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螺旋の途中
天気も晴れの日ばかりではないように、調子がいい時ばかりは続かない。
大きな流れの中で見たら確かに良くなっていることにありがたさを感じてはいても、その中でもやはり細かい浮き沈みというのはある。
今年に入ってから体調不良が顕著になり、5月の頭頃に底辺まで堕ちた。そこから時間はかかりながらも、あの時には辛過ぎて想像も出来なかった、そこそこ景色の見える場所まで浮上してきた実感はある。
それでも不快感がまとわりつく身体や顔はまだ傷だらけで、そうなる前の見た目とは別人の自分を鏡で直視することは、正直気分のいいものではない。見たくないものを見て気分を落とすより、せめてひとときでもそんなことは忘れて過ごす方が精神衛生上よっぽどいいから、鏡は見ていない。
必要な買い物や娘の保育園の送り迎えは夫がしてくれるから外に出ることもない。
気が付いたら8ヶ月もの間、家族以外と接する機会もほぼなく、毎日部屋着兼パジャマのままで過ごしている。その中で自分のやらなければならないことなど、本当は何ひとつないことを知る。わたしがいなくても世界は当然まわるし家の中すらまわっている。夫が融通の効く自営業であり、人並み以上に家事をこなせることも大きいが、こんなにも何もしなくて許される人生はこれまでに体験したことがない。
最近は、つづけてではないが、1日トータルで20時間寝た日があった。いつもならどちらか一方の足に重心が傾いてしまう自分の身体が、その時初めて真っ直ぐ綺麗に立っている感じがした。洗い物をしているときの足の裏が、ぺったりと床についている感覚があった。さんざんだらだら過ごしてきたように思えた数ヶ月でも、まだ純粋なだらだらの領域ではなく、あくまで身体にとって必要な緊急的休息だったのだと腑に落ち、心が軽くなった瞬間でもあった。
とにかく20時間寝た日から、明らかに身体のバランスが整った気がする。そしてその日を境に布団ではなく、リビングの座椅子に座って過ごすことが多くなった。
横になるより身体を起こしてる方が心地よい。何もしないより家事をした方がすっきりする。そんなこれまでにない感覚に、ちょっとうれしくもなった。
家事をしたあとには、気持ちよく寝れる二度寝や昼寝の時間が増えた。そして落ち着いていた身体の不快感は再燃し、ある程度まで回復していた身体が、またその先のステージへ行くための停滞期間に突入したこともわかった。
スマホを触り文章を描いたり動画を観る時間が増えたことで、目や脳への疲労の蓄積が気になってもいた。まだ今も3週間に1度のペースでお世話なっている整体師さんにそのことについて相談してみたら、身体より心のデトックスの方を優先させてくださいと言われたので、少々負担を感じても、書くことはつづけるようにしている。
話は戻るが、人相の変わってしまった自分の顔を鏡で見ないようにしていることで、ありのままの自分を認められていないのではないかという問題を作り出しそうになった。が、見ないことで心地よくいられるなら、その方がいいという素直な感覚に従って判断できるようになったことは、わたしの内的変化のひとつでもあると思う。人間の悩みは100%自らが問題を作り出し、好き好んで悩んでいるのがよくわかった。解釈はどこまでも自由だし、世の中に転がっている誰かの価値観に踊らされて疲弊するほどバカらしいことはないなと思った。
以前は鏡を見ては、今日もイマイチの表情だとか、溌剌さに欠けているとか、可愛気がないとか、特に大きな問題もないのに、少しの調子の悪さから無意識に自分の顔をけなしていることが多かった。可愛くなければ愛されない、美しくなければ価値がない、そんなコンプレックスをいつからか固く握りしめて、自分を追い込んでしまっていたのかもしれない。
自分の意識が自分の心身にいちばん影響を与えることを思えば、その浮かない表情の訳が自分責めのせいだったと今ならわかるものの、当時は望み通りの外的刺激が得られていないせいだと思っていた。
そして今こんな状態になって、改めて以前の写真を見ると、なんて可愛い顔をしているんだろうと我が子さながらに自分が愛しく、肌に傷がないだけで素晴らしいと思えるのに、その時は、足りないものばかりに目を奪われて気付けなかった。
それでもこんな風になったからこそ、当時の健気さ、この世でたったひとりの愛すべき存在としての自分をようやく認められるようになったのだから、これもまた然るべき通る道であり、よかったのだろう。
こうして少しずつ、握りしめていた思い込みやべきべき思考、劣等感とその裏にある優越感を手放していく。風に吹かれて雲に乗れるくらい身軽なわたしになるための旅は、もうしばらく続きそうだ。
何度観たかわからないくらい大好きな映画、
犬童一心監督『ジョゼと虎と魚たち』の主題歌、くるりの「ハイウェイ」。
切なさに押しつぶされそうな物語の中に、穏やかに差し込む天使の梯子のような救いのメロディー。
旅に出るにはいろんな理由がある。
それは後になってわかることも多い。
わたしは人生の折り返し地点で、自分の内側を徹底的に旅することになった。
同じところをぐるぐる回っているように見えても、同じ道は決してない。
今の景色は今だけのもの。今のわたしは今だけのもの。永遠にはつづかない。
わたしたちがいるのは常に螺旋の途中なのだ。
ご覧いただきありがとうございます✨ 読んでくださったあなたに 心地よい風景が広がりますように💚