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見えないバトン


2年間、家にこもっていた生活から、外に出る生活へ自然とシフトされ、昨日は新一年生の娘を校門まで迎えに行きました。



娘が出てくるまで、次々と下校する一年生を見ていると、本当に可愛くて、校門のそばでたまっている子たちとも躊躇なく話せてしまいます。子どもは分け隔てがないので、とっても楽しくて、構えることなくそのままでいられます。



昨日も朝から感情が込み上げ、家を出る前に、洗い物もせず、お米も炊いてこなかったので、娘のランドセルを置いてから、近くのお惣菜屋さんまでお弁当を買いに行き、いつもの公園のベンチで食べました。


お弁当は量が多かったので、ひとつだけ買って、娘と半分個したのですが「半分個するとなんかいつもより美味しく感じるね。」と言うと、娘がとてもいい顔で「うん。おいしくかんじるね。」と言ったので「いい顔してるね💕」と言ったら「お母さんもいいかおしてるね💕」と言ってくれて、二人でにこにこ笑いました。



目線を上げれば、太陽に照らされ、透き通った黄緑色がキラキラと心地良さそうに揺れていて、光はあちこちで踊り乱反射し、耳をすませば着々と水のせせらぎが聴こえる。それだけで胸がいっぱいになり「お母さんはあの葉っぱになりたいわ。」と、光の木の葉を見上げながら、娘と他愛無い会話を楽しみました。



お弁当を食べ終わったあと、娘に「てんとう虫見に行かへん?!」と言ったら却下されたので、ブランコと最近我が家で流行っているバトミントンをしました。




バトミントンって結構難しいんです。
羽をラケットの真ん中で捉えないと、あさっての方向に飛んでいく。
それでも3往復くらいラリーが続いて、なかなかいい感じ。いや、上出来です。下手くそな羽を飛ばして娘に不貞腐れた顔をされながら、母、それなりにがんばりました。継続は力なりですね。





ブランコは、娘が3歳くらいの頃から、二人立ち漕ぎが大好きだったので、今日本当に久しぶりにまたやってみたら、あの頃より怖がっていたので面白かったです。




漕いで漕いで漕ぎまくると、ブランコの位置ってどんどん高くなります。風を浴びながら、浮遊感を感じながら「めっちゃ気持ちよくない?」と尋ねると「うん、めっちゃきもちいいけど、ちょっとこわい。」と目をキラキラさせていました。ドキドキしつつもワクワクが溢れてる感じの表情が、何とも言えず可愛かったです。




少し遊んでいたら、同じ保育園で同じ小学校のお友だちのゆうなちゃんにバッタリ会いました。

ゆうなちゃんはママと銀行に行ってから、また公園に戻ってくるつもりだったようですが、娘と出会ってしまったので「くうちゃん(娘)と遊んで待っとくわ!」と言って、乗っていた自転車から降り、ゆうなちゃんママはそのまま銀行へ行ってしまいました。




わたしは保育園の送り迎えをしていなかったので、入学式で軽くあいさつした以外は、話したこともなければ、子ども同士も特別仲がいいとか、そういうこともなく。



でも先日、下校時の校門で不安気にひとり佇んでいた娘を、偶然通りかかったゆうなちゃんばあばに、家の近くまで連れて帰ってきてもらうというご厚意を受けたところだったので、そんなご縁に導かれ、ゆうなちゃんママが戻ってくるまで、二人の子どもを乗せた重めのシーソーを手押しで漕がされたりしながら、声を出して遊びました。



そして、あぁ、そう言えば倒れて寝たきりになる前は、こうやってまだ小さかった娘と思いっきり遊んでたなぁと、元気だった頃の感覚がよみがえってきました。



それからまた、バトミントンがしたいと言うので、二人に渡して、あーでもないこーでもないと言いながら、よくわからない遊び方をしていたら、次々と小さな子どもたちがその場に集まってきて、バトミントンのラケットや羽に興味津々。



振り回すラケットが小さな子どもに当たらないか、若干ヒヤヒヤしながら、それだけは気を付けてー!と言い、見守りつつ。小さな男の子は好奇心いっぱいで、ラケットと羽を触りたそうだったので、余った羽を娘に渡して、貸してあげたら?と提案し、娘が渡してあげると、嬉しそうに、黄色いショベルカーのスコップ部分に、羽を収納して得意気に見せてくれていました。




そのまま娘は、男の子にラケットも渡してあげていて、男の子はようやく手にしたそのラケットをうれしそうに眺め、見よう見まねで羽を乗せていました。

娘はそれを見守り、その子のママもなんだかほんのりうれしそうで、そんな一部始終を感じて、わたしもじんわりうれしくなりました。




こういう自然な成り行きで循環する、心地よい流れに身を置けているとき、きっとわたしたちは大きな営みの中でひとつになっていて、どこからともなく受け取り、また手渡していくような、まるで目に見えないバトンの軌跡が浮かび上がってくるようです。

それは季節の巡りや夕暮れどきのように、徐々に変化変容する大自然の移り変わりのようで。

もしこの目に見えたら、本当にカラフルなグラデーションの波と光の粒子が混ざり合って、きれいなんだろうなぁ。



かれこれ1時間半ほど遊んだところで、ゆうなちゃんママが戻ってきて、ほっと一安心。



人様のお子さまを見るのは、いろんな意味で、注意力がいるので、普段あまり使わない神経を使った感じでしたが、思ったよりは疲れていませんでした。



ゆうなちゃんママとは話したことはないけれど、ゆうなちゃんばあばが、金髪で、声が大きくて、豪快でハツラツな、そのまんまの話しやすい方だったので、まぁなんとかなるか、と身を任せたら、なんとかなりました。




なんとなく感じていた通り、面白い話題を携えていらっしゃる方で、お若く華やかな上、なんとプロの麻雀士をされているそう。



学生の頃、居酒屋の深夜バイトの始発待ちで、雀荘へは何度か行ったことがあるけれど、見てただけで、やったことはありません。

一風変わった人や体験談などが好きなわたしは、そんな職業の方に初めて出逢ったなぁと興味津々でお話を伺えたので、とても充実した時間になりました。




そして、また、思い出しました。

あぁ、そう言えば、いつもこうやって、アパレルの接客販売の仕事、夫の美容室に来てくださるお客様、公園やバスの中の一期一会で、いろんな人に逢って、いろんなお話、聴かせてもらってきたなぁって。

人が紡いできた物語は、それぞれさまざまな音色があって、とても魅力的です。



そんなこんなで、どんどん元気だった頃の感覚が戻ってきて、細胞が活き活きし始めているのを感じました。




例えば出会って、次会う約束もしないで、連絡先も知らないで、もう二度と会えないかもしれないことってよくあります。

noteの中でも同じで、たとえ今、目に見える繋がりがあったとしても、ずっと同じように関われる保証なんてどこにもなくて。

それでも、そんな風に、先がわからないことが、自由で、未知で、ちょっぴり寂しくて、すごく心地いいなぁって、昔からそんな出逢いの不思議をいつも感じていました。   




とにもかくにも、昨日はたくさんの人や生き物や自然とエネルギー交流させてもらえて、真ん中はどしっと翻弄されることなく、望む在り方を保つことができて、瞬間瞬間のお役目を淡々と果たせたような充実感いっぱいの一日になりました。




さて、今日から小学校の給食が始まったので、久々に午後もゆっくりします💚





春溶けて、初夏の波紋が広がる水面。


大好きな季節がやってきました。


 







おまけ

手の甲にフンをするてんとう虫(笑)癒し💚


裏側には“幸せ”の文字が💚見上げる位置に粋な演出。





最後までお読みいただき、ありがとうございます✨



ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚