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陶淵明をよみくらし。

 年明けて陶淵明をよみくらしてゐる。詩人が亡くなった63を私も迎へ(満だと三月尽に)、また停年前の退休を決めたことで、にはかにこの有名な隠棲詩人が慕はしくなり、手持ちの蔵書に加へて色んな先生方による訳書を机上に並べては読み比べをしてゐるものである。

 いったいにこれまでも「漢詩と親しむにはどんな方法がよいのか」考へてきたことだが、ひとつには自分しか知らないやうな地元詩人の詩集を手元に置いてかじりつくことが一番であることに思ひ至り、詩集はもとより機会があれば掛軸の筆跡も集めてきた。訳もわからず訓読した結果をいくつか紀要にレポートしたこともある。

 しかしながら素養もなく闇雲に漢詩の原文にかじりついたところで、いかほどの理解に至れるものだらうか。結局は古典に深く親しまないと、文字面だけ判読したところで話にならない。親を喪ったのを機に聞き込んだ論語の訓読テープや、左遷の際に受検した漢字検定で覚えた四字熟語によって、故事・典故といふものが如何に大切か分かって来たが、別にモチベーションを高めるために考へて実践してゐるのが、気に入った詩を定めて、①いろんな訳者の註釈を読み比べてみること。そしてもうひとつ、平仄なんぞ無視していいからそれを利用して②自らに即した「替へ歌」を作ってみることであった。二つの方法を通じて皴がなくなった還暦脳に、漢詩の流儀なり息遣ひを刻み込ませようといふ魂胆である。

 ①いろんな訳者の註釈を読み比べてみる

古典のなかでも一番難しさうな「漢詩」ジャンルにおいて、評釈本に間違ひ等ある筈もないと思ってゐたけれど、どうしてどうして訳者によって訓読もまちまちなら評釈も異なってゐることが分る。そのどれが正解でどれが間違ひとはハッキリ言へない文芸であることが分る。その結果、偉い先生達にチャチャを入れながらたのしく読んでも良いといふ、独りよがりの勉強法が出来上がる。

 試みに陶淵明の有名な「帰園田居:園田の居に帰る」を読み比べてみよう。中の一節、
「久去山澤游、浪莽林野娯」を

久しく山澤の遊を去って林野の娯を浪莽(おろそか)にす(星川清孝『陶淵明(集英社)』)

久しく山澤の遊を去りしも浪莽(放蕩)たり林野の娯しみ(松枝茂夫, 和田武司『陶淵明全集 (岩波文庫)』)

久しかりし山澤の遊び、浪莽(広大)たる林野の娯しみ(一海知義『陶淵明を読む (藤原書店)』)

と権威たる諸先生方の訳が異なることが分かる。

 「子に命[なづ]く」中の一節、「天子我」の「」も、

 一海先生は「たれか:尭典」とよみ、松枝先生は「むくい:班固の賦」とよみ、最新版の林田先生は「はかる:荀子」とそれぞれ異なる典故をもとに訓んでそれぞれの面目を施してゐる(林田愼之助『陶淵明全詩文集 (ちくま学芸文庫)』)。

 全集版ではない、抄出版はあまたあるけれど、訳者の個性が強く出た本も面白い。

たとへば「勧農:農を勧む」中の一節、「実播殖」の「」を、

 全集版においては「実にこれ播植なり(松枝版)」「実はここに播植せり(林田版)」と難し気に訓まれるけれど、富士正晴は、レジェンド鈴木虎雄先生の『陶淵明詩解 (東洋文庫)』(元版1948)の訓み「曰く:いはく」を素直に踏襲して

ほれ、あの「種まきふやし」というやつだ

 と簡明洒脱に訳してゐる。

 竹林の仙人たる彼は他でも、会話でもないのに適宜直観で詩句を「 」に括り、当時の慣用句のやうに示してみたり、「初めに在りて終りを思ひ(答龐参軍)」を「あとさきよく考えて」とするなど、詩人ならではの感性をもって気づかされるところが多い。(『カラー版 中国の詩集:角川書店』1972)

 また詩句によっては、誤訳について決着のつくものもある。
「酬劉柴桑:劉柴桑に酬ゆ」中の一節、

「新鬱北牖、嘉穟養南疇:新葵は北牖に鬱たり、嘉穟は南疇に養ふ」

 向日葵がこの時代の中国にはなく「葵」が野菜であったことは、鈴木先生の『陶淵明詩解』にのみ記してあった。他の先生方は先行するレジェンドの注釈を参照しなかったのであらうか。

 もっといふと、もし誤訳であらうが推したい解釈もある。
「示周統之祖企謝景夷三郎:周続之·祖企·謝景夷の三郎に示す」中の一節、

「相去不尋常:相去ること尋常ならず」とは

「すぐ近くに住みながら (松枝)」なのか、あるひは
「近いわけではないが (一海)」でもいいよね、
と専門家の先生方が近傍に拘って意見しあふ中、先ほども挙げた富士正晴は
「普通(尋常)じゃない」とストレートに言ってのける。

 ことほど左様に、訓みのみならず解釈もまちまちで読み比べすると興味が尽きない陶淵明。しばらくは机上に何冊も広げて並べる獺祭(ダッサい)爺に徹するつもりで、あれこれ書き込むべくフリクションペンも用意した。蔵書に線を書き込むことに抵抗あるコレクターではあるが、忘れやすくなった脳には読み返すことを前提としたノートブックのやうなテキスト本も必要であり、またそのやうに古書も安く手に入れられるやうになってゐる。

 ②自らに即した「替へ歌」を作ってみる

さて、もひとつ。平仄を無視して自分の境涯に即した「替へ歌」を作ってみることについては、拙劣たるパロディの実作を掲げてご理解を賜り、項を終へたい。私が中国の古典にはまったきっかけを冒頭に記したが、事程左様に漢詩には不満を喞つ詩が多い。あくまでも漢詩に親しむ一つの方便ではあるのだが、これまた陶淵明が隠遁に向かふ心境や身の不遇を喞つにはちょうど良い。

「遊川:川(長良川)に遊ぶ」
陶淵明「遊斜川:斜川に遊ぶ」に傚ひたる戯作。
       (太字がもじった箇所である。)

甲辰正月五日、天氣澄和、風物閑美。
攜二三書冊川。臨長流、望岐阜城。
鯉躍鱗於將鸕鷀乘和以翻飛。
阜者、名實舊矣。不復乃爲嗟歎。
若夫岐阜城、傍無依接、獨秀峰頂
遙想山、有愛嘉名。欣對不足、率爾賦詩。
悲日月之遂往、悼吾年之不留。各疏年紀郷里、以紀其時日。

甲辰正月五日、天気澄和、風物閑美。
二三の書冊を携へて藍川に独遊、長流に臨み岐阜城を望む。
鮠鯉、鱗を將に午ならんとするに躍らせ、鸕鷀、和かなるに乘じて以て翻飛す。
彼の岐阜は名実に旧ければ復た乃ち為に嗟歎せず。
夫の岐阜城の若(ごと)きは、傍に依接するもの無く、独り峰頂に秀づ。
遥かに黄山を想ひて、嘉名を愛するあり。
欣び対して足らず、率爾に詩を賦す。
日月の遂に往くを悲しみ、吾が年の留まらざるを悼む。
各おの年紀郷里を疏し、以て其の時日を紀す。

開歳倏五日,吾行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,坐依遠流。弱湍馳鯉,閒谷矯鳴。迥澤散游目,緬睇金華山。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺披書冊,引滿更獨吟。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今樂,明日非所求。

開歳 倏(たちま)ち五日
吾が職 行くゆくは帰休せん
之れを念へば 中懐を動かし
辰(とき)に及んで 茲の遊びを為す
気 和やかにして 天 惟れ澄み
兀坐して遠流に依る
弱湍に鮠鯉馳せ 閒谷に鳴鵜 矯(あ)がる
迥沢に游目を散じ
緬(はる)かに金華山を睇(なが)む
九重の秀 微(な)きと雖も
顧み瞻(あふ)げば 匹儔無し。
壺を提げて書冊を披き 満を引きては更に独吟す
未だ知らず 今よりのち
当に復た此くの如くなるべきやいなや
中觴 遥情を縱(ほしいまま)にし
彼の千載の憂ひを忘れん
且(しば)らく今昼の楽を極めよ
明日は求むる所に非ず

藍川(長良川)と岐阜城

ことしもこんな調子で参ります。よろしく。

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