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懐古主義でもいいじゃない|ココカリ心理学コラム

たまに実家に帰省すると、通学路やたむろしていたイトーヨーカ堂を見て、ノスタルジックな気分になる。楽しかった思い出、甘酸っぱい記憶、成人期へ向かう不安を抱えながら過ごしていた情景が蘇ってくる。

ひとりで懐古する分には何の問題もないのだが、これをいつまでもずっと周囲にベラベラと話していると煙たがられてしまう。懐古主義は時に否定的にみられる。昔を今より良い時代だったと見なす人たちに対して、今を生きている人たちは共感できないからだ。

高齢者心理学に、回想法という心理療法がある。これは1960年代にアメリカの精神科医バトラーによって提唱され、それまで否定的に見られることの多かった高齢者の回想行為を肯定的に見直し、その心理的な意義を論じたことに始まった。

高齢者の幼少期時代の風景写真など、回想のきっかけになるアイテムを用意して行うことが一般的である。実施形態は個人または集団で行う。目的はライフレビュー(人生回顧)、つまり人生を内的に振り返りながら、自分が生きてきた意味を再確認し、統合していくことを目指す場合と、懐古することで体力や認知機能低下の喪失感情を浄化するカタルシス効果を狙う場合があるだろう。

認知症の人は、5分前のことを覚えておくことが苦手になっても、幼少期などの昔の記憶は豊かに保っている場合が多い(患う認知症パターンによる)。短期記憶は海馬、長期記憶は大脳編皮質と、機能する脳部位が違うせいである。これも人によるが、覚えられなくなってきた、忘れっぽくなってきたという自覚がある人は、自己効力感が低下していく。自分に自信がなくなっていくのだ。回想法の効用のひとつは、覚えている、思い出せるという自己内発見から自信回復できることにある。

昔の武勇伝を語るおじさま達の心理も似ているのだと思う。今が最高、今が人生のピークであると感じていれば、必要以上の昔話はしないものである。楽しかった時期の話をすることで今を生きれるのなら、それは必要懐古だと思うのだ。聴く側は大変だけどね。

参照:「高齢期の心理と臨床心理学」下仲順子編(培風館)

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