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ラグジュアリーブランドが教えてくれたこと



20歳から33歳まで、アパレル業界で仕事をしていた。

服が大好きで、販売員になりたい!と思ったのは、17歳の時だった。

でも、どうやってなればいいのかわからなかった。

なので、音楽短大を卒業して半年ほど経った頃、近所の子ども服をメインに取り扱う、地域密着型のお店で働いていた。

が、20歳も終わりにさしかかったとき、仲のいい友達が販売員をやめるから、代わりに働かないかと誘われた。

それが、本格的に大手のアパレル業界で働くきっかけだった。

わたしがアパレル業界で学んだのは、人間の心の動きと魅せ方(人も商品も)である。

途中、音楽活動などで、一年半ほど空白期間はあるが、当時のわたしにとっては、仕事の方が何倍もやりがいがあった。

大手アパレル企業→中小アパレルデザイナーズブランド→パリコレデザイナーズブランドと、一段ずつ階段を登って、働きたい憧れのブランドを、望み通り経験することができた。

もう、十分アパレル業界には命捧げたなと思ったところで、夫の美容院起業もあり、一度は潔くアパレル業界を去った。

その後、出産し、育児を半年ほどした頃から、体調が悪くなり始めた。

育児という偏った環境の中で、思うようにエネルギーが発散できてないということがわかった。

その間、気分転換にJAZZボーカルを習ってみたりして、ステージにも立ってみたものの、それでもバランスが取れない。

紆余曲折を経て、2018年、思い切って外に働きにでることを思いついた。

長年の夢、世界のラグジュアリーブランドで働きたいという夢をまだ叶えていないことを思い出したのだ。

正直、精神的にもお篭り生活に参っていたので、とにかく早急に、派遣会社に登録した。

そして、とんとん拍子で、娘の保育園までもが決まった。

すぐに面接の連絡があり、説明を受けた。

すでに現場を去ってから6年のブランクがあり、どれほど経験があっても、それでラグジュアリーブランドで働きたいとなると、路面の大型店は受け入れてくれない可能性があると言われた。

そんなことはどっちでもよかったので、条件を考慮しながら希望ブランドを仮決定した。

その時点で、わたし自身も本当に働けるかどうかはわからない(夫の協力体制と勤務体制が噛み合うかわからない)ことを伝えたうえで、それでもブランド側には聞いてくれるということだったので、その返信を待った。

後日、受け入れてくれる店舗があるということで、連絡が来たときは、うれしかった。

しかし、やはり夫にはちょっと難しいと一度は反対された。

派遣会社への返答をギリギリまで保留し、近くのカフェで働くという妥協案で、納得しようかと思った。産後復帰で、いきなりラグジュアリーブランドは荷が重すぎるかもしれないなとも思った。

もう諦めようと決断し、公園で娘と遊んでいるとき、夫から電話がかかってきた。

カフェで働くくらいだったら、ラグジュアリーブランドで働いた方がわたしの経験値、そして視野が広がる、それがわたしに合ってると、急に考えが180度変わったらしく、わたしが働くことでの家事育児の皺寄せは、自分がなんとかするという覚悟が決まったようだった。

母や妻としてではなく、わたし自身を活かすことを考えてくれる夫を持ったんだなと、その時は本当に感動した。

ラグジュアリーブランドで働く日々は、それは刺激的だった。

とにかく大変だった。

世界のトップに君臨するデザイナー、その繊細で大胆で古くて常に新しい革新的なエネルギー、それを伝えるメッセンジャーであるという立場を理解しつつ、お客様に伝えることの役割・責任の重さを、ここまで深く感じて売り場に立ったことはなかったかもしれない。

当たり前だが、とても地道で、コツコツやっていくことしかないのは、どこだって、なんだって同じ。

それでも、扱う物の金額が高ければ高いほど、自分自身の在り方が試されているような、緊張感。

勢いで売れる世界ではなかった。

そこには、ブランドを愛し、扱う物を愛し、お客様の気持ちの重み、お金の重みを感じる、という、とても大事なプロセスが隠されてあった。

そんな中、決してセレブと呼ばれるような人ばかりが来るわけではなく、むしろ、自分へのご褒美に、大切な人へのプレゼントに、と緊張の面持ちで勇気を出してお店に入って来られる人がとても多かった。

派遣スタッフとして働くわたしにとって、お店の中で多少のアウェイ感が拭えない中、そんなお客様の気持ちはよくわかった。

置かれた立場のおかげもあってか、あなたみたいな販売員さんは見たことがないと言われ、よろこんでもらえることが増えた。

まるでスキマ産業でもしているかのように、そういうお客様と心を交わす瞬間を重ねれば重ねるほど、指名が増え、売り上げはどんどん上がり、2ヶ月経った頃には、月1000万売り上げを上げるまでになった。

売り上げを上げた分だけ、失敗もしたし、お店への多大な損失を出したことだってあった。

心が折れ、挫けそうになったこともある。

それでも、大きな責任を負わされることはなく、常に守られ、学ぶことは本当に多かった。

たくさんのエネルギーがこめられた生き物でもある商品たちに、360度ぐるりと囲まれて売り場に立つ日々は、間違いなく、わたしの感性を磨いてくれた。


2ヶ月という初期契約から、実際は8ヶ月働くことができた。

わたしを受け入れてくれた店長は男性だったが、育児のために、週末に休みが欲しい希望を、出来るだけ叶えてくれたおかげで、家族への負担も減らすことができた。

そんな店長がベンチャー企業に転職するための退職のタイミングで、わたしの契約も終えることになった。

この人に拾われ、この人がいたから、わたしはこのお店で働けたんだなとその時悟った。タイミングってすごいなぁと思わずにはいられなかった。

自分の本当の声を抑えつけなければ、わたしの魂に必要な体験は、ちゃんと出来る様になっている。

夢を叶えられたおかげで、アパレル業界に対する未練はなくなった。

ここまでわたしを育ててくれたのは、間違いなくアパレル業界であり、一緒に働いた人たちであり、お客様である。

わたしの人生は、いつもお客様の温かさでいっぱいだった。

それは、もしかしたらある意味リアルな人間関係ではないかもしれない。

実際、わたしには対人スキルはあるが、あまり社交的ではない。

それでも、この一期一会感が、わたしの人生を彩り豊かにしてくれたのは、確かだ。

あなたに接客してもらえて、よかった。

人生の節目に、ここに買い物に来てよかった。

あなただから、買いたいと思えた。

そう言われるたび、生きててよかったと思えた。

あの時間があったから、わたしは、自分を好きでいられているし、それは、わたしがしっかりと、お客様に愛を渡した瞬間でもある。

物を売るという行為、それはお金を通して生まれた交流に過ぎないかもしれないが、全てはエネルギーなのだから、どんな交流にも愛はある。

わたしは、働くことが好きだ。

わたしにはわたしの生き方がある。

この休養期間を無事終えたら、何かできたらいいな。

今はまだそれが何なのかはわからないけど、わたしは間違いなく、働きたい(ビジネスをしたい)人間である。

できればマイペースで。

それだけは感じている。

心身を整えつつ、色んな可能性に触れて、生きること、楽しみたい。





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