【短編小説】秋明菊/神はサイコロを振らない
00 登場人物
・清和翡翠(せいわひすい):26歳。福岡育ち。学生時代の友人である涼とセレクトショップ”メロンソーダ”を立ち上げている。デザインも得意で店の看板や名刺もデサインしている。紅雨と同棲。
・春木紅雨(はるきくみ):25歳。高校卒業と同時に鹿児島から福岡へ。服屋を転々とし、現在は古着屋”ラズール”に落ち着いたフリーター。翡翠と同棲。
・神風涼(かみかぜりょう):兵庫出身26歳。翡翠とセレクトショップ”メロンソーダ”を切り盛りする。翡翠とは専門学校で知り合った。WEBが得意で通販サイトは全て担当している。
・店長:紅雨が働く古着屋”ラズール”の店長。独身38歳で良き相談役として信頼の厚い情報通。翡翠が店を出す前から知り合い。
・立花 楓(かえで):福岡出身音楽育ち26歳。カフェ”ベロア・ベルベット”でバイトをしながら、「DJポンカン」名義でDJとして地元のライブハウスやクラブを中心に活動中。
・藤天峰夏(ふじあみか):翡翠の幼馴染みで、平日は福岡市内で会社員をしつつ、週末や仕事が早く終わった日などは両親が居酒屋を手伝っている。
・椿さん:メロンソーダの常連。推定40代。職業はアクセサリーデザイナーで、不定期で自らの作品をメロンソーダにも納品している。
・煌(ひかる):ライブハウスで働く、翡翠と涼の専門学校時代のクラスメイト。専門入学からライブハウスでバイトをしていて、音楽が好きすぎて大手アパレルメーカーの内定を入社直前に蹴ってそのままライブハウスの社員になり、学校では代々受け継がれる伝説となっている。
・大和柊(やまとしゅう):紅雨の恋人。
01 君が消えたこの部屋
2LDKの部屋が1つ空いてしまった。極寒の2月のことだった。
付き合ってちょうど1年経った頃、恋人と同棲することにした。2人で選んだ部屋は、海が見える新築のアパートの3階だった。海までは歩いて10分ぐらい。潮風と波の音がとても穏やかで、内見の3軒目で気に入り即決した。田舎だから2LDKの新築でも家賃はかなり安い。この部屋で休みが合えば2人で真昼間から缶ビールを飲んだり、冬はもふもふのコートを着てベランダに出て、夜の海を見ながらタバコを蒸したり、そんな他愛もない時間が愛おしかった。
ある日仕事から帰宅すると、テーブルの上にチラシの裏紙に乱雑な字で書かれた置き手紙が残してあった。
この時、既に同居人の影は無かった。
”苦しくなってしまいました。この部屋にはもう戻ってこないし、連絡しないでください。服とか本は捨てるなり使うなり売るなり自由にしてね”
連絡しようとしたらラインからSNSまでアカウントごとごっそり無くなっていて、既に連絡が取れなくなっていた。
「自分の何がいけなかったのだろうか」ふと我に返るたびに自責の念に潰される。明らかに何も言わずに出て行った紅雨が悪いのだけど、根は真面目な自分は、出て行かれる理由が自分にもあると思い込み、全て紅雨が悪いとは思えなかった。
紅雨、生きてるよね?一緒に過ごした時間は2年半、そのうち一緒に1年半は生活をも共にした。その長い時間はとても重い。紅雨がどこにいるか分かるまで、どうして部屋を出て行ったのか知るまで、紅雨が残した服やコスメは捨てられないし、この部屋を出て行けない。
02 停滞
23歳は激動だった。前職は新卒で某アパレルブランドのショップ店員として働いて、売り上げもよく上司からよく褒められていた。自分の店を出すと決めてからすぐに店長に退職を申し出ると「やめないでくれ、清和だけ特別に給料アップするから」と頼み込まれた。その時に自分はそれほど店に取って重要な人材だったのだと分かり嬉しかったのだけど、当時は実家暮らしだったこともあり、同年代の平均より貯金はそこそこ溜まっていたし「お金の心配より夢を叶えたい」とはっきり伝え、退職届を出してその2ヶ月後にさっぱり辞めた。
そんな店を出すと決め、前職を辞める少し前に、紅雨と出会った。
専門時代の友達の煌は学生時代からずっと同じライブハウスで働いており、今や名物スタッフとして全国のバンドマンから信頼の厚い人間だ。
ある日上がりが早かったため、仕事終わりに煌が働くライブハウスに行った。ライブハウスに着くなり喫煙所でタバコを吸っていたところ、金髪のボブで赤のオーバーサイズのスウェットと青のベロア生地のスカートを着こなす、どこか異彩を放つ小柄な女性がふらりと現れた。
「...あの、火もらってもいいですか?ライター忘れちゃって」
「どうぞ」
「あ、あれ、もしかして、よくラズールにきますよね?」
「ん?あ、はい」
「私ラズールで働いているものです!紅雨って言います。入ったの1ヶ月前で最近なんですけど...」
「あ、ラズールの店長から聞いてた最近入ったバイトの子ですか?翡翠と言います。でもどうして私のこと?」
この付近のコミュニティの狭さには慣れているが、突然見知らぬ人間が自分のことを知っていると、内心驚く。
「店長から聞きました。実はよく店長と話してるの見かけてたんですけど、さすがに2人の間には割って入れなくて」
「店長は昔からの知り合いです。ただの客だし声かけてもらっていいのに。次から遠慮なく声かけてくださいね。今日はお目当てのバンドいるんですか?」
「実は友達に誘われてきてるだけで、バンドのことはよく分から無いんです。その友達今トイレ行ってるんですけど」
.
紅雨が失踪して1週間経った頃、紅雨が働く古着屋に行った。その1週間何していたかというと、何もしていない。というか、何もできなかった。どこかで戻ってくると思ってた。
自分の店も紅雨が働いている古着屋も同じ街にあり、そこは”路地裏古着屋通り”と呼ばれていて、駅から少し離れた落ち着いた路地裏にいくつもの個性的な古着屋やセレクトショップ、他にはアンティークショップなんかも並んでいる。
「いらっしゃい...あ、ヒッスーじゃん!」
「店長、どうも」
「...もしかしてくうに会いにきた?」
「何でわかったんですか?」
「だって曇った顔してるし」
ラズールの店長には専門時代からお世話になってて、課題で服の制作をする素材の組み合わせや、店を出した時の役所への申請方法とか、服に関すること全て店長に相談した。ちなみに今の店はたまたまラズールの近くにあったスナックが潰れて空きテナントとなっており、もともとこのエリアに店を出そうと決めていたのと、こじんまりながらも作業や服のストックが管理できるちょうどいい広さだったので、すんなり決定した。
店長はこの古着屋界隈で「兄さん」と呼ばれ慕われているほど面倒見がよく、私のように様々な人が様々な悩みを相談しに来る。誰と誰が付き合ったとか、駅前に新しくコンビニが出来るとか、その幅広い人脈からそういう地元の最新情報も店長が一番早く、幅広く知っている。
そんな情報通である店長には、人の心を察する洞察力も鋭く、店にきた事情を話す前にすぐバレてしまった。普段はポーカーフェイスといわれるけどさすがに事態は事態、心の曇りが全面に出てしまっているみたい。
「...はは、わかりやすいですよね。2週間前に紅雨が家出ちゃったんです。ラインも消されて連絡が取れなくて。店長何か知らないかなって。」
「え、くうならしばらく休ませてくれって、2週間前から出勤してないよ」
「え、そうなんですか?」
「一緒に住んでたよね?...そう言うことだったんだ。くうが休んでからは俺から連絡入れるのもあれだし、何も知らないよ。」
「...そうだったんですね。」
「本当はやっちゃいけないけど1ヶ月来なかったらおさらばかな。3年近くいてくれたし助かってたんだけどね。ありがたいことに今年の春卒業するこの近くの学校の高校生がうちでバイトしたいって言ってくれて、その子を採用予定なんだ。色々うちで学んで欲しいしね。」
「そうですか...」
「...コーヒー入れよっか?そこの赤いキノコの椅子、座ってていいよ。」
「....ありがとうございます」
「俺に何か話したいん、でしょ?」
また聞いて欲しいという前に言われてしまった。
03 点と線が繋がる直前
紅雨の消息は店長どころか誰も知らずのまま4ヶ月経ち、それからは新たに恋をすることもなく27歳を迎え過ぎた。
週に1回は幼馴染の天峰夏の実家の居酒屋「ふじのいえ」に通っている。天峰夏は市内のメーカーで事務仕事をしていて、夜は両親が経営する実家の居酒屋を手伝ったりしてとてもパワフルだ。
「こんばんはー」
カウンターには見知らぬ茶髪のゆるいパーマが似合うゆるい雰囲気の女の子がレモンサワーを飲んでいる。
「あ、いらっしゃい!この子最近来てくれる楓ちゃん。DJやってるんだって。ちょうどひすのこと話してたの」
「はじめまして、翡翠です」
「はじめまして!楓です」
「うちら同い年だよー」
「楓ちゃんも?あ、全然タメ口でいいよ」
楓とはつい最近知り合った。天峰夏の居酒屋で出会って以来、不思議と駅前のカフェや、郵便局で商品を発送した帰りとか、街のあちこちでばったり会うことが増えて、その流れで一緒にご飯に行ったりして、この短期間で一気に仲良くなった。
04 メロンソーダ
「涼、友達がDJやるらしくて今度一緒に行かない?」
「いつ?」
「来月の最初の土曜。オールナイトなんだって。仕事終わりに行けるし、オープン昼の3時だし起きれるっしょ」
「いいよ!」
「よかったー!このイベント楓以外知り合いいなくて。レジェンドの煌はこの日に限っていとこの結婚式でいないっていうし、他の知り合いのスタッフは就職とかで辞めちゃって全然知り合いいなくてさ」
「楓ちゃん?ああ、こないだ話してたDJやってる子?」
「そうそう、普段は地元で活動してて、大きいイベントだと東京でビジョンとかアゲハとかでもたまにやってるみたい」
「東京のイベントも呼ばれるんだ、凄いね」
涼は店の“メロンソーダ“を切り盛りする仲間で、趣味も気も合い、2年前に自分の店を持つという夢を一緒に叶えたかけがえのない存在だ。開店した当時は24歳で店を出すと決めたのは23歳、お互い1人では店を構える資金が無かったため「2人で店出せば費用折半」という意見が合致してめでたくオープンした。
21歳のとき涼と駅前の大きな夏祭りに行った。夏祭りにくるとつい食べてしまう大好きなメロン味のかき氷は終盤に差し掛かり、白いプラスチックの容器の底には緑の甘い水が溜まっていた。その溶けたかき氷を見て涼が「ラムネ入れれば飲めるっしょ!」と涼が飲んでいたラムネを勝手に入れられたのだ。ちなみに一応飲んでみたが、溶けたメロンかき氷ラムネ割の味は、甘い夏味だった。
店のことを2人でファミレスで打ち合わせをしていると昔話に花が咲き、やっぱりあの日の夏祭りの話になった。その流れで店の名前を決めようとなり「メロンかき氷」だの「ビー玉の無いラムネ瓶」だの無難に「夏祭り」だの、案はいくつか出たけど、その日はたまたま無意識で2人ともドリンクバーのメロンソーダを飲んでいたので、店名は「メロンソーダ」になった。
お客さんが次第に増えて常連さんが安定してきた頃、アクセサリーをたまに納品してくれる椿さんに「店のメロンソーダの意味って、翡翠さんの緑と涼さんの炭酸の清“涼“水から来てるの?」と聞かれた。2人ともそんなことを一切考えてなく、でも椿さんが考えていた店の由来はとても素敵だと思い、もう1つの理由として後付けで込めた。
ちなみに翡翠という名前の由来は、5月の誕生石である翡翠という宝石から両親に名付けられた。
05 再会
楓が出るイベント当日、涼が買い付けたサテン生地の柄シャツとエンジのコーデュロイのセットアップという、いかにもな古着好きのファッションでライブハウスに向かった。
事前に楓にラインで送ってもらったタイムテーブルに楓の名前がなく「楓の名前ないよ?」と返したら「DJの時は楓じゃなくて“ポンカン“だよ」っ返ってきた。DJポンカンの出番は夜中の2:15から。
「そう言えばライブハウス来たの久しぶりすぎで現地でドリンク代500円払うの忘れてたわ」
「ドリンク代もチケット代に含めて欲しいよね」
「それな」
「...涼、ごめんちょっとタバコ吸ってくるから先行ってて」
「え、ちょっと翡翠!」
忘れ物を取りに行くかのように、フロアから外れた喫煙所に向かった。
「紅雨!」
「...翡翠?」
「紅雨の知り合い?」
「...」
「あの、」
「言わないで!」
「え?」
「...柊、後で話す」
「いやいや、気になるでしょ今話してよ」
「ここで話すことじゃないから」
「え、ちょっと」
「もうライブ始まるよ行こう」
紅雨だった。
紅雨はタバコの火を消し、連れの男の手を引っ張り、目を合わそうともせず、爆音で客が踊り狂うフロアに吸い込まれていった。
「楓さんお疲れー!あ、翡翠の同僚です。DJ楽しかったよ、90年代縛りの選曲最高」
「初めまして、涼さんですよね?翡翠さんから聞いてます、ありがとうございます!今日は若いお客さん多かったからあえて90年代にしてみました!あ、お兄さんハイボールください。あれ、翡翠は?」
「酒飲みすぎて気持ち悪いから先出るって」
「えー大丈夫かな〜」
「翡翠なら大丈夫っしょ。酒強いし。そろそろ始発出るし帰るね」
「そうですかまた来てくださいね。気をつけて返ってください!」
「ありがとう、あ、あと同じ歳だしタメでいいよ。」
「そんな、恐れ多いです...」
「はい、今からタメ口禁止!」
「分かった!気をつけて帰って!」
「ありがとう!じゃあね〜」
06 始発
朝の5時の駅前には、明らかに朝帰りの大学生らしき若者と、これから仕事のスーツのサラリーマン、そして紅雨と紅雨の彼氏の2人。
「で、さっきのひと誰?バックれた古着屋の先輩とか?」
「違う」
「地元の仲間?」
「...言わなきゃいけない?」
「え、俺に教えてくれたっていいじゃん、彼氏なんだし」
「...翡翠」
「紅雨」
涼を置いてライブハウスを飛び出し、紅雨を追いかけてしまった。
最初のビールにハイボール、コカレロと酒を飲みすぎたのは事実だけど、酒の飲み過ぎで気持ち悪いというより、失踪した人間と再会した気が気でないという言い方が正しい。
「ごめん!勝手に部屋出て行っちゃって」
「...心配した。最悪の事態も想定した。店長にも、他のお店の子にも聞いて、誰に聞いても消息わからないって言われたの。紅雨がいなくなった何ヶ月も、ずっと気が気じゃ無かった。」
「本当ごめん。自分が嫌になって、消えたくなって、ラインとかSNSもごっそり消しちゃったの。」
「え?」
「私の元カノ」
「え、は?」
「今まで柊に黙ってたけど、聞いて。私、バイなの。男も女も好きになるの。中学の時、幼馴染のサッカー部の一個上の先輩が好きだったんだけど、ある日同じバトミントン部の女子の先輩にキュンってしたの。そのとき私、女の子も好きなんだって、案外冷静に受け止めた。だけど部活の仲間とクラスの友達も、恋話は全部どの先輩がかっこいいとか女子の恋愛対象は男で、女子の先輩や可愛い同級生はみんな”憧れ”でしか話してなかった。だから私はサッカー部の先輩の話しかしなかった。男も女も好きな私はおかしいと思ってたから。
自分がバイだってことが分かってから、何度か女の人を好きになったけど、告白は出来なかった。フラれるのが怖かったし、高校生の時にはもう自認してたけど共学だったし、私がバイってことがバレて学校中の噂になって、大好きな学校に居辛くなるのが嫌で、誰にも言わなかった。
高校卒業してから福岡に出てきて、堂々とカミングアウトするようになった。そのうち翡翠に出会って一目惚れした。セミロングの黒髪で、クールだけど話しやすくて、センス良くて、素直にいいなって思ってた。翡翠はめちゃくちゃ可愛いのに彼氏いなくて恋愛に興味がないのかなって思ったら、”私女の子が好きなの”ってストレートにカミングアウトされて、さらに翡翠のこと好きになった。翡翠が告白してくれた時は嬉しかったし、翡翠は料理も上手で掃除も好きで、一緒に暮らしていて楽しかった。けど、だんだん同性同士で結婚できないとか、親にルームシェアとかじゃなく恋人として女の子と住んでるとか言えてなくて、翡翠と住んでるうちに現実にどんどんぶつかって、翡翠が恋人じゃなくて”ルームシェアしてる友達”に感じちゃって、そんな自分が嫌になって、でもどこにもぶつけられなくて、私の心ごとタバコの灰みたいにポロポロ崩れて燃え尽きちゃった。自分で自分を殺した。だから理由も言わずに逃げちゃった。言わずというか、言えなかった。あの時、自分が翡翠の前から消えることしか頭になくて、嘘1つも思いつかなかった。理由が翡翠の前から消えたかったって、大好きな翡翠には言えないよ。連絡手段全部消したのは、やり直せるわけないのに人生やり直そうと思った。その直後に柊と出会って、あ、私男の人も好きになるんだって思い出して...」
「女と付き合ってたなんて聞いてねえよ!俺は二の次か?裏切り者!」
「裏切ってない!柊が好きなのは事実だよ!」
「女が女好きになるとかありえねんだよ!」
「そんなの偏見だよ!」
「ちょっとやめて!」
「お前は引っ込んでろよ!」
「...いったあ...」
「ふざけんな!何で俺が一番じゃねえんだよ!浮気と同じだろ!それも女って!」
「ちょっと何やってんだよ!」
「涼!」
「女に手出すとかありえねんだよ、クズ男!」
「てめえも女」
「うるせえな、ライターでそのチリチリの中途半端な茶髪燃やすぞ、それか根性焼き、後さっきのライブハウスからビールの空き瓶もらってきても殴ってもいいよ?」
「涼、私は大丈夫だから、やりすぎだよ」
「...そっか。」
涼は栗色のマッシュヘアでZipperに載っていそうなキュートなルックスの割に、男兄弟の真ん中に生まれて男勝りな性格であることと、空手経験者ということもあり正義感も力も強い。
「...ねえ翡翠、また連絡するからライン教えて」
「もちろん」
「じゃあね、また連絡するね。柊行くよ」
2人は紐を引きちぎったかのようなヒリヒリした距離感で、駅の階段を登った。
「やっぱり、あれ紅雨ちゃんだったのか」
「涼なら分かってると思ってた。まさか、知り合ったライブハウスにいたとは」
「見つかってよかったね。2月に彼女が失踪したって聞いた時、私が店番するから失恋休暇で休めばいいじゃんって言ったのに”1人の方が辛い”って店出てきてびっくりしたよ。強い女だわ」
「それは本当だよ。ひとりでいるとすぐぽっかりしちゃって。涼がいたおかげで乗り越えた」
「はは、専門時代の彼氏と別れた時あんたケロッとしてたけどね」
「元カレは私から振ったし。そういえば久しぶりに言われたなあ、女が女を好きになるはずがないって」
「翡翠は偉いよ。専門の時から恋話するたびにちゃんと”女の子が好き”って堂々と言えて。じゃ、うちらも帰りますか」
「うん、あ、先に置いて出ちゃってごめん、楓にも連絡しないと」
「全然だし、楓ちゃんにはうちから行っといたから大丈夫。それよりもハコのバーテン、イケメンだった!推したい!」
「涼は彼氏いるんでしょ、お黙りなさい」
「ほーい」
07 枯れない花
あれから約1年後、紅雨に話があると呼び出された。
ライブハウスで再会してお互いお連絡先は知ったものの、なんだか気まずくて連絡は出来なかった。
呼び出された場所は2人で住んでいた部屋から見える海だった。
そもそも紅雨にどうして告白したのって?初めてライブハウスの喫煙所で話したとき、既に一目惚れしてた。後日またそのライブハウスで会って、紅雨は友達ときていて、紅雨の友達が仲間内で盛り上がっていたから紅雨の友達を置いてお先にと一緒に紅雨と2人で帰った。その時紅雨に彼氏いないの?て聞かれて、紅雨にレズだってことを打ち明けたら、紅雨が「実は私、女の人も好きなの」と返してくれた。そのときは前職を辞めたばかりで店のオープンの準備で恋愛する余裕が想像以上になくて、でも次第に紅雨と遊ぶ時間や過ごす時間を諦める度に、時間が許す限り一緒に居たいなって、そう思って店を出した直後に告白した。
潮風は心地よく、砂浜には私と2人。道路と砂浜を結ぶ階段に、2人で腰掛けた。
「久しぶりに来たな、7月でも夜は肌寒いね」
「手、繋ぐ?」
「うん」
紅雨の手は、白くて、小さくて、あたたかくて、柔らかい。
「今は何してるの?」
「今は日中は服屋でバイト、夜はずっとやってみたかったバーでバイトしてる。一時期ちゃんとしようと思って就活して事務とか工場もやったけど、空気が堅苦しくてすぐ辞めちゃった。定職につけないなんて情けないよね」
「そんなことないよ。今の日本の会社がおかしいよね。私が新卒で入った会社はたまたま給料も人も良かったけど、他の子の話を聞くと大変そうだなって思うよ。」
「...翡翠、ごめん、本当に。去年からずっと連絡したかったけど、勇気でなかった。最初からきっちり謝ればよかった。ごめん。今日呼び出したのは報告があって。」
「何?」
「柊と結婚することにしたの」
「あの彼氏?おめでとう」
「プロポーズされたの。あれ以来、彼の周りでダムが放水したかのように、久しぶりに会った友達からゲイバーで働いていることを告白されたり、職場の後輩が長い間入院すると思ったら、いつの間にか性転換手術受けたりしてたとか。そういう報告が相次いで、あの時同性同士で好きになるのはあり得ないと自分の中の非常識に引っ掛かっただけで手を出したのは浅はかすぎたって、今でも反省してる。翡翠と私が付き合ってたことを知って以来、夜な夜なLGBTに関して色々調べたり考えるようになったみたい。私も手を出した時は別れようと思ったけど、そんなLGBTを理解しようとしている様子を見て、私もどんどん好きになっちゃった。」
「素敵な人じゃない」
「だから翡翠、都合よくて申し訳ないんだけど、私のお願い聞いてくれる?」
「なに?」
「これから友達としていてくれないかな?恋人同士には戻れないし、あのとき見たいに一緒には住めないけど。翡翠に料理を教えてもらいたいし、またメロンソーダ行きたいし。何ならウエディングドレスは翡翠に選んだり作ってもらいたいぐらい。それにもしこれから子どもを産んで翡翠みたいな人がいたら、私の子どもも可能性が広がると思うんだ。まだまだ先の話だけどね。」
「もちろんだよ。ウエディングドレスは無理でも、子供服なら売れるかな」
「そこまでしなくていいよ、翡翠や相棒さんが好きな洋服売りなよ。それが”メロンソーダ”の良さじゃん?」
「...そうだね」
「勝手に家出て、勝手に彼氏作って、勝手にバイトもやめて。ふとバイに生まれた自分ごと消えたいと思って、あの部屋を飛び出した。あの後は福岡市の実家に戻って、生活費稼ぐために居酒屋でもバイトをはじめたの。その常連が柊で、仲良くなって、付き合った。でもやっぱり空っぽだったの、翡翠から逃げた4ヶ月。自分で逃げたくせして、やっぱり翡翠が好きで、翡翠に会いたかった。自分で連絡手段消して、でも店長合わせる顔もなくて。で、知り合いが出るからって彼にあのイベントに誘われて、私は知らない人ばかりで乗り気じゃなかったけど、残りの1%はもしかしたら翡翠に会えるかもしれないと思ってついて行った。そしたら案の定居た。でも、会ったら怖くてやっぱり逃げちゃった。でも駅前で翡翠が追いかけてくれた時決心した。柊に別れようと言われたら別れる、翡翠に絶交といわれたら受け入れる。相当ひどいことしたし。ただ、紛れもない事実は、私には翡翠が必要だったなって。」
「私、まだあの部屋住んでるよ。引っ越す理由無いし。仕事部屋に使うわけでもなくひとりで2LDKって贅沢だよね。でも埋められないんだよ。空っぽになった紅雨の部屋は、空っぽのまま。」
「...翡翠がまだ私を好きだなんて、思ってもいなかった」
「そりゃそうだよ。ひどいことされたなって思っても紅雨のことが嫌いになれなくて。それに紅雨の部屋に何か置くと弾かれるような気がして。紅雨の部屋だけは、生きてないのに綺麗で、ドライフラワーみたいなの」
「え、私の服とか取ったままなの?」
「そうだよ。なんか手放せなくて、気持ち悪いよね」
「起きっぱなしでごめん。私の服全部捨てていいよ。太って入らないのも多いと思うし。遠慮しないで捨てて。あと私が残した細々したものも使わないなら全部捨てちゃって。」
「そうか、わかった。でも服はほとんど状態いいし売りに出すよ。売上金は店の資金にする。配送用の段ボールとか」
「是非そうして。じゃあ、そろそろ帰るね」
「泊まってけば?」
「ううん、だめだよ。翡翠の部屋だもん。失踪してから家賃払ってないのに泊まるなんて都合よすぎる」
「そうか、分かったよ。まだ9時だし電車あるね。駅まで送るよ。」
最寄りの駅まで歩いて20分。私は自転車を押して、紅雨に合わせて歩く。駅に着き、時刻表を見る。電車は1時間に2本走ってて、次の電車は9:48、10分後だった。ホームには私と紅雨の2人だけ。
「翡翠、今日は話せて良かった。今度ご飯行こ」
「うん。あ、結婚式、ちゃんと呼んでよ?」
「もちろん!じゃあね、バイバイ」
「バイバイ、気をつけてね」
08 明けない夜を望んだ
私がレズを自認したのは中学生の時だった。中学2年生の時、同じクラスの吹奏楽部の和田さんが好きだった。学校内では地味な部類だったけど、大人しくて清潔感があって、そんな和やかで凛とした上品な佇まいに惹かれていた。
当時、隣の席だったサッカー部の相澤くんにおはようから部活頑張れまで毎日話しかけられて、クラスでは相澤くんが私のこと好きだって噂していた。学年が上がる直前に告白されて、断る理由がなくて付き合ったけど、相澤くんがくれる好意は私の心をすり抜けていって、まるで興味のない車のカタログを読んでいるようだった。相澤くんは確かに文武両道で優しくてかっこよかったけど、どうしても男の子を好きになれず、相澤くんには申し訳なくて、たったの2週間で振ってしまった。その時は自分は女の子が好きとは言えなかったけど、卒業式の時に「本当は女の子が好きなんだ」とちゃんと伝えた。
紅雨を送ったあと、ひとりでまた海に戻ってきた。
紅雨の小さくてあたたかくて柔らかい手の温もりが残る。忘れたくないのに、潮風が吹くたびにその温もりは消えてしまう。月の灯で照らされた雲を境に、二本の赤い糸は解けて、一本は雲の向こう側に行ってしまったような気がした。
きっと神様が二度と私たちが結ばれないようにしたんだ。法的にではなく、恋人として。
ときどき無心になりたくて浜辺を歩きに海に来るけど、いつもは海には入らない。だけど、今日はなんとなく海に触れたくなった。濡れないように紅雨がクリスマスプレゼントに買ってくれたグリーンのワンピースの裾を持ち上げて、サンダルごと海に足を踏み入れた。
足元は揺れる波でひんやりと、夜空には点と線で描かれたサソリ座がやけに輝いて見えて、潮風が水面に浮かぶ満月を揺らし、波音は静かだった。
いつになくこの景色が美しく見えて、聞こえて、澄んでいた。朝日が昇らなければいいのに。明けない夜はないってよく言うけど、明けなくていい夜も望みたいときもある。
紅雨はバイで女と私と付き合っても、最終的には男を選んだ。結婚すること、籍を入れること、こどもを授かること、ウエディングドレスを着ること、これら全てが”女の幸せ”とされる限りは、同性同士と一生を共にするという幸せは、理解されないのかな。世間の女の幸せに勝つ方法って、自分が幸せだと思う方向へ進むしかないと思っていても、その世間の普通に勝てるものなら、勝とうとしてしまう。
「どうして女は女と結ばれないのだろう?明日からどう生きていけばいい?」
今日は1年以上追い求めていた答えを全て知ってしまった。
心の曇りが晴れたと思ったが、答えを知った途端、未来の光が見えなくなり、生きる意味がぱったり消えてしまった。
とてつもない消失感にかられ、彼女を想った途端、誰も答えられない答えのない疑問が湧いて、大粒の涙が頬を伝い、何粒のも大粒の涙が、海に溶けた。
了
最後までお読み頂きありがとうございます!頂戴したサポート代はライブハウス支援に使わせていただきます。