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フィクションは実在する


スティーブン・キングの「書くということについて」という本を読んだ。

彼は「シャイニング」「ショーシャンクの空に」など、数々のヒット映画の原作となる小説を書いた。一言で言えば、世界的な作家である。

その彼が「小説を書くことについて」書いたのが、本書だ(内容はめちゃめちゃ面白いのでオススメする)。

その中に、興味深い一節があった。

ストーリーというのは地中に生まれた化石のように探し当てるべきものだ。

〜中略〜

ストーリーは観光土産のTシャツや任天堂のゲームボーイとはちがう。ストーリーは以前から存在する知られざる世界の遺物である。作家は手持ちの道具のなかの道具を使って、その遺物をできるかぎり完全な姿で掘り出さなければならない。

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小説を書いたことがある人間なら、「登場人物が勝手に動き出す」という体験をしたことがあるかもしれない。

自分の想像で作っていたキャラクターが、もはや作者の想像を超えて、勝手に動き出すのである。

その時、やはりキングの語るように、ストーリーは「以前から存在していた」のだ。

そして作家というのは、その「存在していたストーリー」を、ただ書き写しているに過ぎない。

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逆説的な言い方になるが、魂を込めて作られたフィクションは、もはやフィクションではない

そこに書かれているのは、本当のことである。それが小説という形で書いてあるだけで、本当に起きていることなのである。

つまり、フィクションは、実在する。

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ここに「カメラを止めるな」という映画のパンフレットがある。2018年に話題になった作品なので知っている方も多いだろう。

僕はこの映画に魂を揺さぶられた。とても好きになったので、思わずパンフレットを買ってしまった。

ページを開くと、冒頭に、これまた面白い一説がある。

映画のラスト、過酷な放送を乗り越えたみんなの笑顔がクローズアップで順に映る。あのシーンは廃墟での最終日、その最後の最後に撮影した。あの笑顔は、『ONE CUT OF THE DEAD』の撮影を乗り越えた登場人物としての笑顔なのか、それとも『カメラを止めるな』の撮影を乗り越えた俳優としての笑顔なのか。恐らくどちらでもない嘘と本当の間で揺れている笑顔。あんな笑顔はもう二度と撮れない。

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真の演技において、現実と物語は、しばしば一致する

映画においても、フィクションはフィクションではなくなるのだ。

だから、僕らが小説を読んだり映画を見たりして、時に魂を揺さぶられるのは、決して偶然ではない。

なぜならそこには、本当の物語が存在しているのだから。

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「小説や映画なんて、所詮フィクション。作り物で感動なんてしないよ」

という人は、全く本質に気がついていない。フィクションは、リアルである。

そして、貨幣や国境、戦争などが存在するこの世界の方が、僕にはよっぽど作り物に見えるのである。


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