことは3年間変わっていないのに、環境も3年間変わっていないよなぁ、、
心優しく繊細なあの子は、ようやく片足を突っ込んだ自分の道を進み続ける不安に押しつぶされそうだと話してくれたよなぁ、、、
なんとかそんな大切な人たちにプレゼントできるような、あわよくば寄り添えるような歌をつくれないか。
自分が恋をした時も失恋をした時も、壁にぶつかった時も受験勉強に精を出している時も、どんな時も側には音楽があったものだから、「私もそんな風に誰かの心の支えや何かのきっかけになりたい!」という強すぎる欲が首にぐるぐると巻きつき締め上げていた。
自分で勝手に一曲を完成させることに対するハードルを上げていたのだ。
◇
ショックすぎて眠くなる
息抜きにnoteを開くと、作家の岸田奈美さんエッセイが更新されていた。
私は彼女が書く、温かくもリアルな文章の大ファンである。
ノートを閉じて机からベッドに移動し、スクロールを始めると早々にこんなことが書かれていた。
"たまに「自分の経験を書くことで、誰かが元気になってほしい」「誰かに共感してもらうことで、救われてほしい」というために、書きたいという人がいます。
優しさを否定しませんが、文章で他人をどうこうするなんて、まったくのファンタジーです。
(中略)
なぜなら、人と人は永遠にわかりあえないから。頭で考えてることなんて、外に出した瞬間に20%も伝わらないし、それすらも寸分の違いなく受け取れる人なんて、1人もいないんです。
「共感した」「救われた」というのは、読み手が勝手に解釈して決めることであって、それを書き手側がコントロールすることなんて、絶対にできない。"
『キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと』岸田奈美
「え???」
まるで私の考えを見透かされているようだった。
しかも言われていることにもよく考えてみればごもっとも。
「じゃあどうしたらいいの、、、?」
"大切な人の心に寄り添えるような歌詞"を書こうとし、つまずいていた私は、ますますどうしたらいいかわからなくなってしまった。
なかなか思うようにはいかない。
現実逃避ををしたい時に過眠する癖がある私は、この日も眠たくなってきてしまった。
◇
よみがえる悔しさ
目を瞑ると、「あやのちゃん、本気なの?」という声が聞こえてきた。
例のLIVEの後、当時信頼していた人に「なんでこっち側にいるんだろうって思っちゃったんですよね」と、ポロッと打ち明けたことがある。
すると、「そもそもオーディションとか受けてたのにボイストレーナーの道に進みはじめた時点で逃げだよね。本気に音楽対する想い本気なの?」などと言われた。
何故か急にその言葉と、悔しいけれど言い返せないもどかしい感じがフラッシュバックし、じわじわとむかついてきた。
「うるさいなぁ。本気じゃないんじゃなくて、本気だからこそ怖くて踏み出せないんだよ...」
恋愛で例えるとわかりやすいかもしれない。
好きで好きで好きだからこそ、「告白しちゃおうかな、でもこのままの関係崩したくないしなぁ、う〜〜〜ん」と、膨らみすぎた想いが立ちはだかり、踏み出すことを躊躇してしまうあの感じ。
そんなことを考えているといつの間にか眠りについていた。
◇
変な趣味
話は逸れるが、私には変な趣味がある。
曲を聴いて、「わ!タイプ!」と思うと決まってWikipediaに行き、このアーティストさんがどんな音楽に影響を受けいるのかや、どのようにしてこの曲が生まれたのかなどを調べるのだ。
「なるほど、あいみょんはスピッツさん、浜田省吾さん、吉田拓郎さんなどの男性シンガーソングライターに影響を受けているのか。」などと好きな人の背景を知れることが非常に楽しい。
しかし近頃は純粋に楽しめなくなってしまった。
例えば憧れのあいみょんは、ギターを中学3年生から本格的にはじめたことを知ると、
「私が初めてギターを本格的にはじめたのは半年前。その時点でもう7年も差がある。せめてギターをはじめて買った19の歳時にはじめていればなぁ、、、」
なんて勝手に自分の人生を照らし合わせ、勝手に落ち込んだりしてしまうのだ。
「はぁ...」
比べたって仕方がないけれど、気持ちはあるのに勇気が無くて動かなかった期間のことを考えると、自分の不甲斐なさに長いため息が出る。
◇
ありがとう杏沙子さん、ありがとう星野源さん
そんな日々の中Uva-Netさんの記事を読んでいると、シンガーソングライターの杏沙子さんのこんなお話に出逢った。
今まで架空の誰かの言葉で、架空の誰かの物語を書いてきた杏沙子さんは、ドラマの主題歌の書き下ろしをきっかけにはじめてリアルに感じていることを曲にしてみる。
すると、「この曲で受験を乗り越えました」「大事な日に必ず聴きます」などの感想をもらい、自分の感情が誰かに重なって深く浸透していく感動を知った。
「!!!」
「そうか、はじめから"誰かのために"書くのではなく私の言葉で私らしく、心のままに胸にある想いをつづれば、結果的に同じような想いをしている誰かに何かを届けられるかもしれない。」
同時に、友人から面白かったと聴いて気になっていた星野源さんの『そして生活はつづく』という小説を読んでいると、こんな言葉に出逢った。
"「人の表現とは、庭に置いてあるホースのようなものだ」
(中略)
どんな人でも、最初は茶色く泥のまじった水が出るのだと。
そしてしばらく出しているうちに少しずつ透明になっていき、最後にはきれいな水が出る。"
p.200.201
「!!!!!」
頭からバシャバシャと冷水をかけられた気分になった。
「そうか。今出来上がるものは良くも悪くも泥水なんや。別にすごくなくても完璧じゃなくてもいい。大丈夫。手を動かしてみよう。」
一気に肩の力が抜けた。
こうして杏沙子さんと星野源さんの言葉のお陰もあり、"どんなことをテーマにしようか"長〜いこと悩みあぐねていた私は、ついさっきまで感じていたこの、"歌詞が書けない状況"をテーマに書いてみようと決心したのだった。
後編へつづく
#作詞 #シンガーソングライター
#脱完璧主義 #将来の夢 #エッセイ #歌詞エッセイ #はじめの第一歩
#HumpBack #あいみょん #杏沙子 #星野源
大切なお時間をいただきありがとうございました💐