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おんなの敵は女。

2020年という年は僕にとってストレスフルな年だった。
それはもう2021年も年末となった今でも続いているのだが。

2020年、僕はある博多美人と一緒に仕事をしていた。


彼女は現地の営業サポートをしてくれる人間だった。
彼女へ業務委託するなかで仕事の遣り方を教えたり、こちらも彼女の仕事の補助をしたりしていた。

彼女は背が高く、学生時代に読者モデルもやっていて地元福岡ではちょっとした目立つ存在だった。読んでくださっている読者の誤解を恐れずにいえば、背が高く、学生時代に読者モデルもやっていた彼女を連れて歩くことはショボい自分を「よく見せる」恰好の方法でもあった。

僕は少なくともそういうところがある男だ。自己弁護をするわけではないが、少なからずショボい男はそういうものでもある。


それに悪く言えば、彼女を営業に利用もしたこともある。齢のいったおっさんが幅を利かせる我が業界だ。致し方ない。注文獲りに彼女をダシに使った。効果的に営業トークを彩った彼女はお客の背中を押しまくり注文金額をさらに上げたものだ。

僕たちはまるでボニーとクライドになったように中洲川端をタクシーで飛ばした。この渋い時代にタクシーチケットさえ出たって、もんだ。


そんな彼女との時間のなかでフェミニストとしての彼女の一面も知ったし、
僕の若い頃からの生きにくさを話したこともあった。

彼女は九州の炭鉱のあった街の生まれで、
幼いころから「差別を目の当たりにしてきた」という。
(彼女の名誉のために言っておきたいが、その地域ではかなりの家柄だ)
当然のようにある子供をハブにしたり、
特定のご近所さんの悪口を親が平然と言ったり、村八分にしたり。


そういうことが理解できなかったし、耐えられなかったのだ。
彼女は加害者になることをある時、止めたのだという。


色々な差別を受ける人たちの話を訊き、そういうシンポジウムにも参加した。
ただそれは政治的な発露ではなく、
彼女のなかにある「人道的なやさしさ(?)」「世の中が良くなってほしい」という心に
依拠するものだったのだと思われる。

だが、そういう集会にいると彼女は目立ち、
そういう団体の人や障害をもった人たちから追い掛け回されたこともあるそうだ。
(女っ気のないとこに元読者モデルの綺麗な女性がいたらそりゃ、みんな狂うわな…笑)
自分の居場所を求めてそういうところに入ってくる人たちと彼女の立ち位置は違う。
そういう運動に絶望した彼女は一度外から色々見てみたいという欲求を抑えきれなかった。
一時期、東南アジアなどの途上国に行ってボランティアなどをしていたそうだ。
彼女と僕は、齢の離れた友達みたいな感じだった。

彼女も僕の前でよく泣いたし、僕も感極まって泣いたこともある。
常に本音で付き合ってきた仕事のパートナーだ(当時)と僕は思っている。

そんな関係を彼女と築いていたが、僕が知らぬうちにとんでもない裏切り行為をやっていたことがわかったのだ。


僕もまったくそんなことを知らずに彼女と接していたのだが、
裏切り行為をしながらどんな顔をして僕と話をしていたのだろうか?と思うと怖気がはしる。

実は、彼女は僕の勤める会社の営業用の商品見本を横流しして売りさばいていたのだ。これは普通に犯罪である。普通に訴訟にできるレベル。

会社としてはそこまではしなかったけど、とても後味のわるいことになった。
僕も彼女が辞めてから半年間くらい何も考えないようにしていたが、
どういう心持で僕と営業の話をしたり、悩みを打ち明けたりしたのだろうか?そう思ってしまうとだんだんと腹が立ってくる自分がいた。

それにこの齢になって女性の気持ち、と言ったら女性に失礼にあたるだろうか、が分からなくなったのだ(笑)
僕に泣いて本音を語り社会の翳に心を痛めながら、会社のものを横流しして売りさばく。
その行為を同レベルでできる女。

それは女性性ではなく彼女における特質なのかもしれない。

人を裏切るよりも、人から裏切られる方がいいなんて
何処かの歌手が歌っていたけど、僕はどっちも嫌だな。

彼女が去った後に新しい人が来た。


彼女より有能な人だったが、彼女ほど色々と話せる人ではなかった。
僕は新しい人とは彼女ほどに一緒にご飯を食べたり、飲みに行ったりもしないだろう。

彼女との最後の晩餐は20年の2月だった。
ある回転寿司屋で特上の寿司を食べた。僕が帰る最後の日の昼食だった。

「なんかコロナの影響がだんだん顕著になってきましたね」と彼女が言う。
「まあ、行けなくなることも考えると今しかなかったかもね」
「これから移動が制限されてくるかもしれませんね、福岡はまだでていないですよ」
「東京も増えては来ているからね、ホントに怖いよ」

まだ2020年の2月頃なんてまだこんな話をしていた。
その1か月後には東京は恐慌状態に陥ってしまうのだ。
移動も制限されてしまい、それから一年以上九州から遠ざかってしまった。

その最後の晩餐時に食べた寿司は8貫。
「大トロ」「中トロ」「真鯛」「帆立」「鯵」「勘八」「いくら」「雲丹」

「このお店は回転寿司店のなかでもレベルが高いんですよ」
「福岡自体、魚のレベルが高いよ」
「オンナのレベルも高かとー」
「あれ? ホメてもらいたいの?(笑)」

こんな軽口を叩いていたような気がする。
フェミニストのくせに自分の女性性をやたらと強調する女だったな。
まあ、読モやっていたくらいだから自信があるんだよね。

だから、こういう手合い、性質(たち)が悪いんだよね。

フェミニズムが世代的断絶をしているのは女性同士の断絶もあるからだ。
そう言ってしまうと性差による断絶もある。

そして権力闘争。そして運動の自壊。
盛り上がった社会運動が袋小路に入り込んで停滞していく、その過程を如実に見せられる気がした。
そして運動を蝕んで瓦解させていくのがこの手の類の女なのかもしれない。

女の敵は女。

僕は彼女に騙されていたのだろうか?

彼女は大トロをつまむと口に放り込んだ。
「うんまいー!」と悶絶している。
僕は帆立から食べた。甘くて鼻から帆立の薫りが抜けていく。
貝柱の繊維の細かさと旨味のたっぷり詰まった塊が口の中でほぐれていく。
僕は彼女の皿を見ながらこう言ったように記憶している。

「君は好きなものから食べるのか?」
「そうでしょ、好きなものから食べないと。だって、人生は短いから」

好きなものから食べる人間を僕は信用していなかったのを思い出した。
そんなこともあって、僕はもう2年近く福岡を訪れていない。

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