『ホラーが書けない』38話 深夜に訪れたレトロな店はまるで異空間【Web小説】
第38話 ぽつんとたたずむ幻想的な喫茶店は心地がいい
深夜の街で俺――紫桃――は一軒の店を前にたたずんでいる。
店の外観は一言でいえばレトロ。昭和時代を代表する純喫茶のようだ。1階の下部分はレンガ造りの外壁で上部分は白壁となっており、2階部分は白壁だ。1階と2階の間には緑色の庇があり、茶色の看板がかけられていてアルファベットで店名が書かれている。
明らかに個人経営の店は、周囲が営業終了して暗いなか、ぽつんと明かりが灯っている。ここだけ時が止まっているような雰囲気だ。
ぼうぜんと見ていたら、ここへ連れてきた友人・コオロギ――神路祇――が店の扉を開けて中へ入っていく。俺はあとに続いた。
店内には邪魔にならない音量でジャズと思われるBGMが流れている。コオロギはカウンターで店員と話していて、戻ってくると2階へと続く階段を上っていく。俺は店内を見回しながらコオロギのあとをついていった。
2階にはテーブルと椅子が何組か並んでて、深夜だというのに俺たち以外に客が数人いる。コオロギは窓際の席へ向かうと、「ここでいい?」と聞いてきて俺が同意すると、慣れた感じで席に座った。それから「ここは喫煙できるよ」と言って灰皿をよこした。俺は向かい席に回り、使いこまれた椅子を引いて腰を下ろした。
店内は白壁で床は板敷。床の色は明るい茶色ではなく海老茶。オレンジの照明に包まれた木の室内は温かい空間をつくっている。まるで自分の部屋にいるような安心感で心地がいい。しっとりと落ちつく店内をもう一度眺めた。
「よくこんな店見つけたな」
「雰囲気いいでしょ」
「ああ。店内の椅子やテーブル、それに1階のカウンター付近もすべて木製で落ちつく。
年季も入っているみたいだし……」
「珈琲専門の老舗だよ。
この近くで勤務していたときに見つけたんだ。
週1くらいで通っていたかな」
この店に来る前、電車の始発時間までどこで時間をつぶそうかと考えていた。ファミレスにしようか、それともカフェかと迷っていたらコオロギがいい店を知っていると言ってきた。どんな店に連れて行かれるのかと不安だったけど、いい店だ。
そういやコオロギは職場が変わると、昼休憩に利用する店をさがすために勤務先周辺で飲食店めぐりをすると言っていた。
女性の場合、一人だと飲食店に入りづらいという人は多い。ところがコオロギはそんなことはないらしく、新しい勤務地だけでなく、旅先でも気になるお店を見つければ躊躇なく利用する。
行く先々で見つける店は老舗だったり、ユニークな店だったりとジャンルはいろいろで、気に入ったら何度も利用する常連客となるようだ。この店もそんなお気に入りのひとつなんだろう。
同じものを食べ続けてもなんとも思わないくらい食に興味がないというのに、いい場所を見つけるのはうまいよな。
感心しながらくつろいでいると、檜皮色のエプロン姿の年配女性が注文を取りにきたので、俺はあわててメニューを手に取る。コオロギは迷わずカフェ・オーレを注文し、俺はストロングコーヒーにした。
居酒屋を出てから座ることがなかったから足を休められてちょうどいい。やわらかい光の空間に、ちょうどいい音量で流れているBGM。すごく和む……。
店に入ったときからコーヒーのいい香りに包まれている。時を積み重ねてきたにおいは、もうこの店の香りとなっているのだろう。
「コーヒーの香りがいい。なんだか落ちつくなあ」
ぽろっとこぼしたら、コオロギは自分が褒められたみたいにうれしそうな顔になった。完全にくつろぎモードで話してくる。
「においにはリラックスの効果もあるらしいからね。
香水みたいな人工的なにおいは好きじゃないけど、自然の中にある香りは気持ちが落ちつく。
あと神社とかでも香りで癒やされることがあるなあ」
「ああ、わかる。神社や寺とかに行くと、お香なのか線香なのかわからないけど、落ちつく香りがしているよな」
「ふふっ。お香のにおいも落ちつくけど、自分が言っているのは人工的な香りじゃないんだ。
なにもない所から花や森など、自然のいい香りがすることがあるんだよ」
「なんだそのお得なふしぎ現象は。一体どんな感じなんだ?」
「早朝にさんぽするのが好きでね、出勤前に神社へ参拝したときのことなんだ――」
思いがけずコオロギが奇妙な体験をした話を始めそうなので、俺はすぐに聞くモードに切り替えた。
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神無月そぞろ @coinxcastle
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