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戦争について

つらつらとぼくは「文」を書き連ねている。ワンテーマに絞るのがほんとうに難しい。このnoteを書き始めてからいろいろ試行錯誤したので、一つのテーマにどのくらいの分量が盛れるのかがわかった。

だからもう「読みにくい」「わかりにくい」ということはないと思う。

ただ、ぼくが何を基準にそんなことを言っているのか、意図を図るのが難しいという人もとても多いと思う。

ぼく自身も、思考が多岐にわたっていて、見取り図を説明するのが本当に難しい。しっかり語れと言われればそういう努力はしなければいけない。ただ、正直、「頭でかんがえた」ことはぱっと書けるけど、例を探したり、発言の引用をしたり、そういう作業をするのがちょっといまは苦しい。

結構すっとばしているのはわかっているけど、アカデミックに「手続きを踏む」時間がないだけだから、さきに「想」をつれづれに並べて、「もっと詳しく」と言われれば書くということにして、とりあえずご容赦願いたい。

実際のところ、文章はしっかりしているのだけど、いま文章を書く時間以外はすべて「息抜き」ではなく「リカバリー」に使うくらい体調が良くない。

15時間リカバリーして、やっとご飯が食べられるくらいなので、そこはご寛恕願いたい。
 
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日本に生まれて、日本語を話し、日本国籍を持ち、八月になると必ず黙祷をする。

これは別に昔からそうだったわけではなくて、「あの戦争」を経験してからの習慣だということはみなわかっている。

死者を追悼するのは、私たちがよくする儀式だけど、まだ私たちには、「あの戦争で亡くなった人たち」をどう呼ぶのがふさわしいのか、はっきりした呼び名を決められない。国は「戦没者」と言っているし、人によっては「英霊」という声もある。「戦死者」というのと「戦没者」というのも違う。人によっては、「アジアの被害者」だったりすることもある。もう「あの戦争」から、いよいよ80年だ。しかし、何も決着しなかった。これを「政治」とか「社会」の問題として考えている限り、決着がつかないのではないかと思っている。

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悼むとか弔うということは、とても個人的な問題なのだけど、それが戦争の問題と重なってくると、途端に難しくなる。大正生まれの私の祖父母たちは、戦争がおわったとき20代だった。

「私たち」というとき、あの戦争は過去のできごとだけれども、「祖父母たちの話だった」といえるのは、もしかしていま40代の私たちが最後かもしれない。

どこかで「憲法」の問題とか「戦争」の問題とか、「追悼施設」の問題とか、全部積み残したまま後世に引き継ぐのか、ということに、誰も真正面から取り組む同世代の文人はいない。

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本来、個人個人がどのように「あの戦争を位置付け、英霊や戦死者や戦没者やアジアの被害者たちにどのような言葉をかけるか」というのは、「文学」の問題であるはずだった。

ところが戦後文学は、そういう個人的な問題と「公的な・社会的な問題」の乖離に決着をつけられないまま退潮し、いま、そんなことを語る文学者は「おかしい」と思われると思う。

SNSでは、「教育実習辛かった」とか「今日も残業だ」とか、「生活保護は働いたほうがいい」みたいな声しか聞こえてこないのだ。ここに「わたしたちは戦後責任をしっかり見つめてない」なんて声をぶちこむことは、不可能に近いし、むしろ違和感を持って受け止められるだろう。

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「戦争の問題」。その受け止めやその後に積み残された問題、本来はそれを感情的にも道義的にもひとりひとりが立ち止まって考えなければいけないのに、わたしたちの親の世代はみな「復興のための労働」の問題にすり替えて、誰も真面目に考えようとしなかったのではないか。

そして、この問題をしっかり考えようとすると、「右翼」とか「左翼」とか、なにか偏った政治的な声にかき消されてしまう。そんな光景をわたしたちは常に目撃してきた。

政治や社会の問題として考えると、もう彼らの対立は修復不可能に思える。

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ところが戦後すぐは太宰も安吾生きていたし、三島由紀夫も、中野重治もいた。その後は大岡昇平を始め、戦争体験者の問題、原民喜をはじめとする被爆者の問題など、いろいろな観点があったのだ。彼らにとっては「あの戦争」ではなく、「この戦争」だった。彼らはこれをどう受け止め、どう処すかということは、喫緊の「文学の課題」だったと思う。

戦後80年になんなんとして、私達はまさに、このことをもう一度考えないと行けないとおもった。

私達は文学的想像力、まさに人間の他者を思いやる力を駆使して、すでにテンプレートとなった護憲・改憲のような問題と一度離れて、文学の問題としていまいちど思い返さなければならないのではないか。

私はもう難しい「概念」を駆使するのを辞めたけど、それはまさにこの問題を私たちの問題として考えるためだったと思う。

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手元に二冊の著書がある。

加藤典洋氏の『敗戦後論』


そして彼に噛みついた高橋哲哉氏の『戦後責任論』


で、わたしは、たしかほぼリアルタイムだったか、高橋哲哉氏が加藤典洋氏に噛みつき、なんだか論争的に勝利を収めたという話を聞いていたのだけど、いま自分の目で読み直すと、むしろ加藤典洋氏のおどろくべき明敏さだけが印象に残る。

それがどういうことなのか、わたしは文学者として語りたいと思うけれど、
ちょっとこれは後の機会に譲ろう。

多くの歌人たちは「政治の問題」としてあの戦争を語ることに腐心してきたけど、まさに「文学の問題」として生きようとした歌人はほぼいなかったのではないか。

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ちょっと体力の限界が来たようだ。

少し長いシリーズになるかもだけど、筆の赴くままに、脱線もはさみながら、このことについて私がどう考えるか、ということを語りたい。

ほんとうにこれを文学的に突き詰めることで、「あの戦争」を私の血肉として活かすことが可能になるのではないか、そんな思いをひしひし感じている。

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