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コロナ感染10日目:Homebound 家に帰ろう

今日はコロナ感染から10日目。
ホテル療養から解放される日でもある。待ちに待った日である。昨日から待ち焦がれて夜もろくに寝ていない。

朝食を摂るともう9時になっている。
昨夜は興奮して眠れなかった。いつまで経っても家族に会える楽しみが先に立って、ろくに寝ていない。予定の10時になるが呼ばれないのでもう行ってもいいのかと事務局に内線で尋ねると時間になったので出て行って構わないという。

先に言ってくれよ! わからないよ!
入り口では体温計とパルスオキシメーターを返却をじっと見ている係員がいる。それと10日間使い続けたリネン系のごみを防護服の人たちが回収している。仕方ないよな、ばい菌だらけだし。帰ったらすぐにシャワーをしよう。

10日ぶりの娑婆(シャバ)は光り輝いているようにみえた。

明度に目が慣れていないこともあるだろうか。道々がキラキラと輝いている。見上げた空は青くて吸い込まれそうだ。おまけに所々桜の花が咲いている。元居た世界の美しさを思った。ルイアームストロングが歌う「ワンダフルワールド」が頭の中で流れる。

ホテルを出るとしばらくその周辺を歩き回った。
結婚前に住んでいたマンションも存在していた。そのときによく行ってた居酒屋はもうない。深夜に酒を切らしてよく買いに行っていたコンビニはあった。

坂を上ると息が切れる。後遺症なのだろうか。
10日近く動かなかったことでかなり弛んでしまっている。
その一歩一歩がどうしようもなく自分の肉体と繋がっていると思い当たる。
自分の肉体だから疲れ、息が切れるのだ、と。

春の陽は強く、入所の時に着てきた黒いジャンパーを着た僕は身体を焼かれるように熱く感じた。太陽の直接的な作用のなか、色のない世界から急に多原色の世界に放り出された気がした。色がすべて濃い。この多幸感は半端ない。脳内の麻薬が出ているとこうなるんだろうな。なんとかハイ、っていうんだろうな。

最寄りの駅に入ると線路にでて踊りだしたいくらいの気分になる。

酒も飲まずにこの多幸感、かなりまずい。
どこかでこのハイな状態を是正しなくてはならない。大きな乗換駅に着くととにかく歩きまわることにした。この状態で帰路に就くとどういう事態を招くか大体想像がつく(笑)

極度の躁(そう)状態というのも恐ろしいものだ。

ホテル療養でこれほどに抑圧されていたのかと思うと自分の脆弱さを露呈してしまったようでこれはこれでいささか恥ずかしい。
百貨店の食品売り場にいき、値段を見ながらよく行くスーパーマーケットの値段と比較する。これは僕のライフワークのひとつである。そんなことをしながら気持ちを落ち着ける。妻の誕生日をふいにしてしまったので、ケーキを買っていこうと思う。

世の中はまわっている。

自分がいなくても世界は回っていく。その世界はなんとなくうまい具合にいっているように見える。そういうときに感じるのは無力感でしかない。自分の10日の不在がこの世になんの影響も与えないことへの無力感に押しつぶされそうだった。だから、ホテル療養中に商談をして数百万円分の注文を獲ったりもしたが、そんな些細なことでは何も変わらなかった。ただ単に虚しいことだと思った。でも…

僕には帰らなければならない家がある。
何にも換えがたい大切なものがあった。

歩を進め、電車に乗ると、はやる気持ちが電車の速さを追い越してしまう。
僕は何のために急いでいるのか、それは家に帰るためなのだ。それを改めて思い直す。息子と妻の顔を思い出す。決して忘れてはいなかったけど、思い出す余裕がなかった。閉所恐怖症と闘っていたどうしようもない日々。悲しいくらいに無力感に苛まれた日々。

東京都には多分にお世話になった。ここで謝意を示したい。
これだけの手厚くあらゆる保障をしてくれる自治体があったであろうか。某県は都ほど手厚くないらしいと言うことを訊いた。保健所からの電話もなく、食料の有無だけ訊いてきたという。
たしかに都政にはいろいろと不備はあるかもしれないが、そこだけをあげつらって批判する連中もいる。だけど、都政がこれだけ患者の気持ちが寄り添っているということは病とたたかううえで患者にとっては非常に大切なことだ。その部分を行政が担っているという事実はここで述べておきたいと思う。

今日、僕は家に帰る。
桜の咲く道を通って。

最後の朝食 毎日3回配食される不自由とおさらばだ(笑)


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