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どうして「自分らしく」生きられないの? #1

「自分らしく生きたい」ー 誰もが持つ望みです。それゆえに、よく私たちは悩みます。「どうして、自分らしく生きられないの?」と。

ものすごく単純なことをいえば「自分らしく生きたければ、自分らしく生きればいい」だけのことです。
もし自分らしく生きられないのなら、自分らしく生きられるように、単純に手を打てばいい。お腹が空いていたら、お財布を持ってコンビニに行く、みたいなシンプルなことです。

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ところが「自分らしく生きたい」と願うにもかかわらず、その肝心の「自分らしさ」が何なのかよくわかっていないことがあります。「自分らしさ」がわかっていればシンプルに自分らしさを生きればいいのに、それができない。「自分らしく生きたいけれど、自分らしさがわからない」ー そうして人は自分らしさを探す旅にでていきます。

が、わからないものを探すのですから、大変です。ここにもなかった、ここにもなかった...と転々と旅を続ける。地図もなく、あてもない旅です。

つまり、「どうして自分らしく生きられないの?」と悩んだり、「自分らしさ」を探し続けてもがいているときの苦しみの原点は、「自分らしさがわかっていない」ことです。

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ではなぜ私たちは「自分らしさ」がわからないのでしょう?
こんなに身近なものなのに。

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私たちは「自分らしさ」はわからなくても、「自分らしくないもの」はは案外とわかっています。というのは、自分らしくないものに対しては違和感や不快感抱くからです。
無理を重ねている、息苦しい、生きづらいときは、必ず自分らしさが失われ単純な言い方をすれば「生き生きとしていない」ときは「自分らしさがない時」です

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ここで突然ですが、昨日の「ココロの中のお父さん」の登場です。
5歳の時のお父さん、笑ってますか?


さて、今度はココロの中のお父さんを目の前にした5歳のあなた、のほうに注目してみましょう。5歳のあなたは生き生きとした子供のような無邪気な愛らしさを持っていますか?子供のあなたは、自由で自然な感じ?リラックスしてる?もししたいことをしてのびのびとしていたら心の中のお父さんはどう反応しそうですか?

この時お父さんがあなたを100%受け入れてくれるような感じがなければ、あなたはもしかしたら自分らしさを我慢していたり、自分らしさを否定的に見ていたりしていたかもしれませんね。また、本当は自分らしさを表現したかったり、自分らしさを認めてもらいたかったのに、「どうせ....」と諦めていたかもしれません。

このように子供の頃から自分らしさを「押さえつける」ことが、生きる術になっていたら、「自分らしさ」がどんなものか全く見えにくくなっていることでしょう。不快なので「自分らしくない」ことはわかっていても、探したいものの正体がまったくみえなくなっています。
そして、苦しいので「あてのない旅」へ出かけてゆき、こんどは「旅の苦しみ」が重なる....というわけです。
(BGMは The Beatlesの ♪The long and winding road〜〜〜 もしくは The Yellow Monkey の ♪My Winding roadって感じです〜〜)

じゃぁ自分らしさを取り戻していけばいいのでしょう。
これはまたの機会にお話させてください。

今日の一言。

「生き生きとしていない」ときは
自分らしさを見失っているとき。


今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。


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