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短歌 リボンをかけて

めでたし、のつづきをみんな生きている罪の意識にリボンをかけて


人は誰もが悪業を抱いて生きている、らしい。だから、もれなく私もだ。(私は、特定の宗教は信仰していません)

日々、たくさんの選択をして私たちは生きている。前提として選択肢があるということが、そもそも大切なんだけれど。

どんな選択をしても、その結果が悪業に繋がらないとは限らない。どんなに素晴らしい(とされる)選択をしたとしても。

だから、私たちはほぼ無意識に、罪の意識にとっておきのリボンをかける。中身が見えなくなるまでぐるぐるに装飾して、何事もなかったように生きていく。

「生きるのが上手」というのは、つまり悪業の飾り方(ごまかしかた)が上手、ということにならないだろうか。

そのことに気づいてから、私は生きるのが下手な自分が、少しだけ好きになれた。つきまとう罪の意識にも、たまには目を向けてやれればと思う。たぶん、私に似て寂しがり屋だろうから。

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