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出生前診断をせずに、三人目を産むことを決意するまで

雪が舞う朝だった。
毛布にくるんだ二女を抱えて、私は近くの病院へ駆け込んだ。娘は昨夜から急に高熱を出し、呼吸が荒くてゼーゼーいっている。

当時5歳だった娘は、インフルエンザにかかっていた。彼女はもともと感染症に弱くて重症化しやすい身体のため、奥のベッドですぐに点滴の処置が始まった。

私も昨夜から少し熱っぽかったので、念のために検査をお願いした。思った通り、私もインフルエンザに罹患していた。

私の薬を処方する際、「お母さん、念のために妊娠の検査をしておきましょう」と医師から言われた。必要ないな、と思いながら言われるままに検査をすると、思いがけず三人目を妊娠していることがわかった。

嬉しさよりも動揺が大きくて、私は診察室の真ん中で顔を覆いながら泣き崩れた。

二女は進行性の筋肉の病気だ。だんだん筋力がなくなり、動くことも、食事や呼吸さえも難しくなっていく難病だ。


私達夫婦の間には、四分の一の確率で同じ病気の子が生まれてくる。
私たちはもうひとり、できれば男の子が欲しかったが、病気のことを考えると、次の子を望んではいけないとなかばあきらめてもいた。
ただ漠然と、もしも、もうひとり授かっても、なんとかなるような気楽な気持ちもあった。

現実に妊娠がわかり、曖昧な「なんとかなる」がいかに他人事のような考えだったを痛く思い知った。
「じぶんごと」になった途端に、身体だけ置いて逃げ出したいような気持ちになった。

妊娠は人の命や人生に関わることだ。
そんなことは、2人の娘たちを産み育てて大きく人生が変わった私には、わかりきっていたことなのに、その重さを全く理解できていなかったのだ。
何も病気について知らなかった娘たちの妊娠と、「遺伝子の病気の子どもを持つ母親」として次の子を妊娠することは、全く別のことだった。


頭が混乱したまま、点滴を終えた二女を連れて帰宅した。
まずは夫に状況を伝えたいと思った。しかし夫は仕事中なので電話ができず、仕方がないので病院でのことを彼の携帯電話へメールで伝えた。
そしてすぐに、母に電話で妊娠を伝えた。

「残念だけど、病気の可能性があるのなら、お腹の子はあきらめたほうがいいんじゃないの?」

母は「おめでとう」とは言ってくれなかった。
義母にも電話したが、やはり同じようなことを言われてしまった。

私たちを心配して、母も義母も良い反応ができなかったんだろう。
それは理解できる。
でも、悲しかった。

新しい命を親にすら祝福されないことが、さらに重い現実を私に突きつけてきた。
心から喜べずに憂いでばかりいる私も母たちと同じだ。
自分が情けなくて腹が立つ。


しかし、あれこれ考えるゆとりはない。目の前にいる二女の呼吸状態が悪化し、痰がゴロゴロいって苦しそうにしているからだ。
ふらつく自分をいじめるように、必死で二女の世話をした。

熱でぼーっとする頭の中で「インフルエンザのせいで、お腹の子に悪い影響があったらどうしよう」と、すでにもう、お腹の子を心配している自分の母性に気持ちがついて行けなかった。


夕方になって学校から帰ってきた長女が、泣いている私を見て、黙って二女のそばにいてくれた。
母親がなぜ泣いているのかわからないまま、苦しんでいる二女を見ている長女もつらかっただろう。そんな、まだ小学3年生だった長女の不安な気持ちを知りつつ、私は全く彼女を気遣うことができなかった。

自分でも手に負えないくらいに混乱していたことを覚えている。


仕事から帰宅した夫は、リビングの扉を開けるなり、はじけそうな笑顔で叫んだ。

「めっちゃ嬉しい!やったな、三人目ができたんやな!」

二女と同じ病気かもしれない、と泣く私に、「たとえ病気だろうと、自分たちの子が可愛いことに変わりはない」という気持ちを、私の背中をさすりながら、彼はいろんな言葉で優しく話し続けてくれた。

「お前の不安もわかるけど、俺は産んでほしいよ。」

そう、少しも迷いのない言葉で言ってくれたことが、私は一番嬉しかった。

赤ちゃんがお腹にいるとわかった長女は、私に抱きついて喜んでいる。
夫が望んでいるのなら、そして長女が喜んでくれるなら、何としても産みたい。

気持ちが楽になった私は、そのときは素直にそう思っていた。



*****

二女のかかりつけの国立病院は、二女の病気の専門病院だ。
私たちは娘の主治医に妊娠を相談し、今後についての意見を仰ぐことにした。
主治医からは、次の子どもについては慎重に考えるよう、やはり出生前診断をしてお腹の子が病気か否かを調べることを勧められた。

「けして、簡単な子育てではないですから。」という医師の言葉が、私の頭の奥に刺さる。


出生前診断とは、羊水穿刺や超音波検査などによって、生まれる前に赤ちゃんの病気や奇形の有無を診断することを言います。しかし、広い意味では、赤ちゃんが産まれる前の子宮での状態を診ることはすべて出生前診断と言えます。

出生前診断の目的は、生まれる前に赤ちゃんの状態を観察・検査し、お腹の中の赤ちゃんに治療や投薬を行ったり、出生後の赤ちゃんの治療の準備をしたり、また赤ちゃんについての情報、つまり、「その赤ちゃんが重篤な病気をもっているのか、あるいはもっていないのか」を親に提供したりすることです。

Google検索より


医師からの意見を聞いて、私の決意はほろほろと崩れてしまった。けして安易に考えていたわけではないが、逃げられない現実が、あっという間にまた私を深い不安の中に押し戻してしまった。

中絶が可能な期限を考えると、出生前診断をするかどうかの決断を早急にしなくてはならなかったが、私は当然、即答ができなかった。

でも、夫の考えは一貫していた。

「胎児も一人の人間として命の重さは同じなのに、そんな診断をして命の選択をするのはおかしいと俺は思うよ。オレ達は産むと決めているんだから、無駄な検査をする必要はないんじゃないか。」と。

ただ彼はそれを私に無理強いするのではなく、私の気持ちを最優先したいとも言ってくれた。
もしも次の子も病気なら、1番苦労をするのは、ずっとそばにいることになる母親の私だと、夫もよくわかっているからだ。

最終的な判断は私に委ねられた。


夫の意見が正解だし理想だと、私も頭ではわかっていた。でもこの時期の私は悲観的な考えしか浮かばず、出生前診断で安心して産みたい想いがとても強くなっていた。

夫の揺るがない信念が、きれいごとにも思えてしまい、「産むのは私なんだから。育てるのもほとんど私でしょ。」という気持ちまでも持ってしまう。

しかし常に私も、「命を選択すること」には強い憤りを感じていた。
出生前診断をすることは、二女が生きていることを否定することのようにも思えたからだ。

二女は不自由だが、その笑顔からはまるで不幸を感じさせない。幸せをいっぱい感じて生きている。
お腹の子がもし二女と同じ病気でも、生まれてきたらきっと、楽しいと感じる人生が待っているはずだ。

そもそも、検査をして疾患があるとわかっても、私はお腹の子をあきらめることができるのだろうか。
それができないのに、調べる意味はないんじゃないか。
ただ、「病気で生まれてくることを覚悟する」というだけだ。

頭の中が迷子になって、全く出口が見えない。
悩めば悩むほど、どうしたらいいかがわからない。
誰に相談するでも無く、常に行ったり来たりの堂々巡りを頭の中で繰り返していた。



ちょうどその時期に産婦人科の定期検診があり、産科の医師にも出生前診断の相談をしてみた。
医師は私の事情をすべて理解したうえで、優しく言ってくださった。

「せっかくあなたに宿った命、検査などせずに、どうかできるなら大切に産んであげてください。」

私はつっかえたものを全部出し切るくらいに、医師の前で泣いた。

答えはきっと、初めから決まっていた。
産科医の言葉が、私の望む方向へ背中を押してくれたのだ、と思った。

会いたい。
私の子に会いたい。
少しずつ大きくなる大切な命を、ただ守りたい。
親が勝手に子どもの未来を終わらせてはいけない。

私は覚悟を決めた。
出生前診断をせずに産む。



*****

出産までの数か月は、不安になる日もあった。

たまらなく不安になる夜は、妹に電話してよく泣いた。妹は「元気な男の子やわ。間違いない、私にはわかる。」といつも励ましてくれた。
親友たちも近所のママ友も、「なんでも助けるから、安心してな。」と言ってくれた。
親も覚悟を決めたように、私たち家族に協力的な言葉を言ってくれるようになった。

そして夫は、どんな日も常に「いつも通り」でいてくれた。

そんなまわりのサポートのおかげで、私も心穏やかに三人目の子の誕生を待ち望むことができた。


予定日より一週間早く、男の子が生まれた。
産後すぐの検査で、息子は二女と同じ疾患ではないことがわかり、私はやっと心の底からほっとした。
自分が嫌になるほど嬉しかった。

「俺の一生分の運を使い果たしたな。」と言って、夫も目を潤ませていた。
私には見せなかったが、きっと夫も心配をしていたのだと思った。 

新しい命を心から喜んでくれて、「検査せずに産む」姿勢を彼が頑なに変えなかったことは、私にはやっぱり心強いことだった。彼なりの私への、精一杯の思いやりだったのだろうと思う。


病気で生まれても構わない、そう思ったことは本当の気持ちだ。
でも、元気に生まれてきてほしいという願いも本心なのだ。

生出前診断には賛否両論があります。
けして、私達の選択が最善ではありません。

二女と同じ病気のお子さんを持つ友人には、下の子ができたときに親戚や夫からの反対に遭い、産みたくても命をあきらめた人もいます。

出生前診断で産み分けをして、安全に下の子を出産をした人もいます。

出生前診断をせずに下の子を産み、そのお子さんも同じ疾患だったという人もいます。

次のお子さんを望みながらも、それが叶わなかった人も。

お腹に宿った命を産もうと思いながら、途中で赤ちゃんが亡くなった人もいます。

妊娠はひとりひとりがそれぞれで、とても繊細で神秘的で、嬉しくて、時に残酷で。


当時悩んでいた私へ、親友から贈られた言葉です。

先のことは天に任せる。
今のことは自分で決める。
こどもはみんなのたからもの。
みんなで育てていこうね。


出生前診断に関しては、親が悩んだ末の選択ならば、どんな判断もすべて正しいことなのだと私は思います。

出生前診断について思うこと


*****

三人目の出産から、約20年が経った。
子どもたちは大きく成長し、三人それぞれが自分の人生を謳歌している。
一緒に育つことで、彼らは、彼らにしかない関係性でお互いのことを想い、そこから未来を見つけて生きている、と感じる。

母親としては、それぞれの子に対してどこか申し訳ない気持ちもある。
でも、私たちの子どもとして三人に会えたことは、私の生涯で一番の幸せだと思っている。


悩み抜いた息子の出産は、私の人生で最も大きな賭けであり、懸けだった。

あの時「もしもお腹の子が二女と同じ病気でも、夫となら育てていける」と思った覚悟を忘れてはならないと今でも思う。


当時の自分に会えるなら、私は私にこの言葉を伝えたい。

「よく頑張ったね。息子を産んでくれて、ありがとう。」



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