【ショートストーリー】ドネーション
朝の教室はなんだか埃っぽい匂いがした。
「オッス」
男友だち何人かと軽くあいさつを交わして、サトシは前から2列目の席についた。
「おはよう」
隣の席のカエデが声をかけてきた。低いけれど、張りのある声だった。
「おはよう」
サトシは口ごもるように返した。サトシと目が合うと、カエデはすぐに前を向き、サトシにその横顔を見せた。左の方から淡く射し込む朝の陽に、カエデの横顔と短くなった髪がくっきりと浮かび上がっていた。
カエデはいつも、髪を後ろで編み込んで、そしてポニーテールのようにまとめていた。長くてきれいな黒髪だった。しかし、今朝の教室で隣に座る彼女の髪は、どいうわけかとても短く刈り込まれていたのである。
1時限目の数学のあと、彼女の周りには数人の女子とそれから男子が集まってきた。もちろん話題は彼女の髪型のことだった。
「どうして切っちゃったの? もったいない」
「別に、理由なんてないよ。前の髪型にちょっと飽きただけかな」
カエデは言った。
「失恋でもしたんじゃないのか?」
男子生徒が言ったが、カエデはそれには何も答えなかった。ただちょっと鼻にしわを寄せてうるさそうにしただけだった。
サトシは自席に座りながら、なんとなく寝たふりをしてやり過ごしていた。
サトシは時々カエデの髪を盗み見た。髪を短くした彼女は、まるで少し大人になったような、自分から少し遠い存在になってしまったような、そんな気がした。
1時限目の休み時間より後は、みんなカエデの髪のことにはすっかり興味を失くしてしまったようだった。そうして、いつもと変わらない時間、変わらない話題に教室は埋もれていくことになった。
5時限目の体育が終わり、みんな教室にもどって来た。体育で1500メートル走をし、なんとなくテンションが上がっていた。
次の授業の用意をしているカエデにサトシはようやく声をかけた。
「雰囲気変わったね」
カエデが、ん? という表情をしたので、サトシは指をハサミの形にして髪を切る真似をした。
「遅いな」
体育のあとで、カエデの表情も少し上気しているようだった。
「実は、ヘアドネーションしたんだ」
彼女は言った。
「ヘアドネーション?」
「そう。髪の毛を寄付したの。切ったらさ、40センチくらいあったんだよ、私の髪」
彼女は、短くなった髪をわさわさと撫でた。
「なんか聞いたことある。すごいよ」
「別にすごくないし。でも、私の髪を誰かがつけるって思うと、なんか不思議かも」
彼女は言った。サトシはぶしつけなまでに彼女の髪を見つめてしまっていたので、彼女はふざけたしぐさで両手で髪を隠した。
「みんなに言ったらいいのに。なんで言わなかったの?」
サトシは聞いた。
「別に。あいつらに言ったってしょうがないじゃん」
彼女は鼻の付け根にしわを寄せながら言った。
6時限目の古文の先生が教室に入ってきた。
彼女は笑って、そして黒板の方に顔を向けた。
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