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酒とビンボーの日々 ⑥ビンボーに絶望

これまで散々、自分にお金がないことを書きなぐってきた。

以前、子どもが幼稚園からのエスカレーター式の私立の学校に通っているのでお金がかかるという話はしたと思う。

このご時世、年収が800万あれば富裕層と言われるらしいが、
はっきり言ってそれくらいでは
僕の子どもの通う学校には通わせることはできない。
入学時には、入学金・寄付金(上限なし)・制服や備品の購入代金などで途轍もない金額に膨れ上がってしまった。明細書を見せられてしばらく信じることができずに2、3日寝かせておいたほどだ(笑)
それに諸々の積み立てと称して徴収されるものもあり、急な出費が後から後から続く。

それ以上もらっていたとしても、家計として厳しいのが、現状なのだ。
まさに文字通り、家計は火の車。炎にあぶられる僕の尻(笑)
貯金も何もなく、子どもの養育費ですべてが出ていっている。

子どもの同級生は皆、サラリーマンではない。

実家が事業をやっていたり、不動産を転がしていたり、○○流のお師匠さんや親が芸能人という家がほとんど。だから小金だけは持っている家ばかり。

よく言われる上級国民というやつか。

だが、上級の次は中級かと言われるといまの日本では、中級はない。
あるのは下級というか下流家庭である。
希のない夢は見ないほうがいい。
上流家庭以外は、貧困家庭に変わりないのだから(苦笑)

僕は、ここ5年以上スーツを新調したことがない。

85キロに太っていた昔に買ったスーツを二年連続で着ていたが、
今年やっとそれを「おしゃか」にした。

ズボンのポケットが擦り切れてしまい、
尻も透け始めていたそのスーツに焼酎のグラスを添えて、語り掛け、
長年の感謝をこめて、中の焼酎を振りかけてからゴミ袋に放り込んだ。
無宗教のくせに儀式めいたことが好きな中年男。
すべからく物事は形から入るのが重要だと思っているクチだ(笑)

子どもの服は春夏秋冬、すべて新しいものになっている。
嫁もたまに悪そうにインナーなどを買っているのだが、
僕はそれを許可している。

僕の場合、自分にそんなインナーを買うくらいならば焼酎の一本でも買った方がいいと思っている。
だから僕は服を新しく買うことはない。

夏は今より丈夫だった昔のユニクロのTシャツを3枚で着まわしているし、
(今のユニクロって長持ちしなくなったよね!?)
冬は冬で、でろんでろんに伸びたヒートテックのインナーを2枚重ね着で冬を越している。今年のスーツは冬物はダーバンしかないので、仕方なく五大陸の夏秋兼用のスーツがあったのでそれを着るようにした。

そんなこんなでやりくりをしている。

ここまで書くと苦労ばかりなのだが、この苦労を一蹴する瞬間がある。
それは子どもの存在である。

僕の子どもは学者と役人の家系に生まれた妻の方の血を継いでおり、
生来の頭の良さとコミュニケーション能力で学校では、
良くも悪くも誰からも一目置かれる存在になっている。

子どもが学校から帰ると、
こんなことがあった、あんなことがあったと僕たちに話をするのである。

今日はドッチボールで2回ともボールに当たったんだけど、当て返して2回復活したんだ、とか、テストに意外と考えさせる問題が出て、それをいつもと違うやり方が閃いてやってみたら100点だったよ、とか。

色々と訊いていくと事細かに話しはじめるのである。そのキラキラとした表情を見ていると息子をこの学校に入れてよかったなと思う訳だ(笑)

親バカも甚だしい。

幸い、今のところいじめにも遭わずにいるし、担任の先生とも相性が良いのか、父母会のときに子どもがいかに学校生活を満喫しているのかを滔滔と話してくれる。それにたまにトラブルに巻き込まれた時も周りにきちんと味方がいるようで、そういう子たちに何度も助けられた。

学校が楽しい!

かつて僕も妻も学校に対してそんなことを思ったことは一度とてなかった。
だが、我が子は通っている学校を、楽しくて仕方がないと言い切ったのである。「うどんがおいしい」のではない。「学校が楽しい」のである。
僕たち夫婦がたどった人生からすれば、信じられないようなことだった。

今まで、子どもは雨の日も、雪の日も、風の日も休もうと言ったことは一度もなかった。
授業が面白い。給食もおいしい。友だちも楽しい。
そんなふうに言える子どもがこの世の中に何人いることやら。

それだけでこれまでの苦労が一気に報われる気がする。

嗚呼全く、親バカである。

もしも子どもが反抗期になって、
「てめえに生んでもらいたいなんて頼んだ覚えはねえ!」
と言われた日にはこれまでの親の苦労というのを語ってやりたいと思っている(笑)

この時は確かにこれまでにないくらいのいい気分ではあるのだが、
現実に引き戻されると否が応にも「お金がない」という事実に
ただただ打ちのめされるのである。
まるで何かの民間療法のように熱湯と冷水に次々と繰り返しぶち込まれるようなジェットコースターのような精神生活なのである。

こんな貧困を忘れさせてくれるのが「酒」というわけなのだ。

子どもは学校の図書館で小説から科学の本、社会の本といろいろなジャンルの本を借りてきて読むのが好き。

本は懐事情により学習用に買うテキストしか買えないのでほかの娯楽(?)の本は図書館で借りてくる。

この間は壁新聞をつくるので
その資料用に新聞に関する本を借りてきて一生懸命読んでいた。
そんなことはいいから勉強しろよ、と思うがもう少し泳がせておく。
まだ身に着けて間もない知識は子どものなかで路傍の花のように咲いているだけなのだが、それが今後の勉強で色々なところにつながっていくとよいなと思っている。

本日、晴天なれど波高し。
しばし、酒による不都合をご寛恕いただきたい。


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