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わたしを彩り支えた言葉たち



生き方や表現のモットーになっている言葉があります。

初心とともにずっと支えられてきた言葉もあれば、その時々に出逢って感覚を裏打ちされ、勇気をもらい、そのままで行けと背中を押されるものもあります。

たくさんの言葉の奥にある想いのエネルギーに、心を洗われ、生きる力をもらっています。

2020年は、生まれた時の姿に戻るための一年だったように思います。

詳しくはこの記事に描いてありますが、この記事を描くにあたり、ひとつの別れがありました。

10年近く繋がってきた、いつもわたしを心のそばで見守ってくれた人との別れです。

勇気をふり絞り描いたこの記事を、応援は出来ないと言われてしまったのです。

悲しかったです。

生々しい自伝的な物語は、内輪に留めておくべきだと言われたときは、本当に驚きました。

なにを選んでも、全力で応援してくれるものだと信じて疑わなかったからです。

結局、その抑止力を突破するカタチで投稿するに至りましたが、反対されたからこそ、新たな世界に飛び込めたのかもしれないと、今はその人が取ってくれた行動に感謝しています。

心強いサポーターのような存在を失い、心細さの中でそれでも信念だけは持って投稿した記事でしたが、そんなわたしの投稿したばかりの記事を、あまりにさり気なく自然なカタチでシェアしてくださる方がいらっしゃいました。


あの時の救われたような想いは、今も鮮明に覚えています。

そしてこんな風に、作品の隅々に散りばめられた言葉にならない想いをキャッチして読んでくださること、どの作品に対しても敬意を持って向き合われている姿に感動しました。

その一連の出来事から、心細さは和らぎ、今では尊敬の念を持って関わることの出来る方々とこのnoteで出逢えたことは、今年いちばんのよろこびです。

本当にありがとうございます。

おひとりおひとり、お礼を言ってまわりたいくらいの気持ちですが、この場を借りて言うに留めさせていただきます。


話は戻って、タイトルにあるように、長年にわたってわたしを彩り支えてくれた言葉たちを、ここから紹介していきたいと思います。

まずは、常にわたしの初心を思い出させてくれるこの詩から。29歳の時に、当時付き合っていた二回り年上の彼から勧められて読み始めたゲーテ。その格言集の中に収められているこの言葉は、おそらく死ぬまでわたしの生き方の原点になると思います。

何度も何度も繰り返し読んだこの本。どんな時も持ち歩いていたので、カバーもなくボロボロになってしまいましたが、この質感に、また愛着を覚えます。

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はるかな世界と、広い生活を、
長い年々の誠実な努力で、
絶えず究め、絶えず探り、
完了することはないが、しばしばまとめ、
最も古いものを忠実に保持し、
快く新しいものをとらえ、
心は朗らかに、目的は清く、
それで、一段と進歩する。

(詩集「神と世界」の序詩、1819年作)

人一倍、快楽主義であり理想主義だと自覚しているからこそ、この中の「目的は清く」という一節を強く意識して生きていた時期もあります。

今はそこまで気にしてないですけど(笑)

この詩から響いてくる音やリズムもとても心地よくて、大好きな詩です。

ゲーテが芸術をこよなく愛した人であることが、聴こえてくる音だけでもわかる気がします。

これから先も、大好きなゲーテの言葉に、支えられて生きていくと思います。


次に紹介するのは、今日たまたまアメブロのフィードに流れてきた言葉です。わたしが好んでフォローしてる方のブログですが、主にOSHOや津留晃一さん、バガヴァンの言葉がシェアされているブログです。いつもいつもその時々の感覚や境遇にドンピシャの言葉が流れてくるので、その時々の自分の立っている場所を明確に示してくれる、大切な情報源のひとつになっています。

もし、皆さんが本当に恋に落ちるなら、

本当に嫉妬するなら、本当に欲深くなるなら、どうなるでしょうか。

私からはっきりお伝えしましょう。

そういった人こそ、遅かれ早かれ悟りに至ります。

逆にもし皆さんが、

「いえいえ、私は嫉妬はしません」

「自己中にはなりません」

「私はとても素晴らしい人間です」

などと、ゲームを続けていく限り、

つまり、

悟っていないのに悟った人のように振る舞っている限り、

哀れな人間です。

あらゆる生き地獄を味わい、惨めな人生になるでしょう。


それとは逆に、

「私は、悟りを得ていません。これが私の性格です」


「これが私です」


というスタンスを取ってみて下さい。


それの何が悪いのでしょうか。



そのまま生きて下さい。




そのときこそ、皆さんはたくさんの幸せを発見するでしょう。     

今日はバガヴァンの言葉でした。

わたしがこの一年、特に心掛けていたことが、この中に集大成のように書かれてあって、あぁいい一年を過ごしたなぁって思いました。

これからも、このスタンスで行くつもりです。聖人君子も悟りも、わたしがなりたい姿ではないとわかったので。わたしはわたしのままで、自然の流れにのっとってこれからも少しずつ進化成長していけたらいいかなと思っています。


そして最後に。

好きな歌はたくさんあるし、思い入れのある歌もたくさんあります。

だけど、何度聴いても、この歌の“ある歌詞”のところで、バカみたいに涙が溢れてくるのは、それがわたしの本当の望みだからなのだと思います。

自分が望んでいるのは、こんなにも当たり前でさりげない風景なのかと、この穏やかさが自分の本質なのだと、いつも気付かされます。



窓際に飾る花 穏やかな昼下がり

こんなにもありふれた素晴らしい日常


Aqua Timez「しおり」


たった二行のこの歌詞が、わたしにとてつもなく遙か遠い昔の懐かしい風景を思い出させてくれます。

それがいつの景色なのかはわからないけれど、心身の奥深く、魂が望んでいる、そんな風景なのだと思います。

強烈な懐かしさとともに、最も大切でシンプルな想いに立ち返らせてくれるこの歌が、わたしは大好きです。



2020年は、間違いなくわたしの人生最大の分岐点でした。そのすべての体験に心から感謝するとともに、2021年は、もっと自由に、もっとゆるやかに、のんびりと朗らかに過ごしていけたらと思っています。

最後の最後になりましたが、今年このnoteで出逢い、関わり、繋がってくれた、温かいみなさまの存在には本当に救われました。

わたしの拙い文章を読んでくださったこと、心よりお礼申し上げます。

あなたに出逢えて、本当によかったです!

来年も引き続き、楽しい交流をしていけたらうれしいです。

みなさまの2021年が、ますます希望とときめきに満ち溢れた、素晴らしい出逢いの中にありますように。

来年もどうぞよろしくお願いいたします✨



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