「四季・コギト・詩集ホームぺージ」ブログ

新刊書店では目にする機会のない戦前抒情詩と江戸漢詩の詩人たちについて、彼らの詩集を回顧…

「四季・コギト・詩集ホームぺージ」ブログ

新刊書店では目にする機会のない戦前抒情詩と江戸漢詩の詩人たちについて、彼らの詩集を回顧するホームページ https://shiki-cogito.net/ を20年にわたって運営してきました。旧「管理者日録」の続きをここに引越して、本宅コンテンツと併用して運用してゐます。

最近の記事

『桃の会だより』57号

 『桃の会だより』57号を拝受。久しぶりに誌上に拝見した野田安平氏の文章は、山川清至様の訃報(5月29日、享年92歳)を伝へるものでありました。  日本浪曼派の詩人山川弘至の弟君にて、実家のある岐阜県郡上市旧高鷲村の立派なお邸には、かつて詩人に関はる祭事があった折に、桃の会の者でない私も推参して御挨拶させていただきました。  戦歿した兄の遺志を祀り、文業を以て慕ひ続けた義姉京子氏に対する信愛はゆらぐことがありませんでした。彼女が主宰する歌会のもとに集った都会の人たちに対して

    • 南 史一著『詩伝 陶淵明 : 帰りなんいざ』

       先師田中克己の日記翻刻を了へたのち、陶淵明詩の読み較べにいそしんでをりました。  訳書はもちろん研究書も山ほどある陶淵明。この人気詩人については専門分野のみならず実に多くの人が文章をものしてゐます。  ただ李白・杜甫・白楽天・蘇東坡について単行本を書いてゐる私の先師田中克己ですが、陶淵明を語ったことは余りなく、「陶淵明を好いた人」といふ一文があるものの、これは淵明そのひとについて語ったものではありません。それで日記の方を検索したところ、陶淵明の伝記を執筆中といふ在野の社会人

      • 『頼山陽と煎茶』

        『頼山陽と煎茶 : 近世後期の文人の趣味とその精神性に関する試論』島村幸忠著(笠間書院 2022年刊行202p)  先日、揖斐高先生の岩波新書新刊『頼山陽』を読んだので最近の関係文献がないか調べたところ、斯様なタイトルの本が出されてゐたのを知りました。前回ブログで紹介した『よむうつわ』でロバートキャンベル先生が探訪したのは点茶の世界ですが、それが江戸時代に俗化したことに対して起こされた煎茶道のブームは、漢詩文を能くする文人たちが主体であり、興味深い話題でしたので早速さがして

        • 『よむうつわ 茶の湯の名品から手ほどく日本の文化』

          『よむうつわ 茶の湯の名品から手ほどく日本の文化』上下巻  ロバート・キャンベル 著 淡交社 2022年刊行  これも図書館にて何の気なしに手に取った本。元来わたしはテレビの「なんでも鑑定団」で依頼者が鑑定額に驚くのを愉快に観ていただけの人間であり、茶道具や点茶の作法どころか、そもそも抹茶に無縁の野暮天です。しかし古典籍に造詣の深い前国文学研究資料館館長ロバート・キャンベル先生が書いてゐる! 序文を覗いてみると、保田與重郎とも縁の有る京都の淡交社から「(専門家とは)別の角度

          『頼山陽─詩魂と史眼』

           現在、江戸漢詩分野研究の牽引者といって、揖斐高先生と徳田武先生とを一番に挙げることに異論はないと思ひます。特に文化文政期を中心とする詩人たちの交流を明らかにして来られたのが揖斐先生ですが、文化圏の中心にゐた頼山陽についてはこれまで手を下すことなく、まるで台風の目の如くに、敢へて正面から取り上げることがありませんでした。(尤も1982年の若き日に、古書として掘り出された山陽若年の旅日記『山陽東遊漫録』の解題と翻刻とを担当されてゐます。今回あとがきで知って遅まきながら入手しまし

          『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』

          『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』(高橋智著 2016年刊行)といふ本を図書館で見かけて借りてきました。 日外アソシエーツから「図書館サポートフォーラムシリーズ」の一冊として出された本なので、公立の基幹図書館には必ず常備されてゐさうです。江戸時代の版本が好きな人なら知っておきたい事情が大変分かりやすく書いてある本でしたのでご紹介します。勉強になりました。 まづは導入部として、江戸時代にはありふれた教科書の類ひ、故に明治以降顧みられなくなった版本のヴァリアントを、一つ

          『海を渡ってきた漢籍: 江戸の書誌学入門』

          幸田露伴

           陶淵明はこれからも良寛禅師同様、生涯座右の漢詩人となりさうですが、次に「書き込み読書」の対象になったのが、今まで読まず嫌ひで通してきた幸田露伴でした。読書習慣のなかった高校生の頃に(課題図書だった?)手にした「五重塔(明治25年)」に歯が立たず、以来ずっと敬遠したまま。その後江戸時代の郷土詩人に興味を持ち、森鴎外の史伝三部作に親しんだ(漢詩史料として接してきた)折に、幸田露伴もまた鴎外同様の薀蓄の持主であると仄聞したものの素通りしてをりました。  明治の文豪――。夏目漱石に

          冨長覚梁先生

           詩人の冨長覚梁先生が4月1日に亡くなられた。新聞(4/3中日新聞朝刊岐阜県版)の訃報を友人から知らせてもらひ吃驚してゐます。89歳で老衰とのことですが、卒寿の大往生とよんで差し支へないでしょうか。  郷土岐阜県詩壇の重鎮でした。わが職場だった大学にも非常勤講師としてお越しになり、当時あった文学部国文学科で詩の講義をしていただきました。豊橋に隠棲した生前の丸山薫を御存知で、慕はれ、交流もあったといふことで、一職員ながらおなじく『四季』の同人だった田中克己を師と仰いでゐる私か

          その伝記・・・陶淵明をよみくらし。Ⅲ(終)

          承前。 訳詩集の読み比べを了へたあと、吉川幸次郎の『陶淵明伝(新潮文庫・中公文庫)初版1958年』を繙きました。楽しみのため故意に残しておいた本でした。 伝記なので引用の詩句はぶつ切りが多く、語釈もありませんが、碩学ならではの蘊蓄による解説と分析とに富み、作品集として鑑賞するといふより、あらためて陶淵明の詩趣を味はひ直すべき小品といふ読後感にて、なにより誰とも被らぬ自在な訓が振られてゐるのに驚かされました。 冒頭「自祭文:自ら祭る文」から書き起こされてゐます。けだし陶淵明が

          その伝記・・・陶淵明をよみくらし。Ⅲ(終)

          「帰去来の辞」陶淵明をよみくらし。Ⅱ

           大河ドラマ「光る君へ 」に陶淵明の「帰去来の辞」の最初のくだりが出てきてびっくりしました。  既に自ら心を以て形の役と為す 奚ぞ惆悵として独り悲しまん  (これまで自ら心を身体のしもべとしてきました。もうくよくよと独り嘆き悲しむものですか。)  已往の諫められざるを悟り 来者の追ふべきを知る  (済んだ事は改めることができません。でもこれからの事は追い求めることができると知ったの!)  實に途に迷ふこと其れ未だ遠からずして 今は是にして昨は非なるを覚る  (まだそんな

          「帰去来の辞」陶淵明をよみくらし。Ⅱ

          『亀井勝一郎:言葉は精神の脈搏である』

           山本直人氏による亀井勝一郎の評伝『亀井勝一郎:言葉は精神の脈搏である(ミネルヴァ日本評伝選2023.9)』が公共図書館にやうやく登場。  亀井勝一郎といへば高校生の頃に手にとった人生論がなぜかつまらず(単細胞な私は加藤諦三にハマった)、のちには「保田與重郎の大和禮讃を一般に説き直した」といふ言を信じて読みもせずゐたのですが、革命と戦争に翻弄された戦前世代の文学者のなかでも、一番生真面目に状況に対処したといへる批評家の生涯を、思想の偏りなく丁寧になぞった本書は、新資料や周辺情

          『亀井勝一郎:言葉は精神の脈搏である』

          陶淵明をよみくらし。

           年明けて陶淵明をよみくらしてゐる。詩人が亡くなった63を私も迎へ(満だと三月尽に)、また停年前の退休を決めたことで、にはかにこの有名な隠棲詩人が慕はしくなり、手持ちの蔵書に加へて色んな先生方による訳書を机上に並べては読み比べをしてゐるものである。  いったいにこれまでも「漢詩と親しむにはどんな方法がよいのか」考へてきたことだが、ひとつには自分しか知らないやうな地元詩人の詩集を手元に置いてかじりつくことが一番であることに思ひ至り、詩集はもとより機会があれば掛軸の筆跡も集めて

          『感泣亭秋報』終刊号

           昨年の晩秋、『四季』の血統を関西で継いできた同人詩誌『季』が115号をもって尻切れ蜻蛉のやうに廃刊しました。そして一年後の今秋、たうとう『感泣亭秋報』も18年18号の歴史を閉ぢることとなりました。  秋のひとつ星フォーマルハウトのやうに、寥々たる抒情詩文芸界のなかでひときは存在感を放ってゐた年刊雑誌だっただけに、巻を追ふごとにページ数を増やしてゆき、そのさきに終刊を迎へたことも何かしら“星の一生”を見とどけるやうな気持ちがしてなりません。  みなさんから惜しみない讃辞が寄

          『池畔好日』

          今年度より職場大学の専任教員になられた書家の住川英明先生が、今夏銀座鳩居堂画廊(令和5年8月29日~9月3日)で個展を開かれ、カタログを出版されました。 書のよしあしなど分からぬ掛軸コレクターの自分ですが、通常の書展とは異なりこの個展、自作歌が書かれてをり、どれも抒情的でその『四季』『コギト』にも通ずる詩情に共感。“歌集”として大切にいたしたく、ご紹介いたします。 『住川英明 書展 池畔好日』2023.7.19 私家版非売 21×21cm 80p 作品目録 ★は個人的に好

          『杉原一司歌集』

           同人誌『菱』の寄贈を忝くしてをります手皮小四郎様の御縁をもって、鳥取大学の岡村知子先生より『杉原一司歌集』ならびに全集に向けての準備稿となる抜刷を頂きました。 かつて我身をゆさぶりし激情のかへりくる日は虹かかりをれ うろこ雲のびゆく夏の陽ざかりに花はま白く咲くをおそれず 薄いコップの縁に残せる指紋など忘れて夏の陽ざかりを野を 時計など持たないわれは辞典とか地図とかを読み楽しく過す 倒れたるときに掴めるすなくづに何の因縁(えにし)をもとめむとする 霧のふる夜燈が淡く近寄りて

          『詩と思想』2023年7月号「特集:抒情詩の学び」

           『詩と思想』2023年7月号は「抒情詩の学び」とのことで、『四季』に集った伝統派の抒情詩が特集されました。趣旨は「四季派詩人を中心に、今抒情詩をどう学ぶか」。  「学び」とあるやうに、この度は戦後詩史のかなたに水没した「四季派抒情詩の大陸棚」の詩情を、書き手意識から探るべく、令和の実作詩人たちからの考察と感想とが集められてをり、拙サイトからもデータ引用して頂いたやうで感謝です。  最初に掲げられたのは、「四季派抒情詩に学ぶ」ために集まった詩人四者による座談。  謙虚すぎるタ

          『詩と思想』2023年7月号「特集:抒情詩の学び」