「帰去来の辞」陶淵明をよみくらし。Ⅱ
大河ドラマ「光る君へ 」に陶淵明の「帰去来の辞」の最初のくだりが出てきてびっくりしました。
既に自ら心を以て形の役と為す 奚ぞ惆悵として独り悲しまん
(これまで自ら心を身体のしもべとしてきました。もうくよくよと独り嘆き悲しむものですか。)
已往の諫められざるを悟り 来者の追ふべきを知る
(済んだ事は改めることができません。でもこれからの事は追い求めることができると知ったの!)
實に途に迷ふこと其れ未だ遠からずして 今は是にして昨は非なるを覚る
(まだそんなに間違って来ちゃゐない。今の気持ちが正しく、これまでは間違ってゐたことにやっと気づいたの。)
と、まひろの気持ちで訳してみましたが(笑)、さて、陶淵明のテキスト読み比べも佳境に入り、いよいよその彼の代表作ともいへる「帰去来の辞」を愉しんで読んでゐます。
有名な作品なので各本とも語釈など殆ど相違はないのですが、面白いと思ったのは、やはり富士正晴訳。
原文の「帰去来兮辞」は、段落など設定してゐるわけではありませんが、内容をもとに行間を空け、大きく四つに段落が分かれてゐるのが普通のやうです。本によってはさらに細かく区切って訳文を挿入し、読みやすくしてあるものもあります。
ただ最後の四段目だけは、どの本も皆「やんぬるかな」が先頭に据ゑられてゐて、そのあとに続けて出て来る
曷(なん)ぞ心を委ねて去留を任せざる
胡爲(なんす)れぞ遑遑として何にか之かんと欲す
(どうして心のままに進退をあずけられないのか)
(どうしてそんなに慌ただしくどこへゆかうとするのか)
この「反語の二行」が「どうして」「どうして」と畳み掛けるやうに続くことで、クライマックスに相応しい、漢文らしい力強い演出が訳文から感じられるやうになってゐます。
ところがです。富士正晴だけが、その間で敢へて行あけし、そして劇的効果が期待される「やんぬるかな」を前段文章中に収めてしまって、権威の先生方の行文に異を唱えてゐるのです。
これは訳文で見ると一層よくわかるのですが、彼がこの場所で分けてゐるのはなんといふか、とても抒情詩らしい〝四季派の流儀〟なんですよね。
さすが伊東静雄の友人といふべき歟。皆さんはどちらがお好みですか?
下に該当個所をテキストで掲げます。皆さんならどこで区切りますか?
(前略)
既にして窈窕として以て壑(たに)を尋ね
亦た崎嶇として丘を經(ふ)
木は欣欣として以て榮に向かひ
泉は涓涓として始めて流る
萬物の時を得たるを善(よみ)し
吾が生の行くゆく休するを感ず
已矣乎(やんぬるかな)
形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
曷(なん)ぞ心を委ねて去留を任せざる
胡爲(なんす)れぞ遑遑として何にか之かんと欲す
富貴は吾が願ひに非ず
帝鄕は期すべからず
良辰を懷ひて以て孤り往き
或は杖を植(た)てて耘耔(うんし)す
(後略)
★
それからこれは私だけが感じたのかもしれませんが(あるいは誰か研究者が既に指摘してゐるかもしれませんが)、陶淵明が故郷に帰って来ると近所の百姓がやってきて「農作業の季節がやってきた」と告げるくだりがあります。
「農人は余に告ぐるに春の及べるを以てし、まさに西疇に事あらんとす」
これ、実は序文において、就職に至った理由の、兵乱(劉裕の挙兵)が起きてにわかに時代が変動したことを「たまたま四方の事あり」と婉曲に記してゐるんですが、私には、どうもそれを踏まへての彼らしい諧謔の表現だと思はれてならないのです。
彼がただの隠遁者でなく気骨ある人間であることは読み始めてすぐに分かったことですが、愛する幼児たちの出来に呆れる「子を責む」や、白壁中の微瑕とくさされたこともある「閑情賦」なんか読んで、すぐれたユーモアの持主であることが分った後だと尚更です。
★ 追記1
淵明詩に頻出する漢語に「悠悠」があります。現在と異なり良い意味ばかりとは限らない。「飲酒14」の「悠悠迷所留」の解釈も各先生難渋の様子ですが「迷」を自動詞とせず「悠悠、留まる所を迷はす」と自らベロンベロンとなった描写としたら如何でしょう。前後の「不覚知有我」「酒中有深味」も渙釈しないかな。
★ 追記2
それから文法に関しては「豈不」の反語使用も多いです。 諸本は「あに〜ざらん(や)」とお約束通り訓んでゐますが、陶詩においては殆どが次文の思ひを強めるために前置きされてゐます。いっそ「あに〜ざらんも」と訓じて「まことに〜とは言ふものの」と解釈しながら読むとたいへん通り良いことに気がついたので付記します。
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