戦争について ー捉え方をめぐってー

以前からこの記事を書いていて、続きをずっと書きたいと思っていた。おそらく終戦の日までには書けるかなと思っていたけど、かなり体調が悪くてなかなか捗らなかった。

自分自身、いま「健康だ」とはなかなか言えない状況で、一昨日年金が入ったのでひさびさにアイスをたべたらおなかを下してしまい、そこに暑さも追い打ちをかけてむちゃくちゃ低空飛行である。

              ※

でも四十代になったら、こういうことについてはしっかり見識を持っていないといけない年齢だと思っている。ふつうに働いている人は、「自分は働いていて忙しいから」という言い訳も効くかもしれない。ただ、ぼくは働くことが今不可能なので、こういう役割ぐらいしか引き受けられないんじゃないか、と思った。

自分なりにもう一度自分たちの世代の問題として、「戦争」や「戦後」をどうとらえるか、ということを少しずつ考えていこうと思う。

もちろん、私にとって「あの戦争」は学校やその後の映画などで習った「過去」の出来事である。見聞きはしたけど、体験をしてはいない。うっすらとなにかで垣間見たことがある。ただ、「過去」だからこそ、客観的に見えてくることもある。それに私たちには戦後の文学者がどう考えたか、という資料も残されており、どう描かれてきたかという表現もたくさん残されている。(映画・アニメ・漫画含む)

ちょっと長い記事になるかもしれないけど、少し昔の「歴史の授業」から現在を掘り起こしてみたい。

              ※

歴史の教科書を読むとき、私が最初不思議に思ったのが、日本がポツダム宣言を受け入れて正式に「降伏」したのが1945年。そのあとの高度経済成長が「異常な速さ」で達成されているという事実である。

年表だけ読み返しても、私たちはその5年後、1950年に朝鮮戦争があったのを知っている。そこで日本は戦争特需みたいな状況になって、アメリカに物資を売り始めたら、急速に経済が回復し始めた。

「神武天皇以来、日本の歴史上はじめて」の好景気だという、「神武景気」が1954年。経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれたのが、1956年。

戦争からわずか10年しかたっていない。

「なんか、早いなあ」

というのが、あらためて年表を読んだ私の印象だった。

ちなみに池田勇人の「所得倍増計画」が1960年、「東京オリンピック」が1964年だから、1960年くらいから日本が復興したわけではなく、ポツダム宣言を受諾してからすぐ、サンフランシスコ平和条約調印の直後から、急激に高度経済成長が始まっていることになる。

              ※

もちろん、人間、いつまでも下を向いているわけにはいかない。焼け跡のなかでずーっと貧しい生活を送るわけにはいかないから、当時の人々が現代の「勤勉な日本人」のイメージを作り、驚異的な速さで復興を遂げたのは事実なのだろうけど、戦争が終わって「つい最近まで日本万歳」でやってきた人々が、戦後になってこんなに急速に、「民主主義万歳、平和憲法万歳の日本国民」として身を捧げることができるのだろうか。

個人個人の心情はともかく、この「戦後の経済復興」を歴史の授業で習うとき、なにか違和感を持ったのは私だけなのだろうか。
 
               ※

私たちの「常識」でよく親世代から言われているのが、「政治の話を大っぴらに人とするのはよくない」という暗黙のマナーだったり、「社会にでたら働かなければならない」みたいな無言の圧力だった。わたし自身、政治の話を遠慮したり、「働ける」ように努力することを自分に強いてきた。

父親は政治についてあまり説明したがらず、野球と競馬の話ばかりしていた。(父はサラリーマンと言うより、仲間たちと会社を起こし、社長ではないけど、取締役の位置にいた。「起業家」に近い感覚だったと思う)

いまの政党政治など、あきらかに「戦後社会の落とし物」のような側面があるのに(戦後すぐには、自民党も社会党(いまの社民党)もなかった。(共産党は非合法だったから選挙に出たのは戦後からだった))、
そのことについて、戦後の政党の起源を教えてくれた先生もいない。

もしかすると、戦後すぐの焼け野原に直面した私たちの親世代たちは、とにかく「働くこと」で、なにか「政治的なこと・文化的なこと」ひいては「自分のこころ」を直視することを避けたのではないか。

              ※

こういった現象は私自身にも経験がある。

たとえば「直視できないほど受け入れがたい現実」を目の前にしたとき、
心理士さんからこんなふうに言われた。

「受け止められないときに、別のことをするのはすごくいい選択です。ゲームだって立派なこころの回復作業ですよ」

あまりにも受け止めきれない「現実」を受け止めるのには実に長い時間が必要だ。身近な人を亡くしたり、常識が変わったり、多くの祖父・祖母の世代の人たちにとって、「敗戦とその後の国の占領」という現実は「受け入れる受けれない」以前に、まず「何が起こったか」を「受け止める」ことすら辛い、残酷な現実だったのは明らかだろうと思う。

だから当時生きていた世代の人は、とりあえず「敗戦」という事実を受け止めるのは保留し、「復興」に全力を傾けたのだろうと想う。

その事実は、日本の経済成長を見れば一定程度成果があったのは明らかだ。
私はつい最近まで、日本が世界第2位の経済大国だったことを知っているし、多くの日本企業が「品質」や「信頼性」で、世界に名を轟かせているのも知っている。

しかし、その「経済偏重」のひずみは、さすがに「戦後80年」も立つと露呈してきていて、私のような孫世代たちを困らせているのではないか。

実際、わたしたちは「終戦」と読んだり、「終戦の日」とよんでいるが、
それは明らかに「敗戦後」だし、「敗戦の日」であるはずだ。

今の歴史のなかで、戦後社会が一番「疑わしいレトリックが多用されている」ものだ。そういう観点から、私は「敗戦後」を見ている。

               ※

実際、歴史の授業でわたしはこういうふうに子どもたちに教えていた。

「1945年からサンフランシスコ講和条約を結ぶまでの間、「日本という国はなかった」んだよ。戦争に負けて占領されてたんだからね」

乱暴だけどわかりやすい。こういう年表的な、教科書に書いてある事実は、ただ暗記するものではなくて、「自分で考えるための材料」なのだけど、ぼくはなるべく「常識」や「覚える」ことを子どもたちに強制させたくなかった。そこで、あえてこういう「挑発的な語り方」をして、子どもの興味を引くことを心がけていた。

日本の首都は「事実上」東京だけど、実は明治天皇は一時的に行幸しただけで、「遷都する」と書かれた資料も見当たらないので、形式上はまだ京都が首都だったりとも言えることも教えたことがある。

(実際、天皇が東京に写ったことは「奠都」というが、この言葉すら一般的ではないので、ニュアンス的には「天皇は東京へお出かけした」という言い方が一番近かったりする)

日本はそうではないけど、「法令上の首都と、実際の首都」が違う国なんてたくさんある。

中学生に教える内容でも、「見方を変えれば」斬新なムダ知識なんてたくさんある。

              ※

おそらく父母の世代、祖父母の世代では受け入れられなかったことを、私はあらためて受け入れたり考え直したりして、自分なりの「戦後観」を持てるような気がする。それが「現代社会」をあらためて考えるいいきっかけになれば嬉しい。

私は実は「戦争」に苦しめられたことはない。
むしろ親たちが作ってきた「戦後社会」に苦しめられてきたのだった。

「働け」もそうだし、「いじめ」もそうだ。
日本の同調圧力とか「常識」、そして「教育」がいつも私を苦しめてきた。

日本人の物の考え方に芯を通すようなことをすると、もしかして、なにか多くの日本の人たちの「束縛」を解く手助けになるのではないか。そんな気がしている。

                ※

何にでも言えることだけど、歴史を学んだり、文学をする上でもっとも大切なのは、「創造力=クリエイティヴィティ」だと思う。

ぼくの文章が「あってるか間違ってるかわからない」というのはよく言われる。

近藤芳美と塚本邦雄を同時代性という一点だけで一緒くたにして論じたとき、評論賞の選考委員を「言ってることがあってるかどうかはわからないんだけど…」と困らせたことがある。

それこそが私の本懐だ。まさに文学はそういう場所から出発するのだ。

             ※

日本の場合、与党と野党の対立は、みんなテンプレートになってしまっている。いま「野党」に投票しようとすると、別に「反原発」を熱心に信じているわけでもないのに、反原発というバックボーンをもった政党に入れなくてはいけなくなるように。

政治は多様性の場なのに、なぜ「パターン化」した政党の主張に有権者が合わせないといけないのか、私には到底理解ができない。

政治は独自の言葉をもはや持てない。

文学(表現)やいまメインコンテンツのラノベや漫画も、それを補うこともできず、「異世界転生」ばかりしているように見えるし、若い人たちのコンテンツがそんな状況であるということを、多くの年長世代が把握すらしていないと思う。

この国には、おばあちゃんお父さん子どもがみんな熱中できる「共通の娯楽」もなかったみたいだ。              

一体、私たちの社会全体に活力を与えるような「ことば」や「ものの見方」はどこへ行くのだろうか。

             ※

こんなことを考えていたら、かつての都知事だった石原慎太郎が、なでしこがアメリカを倒して優勝した当時の都知事記者会見で、いきなりこんなことを言っていたのをyoutubeで見つけた。

石原慎太郎は政治家である前にやはりひとりの作家・文学者だったのだと思う。もう「右翼・左翼」という区分けは別にして、彼の「歴史認識」は一考すべきだと思う。

人文系の学問というのは賛成か、反対か、ではない。

「どういうことばで物事を捉え、どういうふうに表現するか」がもっとも大事なのだ。政治も文学も、社会も、人間のこころも、すべて「ことば」であらわされるのだから。

今日は前置きみたいな文章になった。

ぜひ石原慎太郎の「考え方」に注目してほしい。
それは私が「反戦・平和主義」であることと、まったく矛盾しない。


よろしければサポートお願いします!! あまり裕福ではないので、本代と米代のたしになるだけでも嬉しいです。死ぬまで頑張って短歌や文章を書きます!