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Back to the world_008/何でもない日に

 5月の教室は落ち着いて来ており、昼休みも普段通り気の合う仲間同士がのんびり過ごしている。純は、同じ電車で通学している者同士の佐内と清水、補欠で入学して来た事が最近バレた高司(たかつかさ)や、シニカルな一言が冴えている祐二らと他愛もない話をしていた。

たとえ何気なく始まった1日でも、大なり小なり変化は起こり得る。
「ジェリー、来たよ来たよー、あん時の!」
隣のクラスの中野が足早に教室に入って来た。
「もらって来たぞ、例のアレ」
「マジで?!おお」
中野は内ポケットから数枚の写真を取り出すと、何枚かの写真を勢いよく机に叩きつけてニヤリとする。中年の脇役俳優のような味のある顔付きだが、細身で長身ゆえ所作が無駄に美しい。
「無造作だな、大事な写真だろ」
純が笑う。

「何々?エロ?」
集まって来たやつらに
「違うね!全然違うね!」
とニヤリとして1枚の写真を掲げる中野。そこには青空を背景に手前に校舎、奥には皿を伏せた形の空飛ぶ円盤が写っていた。
「おお。中さん、すごいな、やる男だね」
と佐内らも感心する。入学してすぐに純を通して中野と知り合い、その面白さを認めていた。
「いやー、写真屋のおっさんに焼いてもらう事になってたんだ。おっさん、さっき来てて、テレビ局呼ぶとか呼ばないとかで教頭と揉めてたわ、あはは」

 入学してすぐに、開校25周年を記念して全校生徒が校庭に集まって集合写真を撮った。今年の卒業アルバムや校内報に載せるのだが、その時ちょっとした騒ぎが起きた。純は学校という箱の中で『風変わりな経験』をした。

『25』という花で飾り立てた文字を中心にして全校生徒、教師たちが校庭に集まり、屋上から撮影する。写真スタジオの男たちは屋上と校庭の死角からトランシーバーと身振りでやりとりしていた。
「はイッ!では皆さん、いい顔で!屋上のカメラに向かって!…オーケイ!」
屋上のカメラマンが両手を上げて頭上に◯を作って見せ、指を1本掲げる。
「ハイ、いいともー!もう一回行きます!念の為!自然にポーズを取って~~、ドーゾ!」
地上の中年カメラマンは時折メイキング的なショットを撮りながら、いかにも慣れたコミカルな掛け声を発して皆の呆れ笑いを誘っていた。
純はその時興奮して叫んだ。
「あれっ?!あれ!おい、あれ!」
鳥肌が立つのがわかった。校舎の脇遠方、おそらく海峡の真上あたりに、絵に描いたような銀色の円盤が突然現れ右へ左へシャッフルするように移動していた。

「UFOだ!」

それは停止したのちに信じられないスピードでジグザグに飛び去って消えた。一瞬の出来事、皆の期待通りのUFOを演じた、百点満点の飛翔だったーー。軽いざわめきや叫び声があがり、教師も生徒も驚いて口をあんぐり開けて上空を凝視していた。ーー何だあれは?今の見たか?わらわらと騒いでいると、
「しっかり気をつけーーい!ポーズを取れーーい!」
体育教師の鴨沢が責務を遂行すべしとばかり、いつもの特徴的なイントネーションで叫んだのだ、自然なポーズを『気をつけ』で取れ、と。おそらく彼もかなり動転していたのだと思われる。

「…ポーズを取れウェーイ!」「ポーズを取れウェーーイ!」「しっかり気をつけウェーーイ!」「ザシザシザシ!」「ザシザシ!」
各所に配置された1~3年生の野球部の動物どもが口々にそれを裏声で真似て、霜柱を踏む音をさらに下品にしたような大声で笑った、ーーこの状況が滑稽すぎたせいか、全体に何か熱の渦のようなうねりが生まれた。女生徒たちは頬を真っ赤に染めて笑い転げている、止まらなくなった。

未確認飛行物体を見た興奮と不条理な叫びによる爆笑が混じり合って笑いのほうが勝ってしまった、なんなら若い生命力が場をぶん取ってしまったーー純は気が気ではなかった。
「こんな時に!馬鹿野郎、UFOが、ああこんな…」

「あははははは、あはは!すごいわ!すごいわこの状況ー!」
純の後ろで、手をポケットに入れ体をくの字に折り曲げて、中野が愉快そうに笑っていた。
「この写真は貰っとくべきだろ」
中野は純にニヤリとすると、おそらく会心の写真が撮れたと思って放心状態になっている中年カメラマンに近づいて行った。

中野は純とは校区がまったく違うものの、小学生の時に『海の日パレード』に参加した際に出会っているーー『お前知ってるか?女のアソコに男のちんぽを入れたら子供が産まれるんだぞ』というのが隣になった中野の第一声だった、ニヤリとしてこちらを見た。入学してすぐ、再会した時は純が隣に並んでこの言葉を中野に見舞い、お互い指を指して大笑いしたものだった。

その出会いはさておき、そうは言ってもこれは未知との遭遇である。笑いが収まる頃にざわめきが起き、不安がる者も出た。妙な高揚は続いていたのだがーー。
「バカ者!お前らは、母校の25周年の記念の写真を撮るという時にィ!こんな事で列を乱しおって!もしもー、1枚目が失敗してたらどうするんだ!」
おもむろに教頭が説教を始めた。
『未知との遭遇』が『こんな事』にされたーー。列を乱したと言ってもカメラマンが指示した自然な配置だったはずなのだが、朝礼用の並び替えを命じ、竹刀を手にした鴨沢がその乱れを小突いて直して歩いた。
「私は恥ずかしい!ーーそもそもがー、瀬田先生が最初に注意したがー、にもかかわらずそれをお前らはー、、、」
まだ戦中派の教師も多くいて、中には軍国教育の名残りからか未だ高圧的な態度で命令に従わせる事が当然なのだと信じて疑わない者もいた。

「私もあれは何かと思ったがー、今何をする時か?常に考えておればー、何事にも冷静に対応できるだろうがあ?!、、、」
脱力して笑うしかなかった、教頭は日曜日どんな顔で何をしているんだろう?『何か』と思ったものを何とも思わないようにしつつ過ごしているのか?ーー禅問答だと純は思った。

「こらあっ!歯を見せるな!話に集中せい!」
鴨沢の怒鳴り声ーー。生徒たちがうっかり出てくる笑いをしまって口を真一文字に結んで説教を聞いているうちに何分か過ぎた。真剣な表情を保つ事が精神に影響したのだろうか?ちょっとしたパニック状態は収まった。
確実に未確認飛行物体だと思われた物は、旧体質の堅物教師たちによってうやむやのうちに葬り去られたーー、おかげでとにかく衝撃は薄まった。
「…では、解散!」
中野の甲高い笑い声がした。
「『解散!』…じゃねーよ、あはは」

ーー教師たちが怒鳴って生徒たちを整列させ、訓示をたれて事なきを得た!大変なことが起こったというのに、本当に事なきを得てしまったのだ!UFOの立つ瀬のなさと言ったら!ーー純は解せなかった。

生徒たちはそれでもざわめいて、まだ神秘的なUFOへの興味を完全に失った訳ではなかったのだが、それでも『今この時』に、『日常』に押されて思念は追い立てられてゆくーー。
上から読んでも下から読んでも同じ苗字の女性体育教師小田尾が、パンパンと手を叩いて急かす。
「ハイハイ!7組の女子はこのあと体育だよー!教室に戻ってカーテン閉めて、迅速に着替える!グランドに出て来る!素早く!」
「あはははは、あはは!」
「誰が笑っているーー?!」
小田尾は叫んだが、中野は人混みに紛れてずっと笑い続けていた。

純の『風変わりな経験』とはもちろんUFO出現の事だが、その超常現象以上に教師と生徒たちの反応に重点が置かれている。

 ーー1枚目の写真はしっかり撮れていて、教頭は無駄な心配(というか生徒たちを支配したかっただけなのだが)をした事になった。
そして中野はアルバムには載らないはずの2枚目の集合写真をしっかりもらって来ていた。その中ではほぼ全員が驚いていて、叫んだのか思わずそうなったのか、とにかく皆が口をぽかんと開けていた。

「ジェリー選手、この瞬間、口閉じてるね」
清水がすっと近づいて来て、あの遠慮がちな笑顔で微笑みながら言った。人の良さそうな、地味な男だった。
そしてとても優しい仕草で清水自身の写真を指差した。その顔は明らかに意志を持って口を閉じていたので純は思わず笑みをこぼした。写真の中で2人だけ、同じ表情をしていた。
「よくさ、僕 親に『ポカーンと口開けて。お前はバカか?』って言われるんだよね、ジェリー選手は?」

全然失礼な感じは受けず、なんだか良い感じがした。何でもない会話だった。
「俺もそうなんだよ、だから閉じちゃった」
高校に入学してから面白い連中とたくさん出会い、純は興奮していた。そして今日は何度か言葉を交わした事のある、どちらかといえば地味な清水を再認識した。馬の合う相手というのは本当にさりげなく、ある時向こうからすっとこちらにやって来る。今まで、特になんでもない1日の中でなんでもない顔をした奇跡的な出逢いが生まれて来たりしていたのだろうか?純はそんな事を考えた。この学校は面白い!

                 ○

ーーまずその存在に気がついて焼き増しさせた中野が切れ者だという話になったのだがーー写真スタジオの男たちにいたずら心があったのかそれとも几帳面に職務を全うしたんだか、3枚目の集合写真として教頭が朝礼用の並び替えを行い説教中の様子を俯瞰で撮影したもの、それとかなりのショックを受けた表情の担任・今田がぽかんと空をみつめるバストアップの写真があった。■


とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。