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臨床心理士が星野道夫LOVEを語る|ココカリ心理学コラム

出会いは私が21歳のとき。書店で何気に手に取ったSWITCH「星野道夫 FORGET ME NOT」(1999年1月 Vol.17 No.1)でした。

一目ぼれです。惚れるというか、写真が放つエネルギーに圧倒され、彼の才能や熱量に対する嫉妬だったり、打ちのめされました。否が応でもアラスカの壮大な写真が脳裏に貼りつき、綴られた文章が心を刺してきたのです。コンプレックスな感情はやがて散霧し、以来、私は彼を河合隼雄と二大巨頭として崇めています。

先日、勤務する心療内科のカンファレンスで、スタッフ同士お気に入りの本を紹介する時間があり、悩んだ挙句『旅をする木』を推薦しました。日焼けで茶褐色の20年来の文庫本を、20代とはまた違う感銘で読みなおしました。

今も昔も、星野道夫の何が私を魅了するのか。答えは最初の章「新しい旅」6ページに詰まっていました。

時間の捉え方

 フェアバンクスは新緑の季節も終わり、初夏が近づいています。
 夕暮れの頃、枯れ枝を集め、家の前で焚き火をしていると、アカリスの声があちこちから聞こえてきます。残雪が消えた森のカーペットにはコロコロとしたムースの冬の糞が落ちていて、一体あんな大きな生き物がいつ家の近くを通り過ぎて行ったのだろうと思います。
 頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。アラスカに暮らし始めて十五年がたちましたが、ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆくこの土地の季節感が好きです。
 人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。

「旅をする木」星野道夫著(1999)

星野道夫は、自然時間と社会時間を掴めた人なのでしょう。

「今日を生きる」それが生物の本分です。現代人はあまりにも過去と未来に心を配りすぎています。だから悩むし、気苦労を患います。

隠居して、厭世的に生きるのもまた違います。私は「今を生きる」が現在人にとって大切なことだと思っています。マインドフルネスの世界観はその通りだなと思っています。自然界の大きな時の流れを意識しながら、現代社会における今この瞬間を精一杯に過ごしていきたいものです。

情熱パッション

 あの頃、ぼくの頭の中は確かにアラスカのことでいっぱいでした。まるで熱病に浮かされたのかのようにアラスカへ行くことしか考えていませんでした。磁石も見つからなければ、地図も無いのに、とにかく船出をしなければならなかったのです。

「旅をする木」星野道夫著(1999)

二十歳そこそこ若造だった私は、高校から続く自身のアイデンティティ課題の真っ最中でした。オーストラリアへ短期留学の経験から、自意識の殻からの脱却ができ始めた頃です。「自分は何者であるのか、自分の使命はなんなのか」答えは全くみえていませんでした。

星野道夫は見つけたのだと思ったのです。アラスカを愛し、アラスカに愛された男。羨望の眼差しでこの部分を読みました。「熱中できるものが俺にも訪れるのだろうか。それはわからないけど、自分は自分の人生を生きるしかないのだろう」そんな想いが芽生えたのでした。

人間観

 十五年の歳月が過ぎ、自分自身のアラスカの地図も少しずつ見えてきました。壮大な自然を内包するアラスカも、今、大きな過渡期を迎えています。きっと、人間がそうなのかもしれませんね。何も止まるものはないように、人の暮らしもアラスカの自然も変わってゆくでしょう。人間と自然の関わりとは、答えのない永遠のテーマなのだと思います。
 しかし、誰もがそれぞれのより良い暮らしを捜して生きています。便利で、快適な生活を離れ、原野に生きてゆく人々。さまざまな問題を抱えながら、急速に近代化してゆくエスキモー、インディアン……その中で人々がどんな選択をしてゆくのか、自分の目で見てゆきたいのです。これまで出会った人々がどんな地図を描いて生きてゆくのか、やはり知りたいと思います。それはどこかで自分とは無縁ではないからです。

「旅をする木」星野道夫著(1999)

臨床家としての私の人間観がまさにこれです。人は変わっていく生き物であり、変わっていかねば滅する存在だと思っています。

星野道夫の思想が私に影響したのか、彼の言葉が私の奥底の感性を具現化してくれたのか、恐らくどちらもそうなのでしょう。すでにもう絡み合っています。だから、彼が撮った写真や綴った文章は、40代になった私にとっても、いつも新鮮にエンパワメントしてくれる産物であり続けるのです。

星野道夫という人がこの世に存在してくれてよかった。私は彼に救われたし、亡くなられてなお今でも変わらずに助けてもらっています。臨床家として私も誰かの役に立っている存在であれば、これ以上の幸はないですね。

 さて、そろそろ筆をおくことにします。
 あと一週間もすれば、アラスカの川には怒涛のごとくサケが上ってきます。一匹のサケを両手でつかむ時、バネのように激しくしなるその力に、ぼくはいつもアラスカの夏を感じます。
 それでは、また。

「旅をする木」星野道夫著(1999)


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